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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
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■ 1993年10月 アーカイブ

1993年10月31日

 フランスの政治家の演説は、概してゆったりとした喋り方が多いような気がします。ひょっとしたら、ENA でそういう喋り方を指導しているのかもしれない。フランスのGEなら有りうることですから。
 シラクの演説を聞き取れるかどうかは、フランス語上級の目安とされていますね。明確な発音、ゆったりとしたリズム、適切な時事用語の使用など、語学学習の教科書的内容なのだそうです。ミッテランになると話しが高尚になりすぎて、専門知識がないと結構苦しいらしい。
 個人的にはロカール元首相の演説が一番聞き取り易く感じます。無論、バラデュール現首相のペースも分かりやすい。よくパロディにされるバラデュールの癖は、「Je pense que」としり上がりに言って、それから次の言葉まで結構間があくことです(笑)。
 口調と言えば、現在の師匠であるローラン女史の喋り方が、典型的なパリ女性のイントネーションです。東京で言えば、「だからぁ〜」や「それでぇ〜」に相当します。いわゆるカマトト喋りってやつです。ラジオの女性アナでも結構そういうイントネーションが多い気もする。


 San Frontier 1(旧版)の Bretagne あたりは、7年前の今頃、江下が初めてアテネ・フランセに通った頃に習った部分です。
 原宿を形容詞化すると、「harajuqois」か「harajukais」かなぁ。「原宿」自体「Harajuku」と書くと「ハラジュキュ」になってしまう。音を優先させると「Harajuque」か「Harajuc 」だし。接尾語「-eur」を使うと、「〜する人」って感じがしてしまう。
 ついでながら、Tokyo → tokyoite、Osaka → Osaquais/Osakais。
 決して「Je suis tokais.」とは言わないように。同音の「toque」は英語の「kinky」と同じ意味ですから。


 ウチの近くに映画館が2館あります。このところ連日の盛況で、この間なんかウチのアパートの前まで行列が延びていました。
 一体何をやっているのかと思ったら、またどなりの映画館ではウッディ・アレン&ダイアン・キートンの「マンハッタン殺人事件」(仏題:「QUI A TUE QUI?」)、少し先の映画館では「ジュラシック・パーク」でした。いずれも割と最近封切られただけです。
 日本でも報道されていると思いますが、フランス政府はアメリカ映画の「侵略」を防ごうとやっき。でもやっぱり話題作には人が集まってしまうのですね。


1993年10月29日

 DEA プログラムが始まって2週間経った。結局12月までは週3コマのみである。去年とは比較にならない拘束の少なさだ。それなりに自分でやらなければいけないことも多いのだが、時間はかなり自由に使える。
 実はまだ最終登録を行っていない。当然、授業料も払っていない。意図的にモグリをやっているのではない。2度も登録に行ったのだ。しかし、猛烈な人混みに、ついつい尻込みしてしまった。
 第1大学の登録事務所はトルビアックにある。中華街の一角で、ウチからは83番のバスで10分ほどの所である。ビルの11階に受付事務所があるのだが、そこに至るエレベータにすらまだ辿りつけない。入場制限をしているのだ。1e CYCLE入学者が手続きに殺到し、エレベータのまわりに巨大な列を作っていた。恐らく2時間は待たねばならないだろう。なまじ家から近い場所にあることが、列に並ぶ気を萎えさせている。いつでも来れるからいいか。ついついそう思ってしまうのだ。結局、今日に至るまで最終手続きを行っていない。
 期限が気になったので、クラスの者に尋ねてみた。ベネズエラ人ルイスもやはり行列にびびったそうだ。他に何人かに尋ねたが、皆まだらしい。でもやはり何となく気になる。多分、今日もう一度トライするだろう。
 いつの間にか歳を一つ重ねてしまった。パリに住み始めて二度目の誕生日である。たまたま古いログを整理していたら、去年の誕生日頃のメッセージが出てきた。「このくらいの歳になると、あまりおめでたくないでしょう?」という某パ*リロ氏の書き込みを発見した。真実である。よっぽど意識しないと、誕生日すら知らないうちに過ぎている。十一年ぶりに、一の位の数字が十の位の数字を追い越した。
 昨日の夕暮れがことのほか奇麗だった。学校の場所もいい。講義が終わってバス停に向かうころ、ちょうどたそがれ時だった。
 第1大学の通称はパンテオン・ソルボンヌ大学である。名前の通り、メインの校舎はパンテオンの向かって手前、斜め左にある。入り口は堂々とした構えで、「Universite de Paris Faculte de Droit」と記されている。向かいの建物はパリ5区の役所だ。
 パンテオン校舎を出て、広場を横切ってリュクサンブール公園のバス停に向かった。広場から公園越しにエッフェル塔の頭が見える。ライトアップされた姿がたそがれの空に似合う。パンテオンの上には満月が現われていた。夕方のラッシュアワーだったので、公園前のロータリーはごった返していた。バスが来るまで15分待った。本数の多い27番のバスにしては珍しい。これだけ待っていたため、乗客が多かった。それほど混んでいなかったバスも、あっと言う間に満員だ。真っ先にのったので、進行方向向かって左側のスペースに追いやられた。
 リュクサンブールからゴブランまでは、ほんの10分ほどである。丘を登りきってから右に流れながら下る。下り切る手前付近で、ムフタール市場の端を垣間見ることが出来る。夕方の賑わう時間だった。店には人集りがしていた。


 代名動詞は本当に便利で作文にもついつい多用してしまいます。ただし、コミュニケーションの専門家によると、受動的意味での代名動詞の乱用は、ある程度注意した方が良いそうです。lisibiliteの問題だそうです。
 江下の発音は単に「悪い」としか言われませんが(苦笑)、作文の方は「カナダ人のフランス語みたい」とよく言われます。つまり、英語とチャンポンになった表現が多いらしい。
 一例を挙げますと、「現在の状況」を江下はついつい「situation presente」としてしまいますが、フランス仏語では絶対に言わないそうです。ここは必ず「situation actuelle」だとか。反対に、「reellement」と書くべきところを、「actuellement」と書いてしまいます。「actuel」の意味を英語的に捉えているためです。これ、「分かっちゃいるけど....」ってやつです。
 フランスのラジオでは政治家の口調の物真似番組があります。ちょっとせきこむようなミッテラン、悠然たるシラク、芒洋として噛んで含むようなバラデュール、詩の朗読のようなロカール、皆特徴があっておもしろい。これでパロディをやるわけです。日本でもかつて田中角栄や大平正芳の物真似が盛んでしたね。最近それほどでもないのは、真似するだけの個性がなくなったからなのだろうか? それとも政治家への関心が薄れたから?


1993年10月25日

 私は日本語の会話の中でフランス語を発するとき、努めて franponais になるよう音を発します。まあ、発音がたいしてうまくない、という根本的理由もあるのですが、日本語会話の中で中途半端なフランス語が混じると、極めて分かりずらいと思ったからなのです。
 前にこんな経験がありました。フランス語初級クラスの人から、ホテルの住所を教えて貰った時のことです。先方は親切にもフランス風発音で教えてくれたのですが、3回聞いてもようわからん。r-とl-の違いはさすがに大袈裟な発音のおかげで分かったのですが、-in、-an、-on は判別不能。b-とv-も曖昧模糊。しかも固有名詞なので、綴りも想像できなかった。最後は結局英語式スペルで言ってもらったのですが、これもフランス式とちゃんぽんになって、実に時間がかかってしまいました。
 もしかすると、聞きやすさというのは単に音だけの問題ではなく、身構えの問題があるのでは? 例えば日本語の会話だと耳が日本式の音に身構えている。フランス語会話だとフランス式の音に身構えている。そこに外国語の音が入ってくるとき、ちゃんとしたネイティブ音は学習によって吸収できても、中途半端な音だとかえって受信不良を起こしてしまう。頭の方で、母語で処理すべきか、外国語で処理すべきかの混乱を生じさてしまうような気がするのです。実際、フランス人が英語を中途半端に英語風発音で喋ると、これまたえらくわかりずらい。franlgais の方がスムーズに感じてしまいます。
 この話、クラスでしたら皆同感だと言っていた。ある友人曰く、「でも、アメリカ人は何語で話しても、Rばっかでよう分からんわ」。一同爆笑。


 最後に指摘したいことが一つ。「自分のオリジナル辞書を作るべし」。つまり、

(1)仏文読解経験で、知らない単語を記録しておく。
(2)参考になる表現を記録しておく。

 我々非ネイティブが仏文を書く場合、最も確実な方法はネイティブの書いたものを真似することである。それではオリジナリティがない、などと言わないでほしい。オリジナリティはまともな文章を書ける者のセリフである。在仏10年以上の翻訳者でも、ネイティブ・チェックなしの仏作文は見苦しいという。我々は謙虚に「学ぶは真似るから」を思いだすべきであろう。
 単語、言い回し、文章表現、真似るべき点はいくらでもある。日頃から仏文に接し、それらを記録しておく。1年でもかなりのストックになるはずである。極端な話し、この積み重ねの差が表現力の差になろう。こういう活動は、再利用を考えるとパソコン入力するのが好ましい。さらに、表計算ソフトやデータベース・ソフトを利用すれば、それだけ検索が楽になる。しかし、始めから欲張ってはいけないし、人によって最適なスタイルがあるはずである。一番大切なことは、継続可能なスタイルを身に付けることである。
 我々が仏文の論文やレポートを書く場合、表現上一番確実な方法は、誰かのレポートを借りて、その表現を真似しながら書くことである。内容を真似すれば盗作だが、表現や構成の真似は外国人には許される行為である。江下は学校に提出するレポートがある場合、たいてい真っ先に終わった者のレポートを借りた。「そうか! こういうところで Il s'agit de ... と書けばいいのか!」といった発見がしばしばあった。こういう資料は、貴重な参考になる。無論、内容も含めて。
 論文を書くのであれば、師匠の論文を参考にするとよいだろう。


 ここではなぜ和仏以外の辞書が必要なのかを訴えたい。
 仏文でレポートを書こうというほどの者であれば、最低限の語彙力はあるはずである。「aller って何ですか?」という人の仏作文は想定外である。
 和文仏訳と異なる点は、概念を自分の守備範囲の言葉で表現できるということである。であれば、仏作文で和仏辞典を使う意義は、概ね次の3点に集約されそうである。

(1)固有名詞や専門用語を調べる。
(2)ド忘れした単語のとっかかりを調べる。
(3)どうしても用いたい一般的な表現を探す。

 苦労は少ないけれど危険な罠に陥り易いのが(3)のケースである。例えば「方法」という言葉をどうするか? 和仏辞典を見れば、「methode、procede、moyer」の3つは最低限載っているはずである。化学プラントの「製法」であれば、まずmethode は使わない。即、procede である。反対に、「データモデル化手法」は methodeである。これだけなら単にニュアンスの違いにすぎないが、(1)のケースで仏和から単語を調べようとするとき、始めからmethode で引くか、procede で引くかで、完全に明暗を分けてしまう。
 話しは(1)のケースに戻るが、苦労が多い割に案外と問題ないといえる。この部分は知恵というより知識の問題なので、いい辞書が揃っていれば、それほど問題にはならない。江下が扱う分野は自然科学、経済、工学に関連した分野が多い。だから、関連分野の仏和辞典を揃えた。また、専門性が高いほど英語の流通が盛んなため、英語絡みの辞書も欠かせない。事実として、仏和より英和、和仏より英仏の方が、辞書の種類は豊富である。
(1)のような例での格闘方法は、まず文頭に使われそうな単語を捻りだす。例えば「procede」や「methode」である。そして、専門の仏和辞典でその項目を片っ端から調べ挙げる。それでも見つからないときは、理化学辞典や和英の専門用語辞典から探す。うまく英訳に出くわしたら、対応しそうな仏訳を想像し、仏仏辞典でチェックする。
 だいたい出版辞書との付き合いはこの繰り返しである。このパターン、多分人によっていろいろな技があると思う。他の人の用例を知りたし。


1993年10月24日

 ここで主張したいポイントは、次の2つである。

 仏文を書く時は和仏辞書があれば十分という錯覚の打破
 いい辞書は必ずしも「印刷物」にあらず

 和仏辞典は必要条件の一つにすぎない。この当たり前のような事実を、くどいくらい強調してみたいと思う。また、このシリーズの隠れテーマである「ハイテクを積極的に利用した文書作成」を強調したい。
 まず江下の辞書環境を紹介する。前に和仏辞典を使う頻度が相対的に少なくなった、と発言したことがある。しかし、この偉大な文化的資産なしに仏作文をこなすことは、少なくとも江下程度の語学力では不可能である。頻繁は別にして、手元において使っている辞書は次の通りである。

(1)スタンダード和仏辞典(大修館書店)
(2)クラウン仏和辞典(三省堂)
(3)経済フランス語辞典(三水社)
(4)仏和理工学辞典(白水社)
(5)会話・作文 フランス語表現辞典(朝日出版社)
(6)英和・和英 経済用語辞典(富士書房)
(7)現代英和辞典(研究社)
(8)La Petit Larousse(Larousse)
(9)THESAURUS Larousse(Larousse)
(10)Dictionnaire des idees par les mots(Robert)
(11)Collins discionnaire Francais/anglais, A/F(marabout)
(12)Webster's Electronic Distionnary(Webster)

 これは何もハッタリで列記したわけではない。ある程度専門的な文書を書こうと思ったら、この程度は揃えておかないとこなせない。無論、手紙とか簡単なメモ程度でここまでは必要ない。日常的な文章を書くのが中心ならば、このうち(1)(2)(5)があれば十分だろう。「ディプロス フランス語会話マニュアル」(朝日出版社)を加えれば、相当応用がきくはずである。
 リストで注意頂きたい点は、フランス語以外の辞書が案外と必要になる点である。専門用語になると、まず一般的な和仏辞典ではカバーできない。フランス語の専門用語辞典は、生憎とほとんど仏和である。こうなると、英語でアタリをつけて、それを逆引き逆引きして探すしかない。場合によっては、「理化学辞典」(岩波書店)や「広辞苑」(同)さえ引くこともある。仏文を書くのに、と笑うことなかれ。これらの辞書には案外と由来の単語が載っているのだ。溺れる仏訳者は国語辞典にもすがるのである。
 こんなとき、全て電子辞書化されていればどれほど便利かわからない。白水社や三水社をはじめ、関係業者の努力に期待したい。


 今週は赤ワイン1本、白ワイン1本でした。

 MEDOC, Selectionne par les CAVES de la HUCHETTE
 QUINCY, Domaine des Bruniers, JEROME de la CHAISE

 1本目はおなじみボルドー産赤ワイン。M出師匠がパリにいらした日、近くのスーパーChampions で買ったものである。28Frs也。下戸の江下はツーフィンガーほど飲んだだけであった。残りは師匠とカミさんに任せた。口当たりはやや渋目で、香は強くなかった。
 2本目は近くのレストランIntermede にて70Frs。K杉さんが出張でパリにいらした。昨日一緒に夕食を取った際、頼んだ白ワインである。このワイン、店のマダムに「白ワインがほしい」といった瞬間、「じゃ、これにしなさい」と半ば強制的に?勧められたものである。
 これは絶品。今までこれほど旨い白ワインは飲んだことがなかった。軽妙な香り、淡麗な舌ざわりと咽ごし、ほどよい甘味、江下のような下戸には最も危険なワインであった。ダムに「こりゃ旨いわ!」と言ったところ、「そりゃそうよ。ウチだってやっと今日仕入れたんだから。白じゃこれが最高ね」とのこと。どうりで有無も言わせずに選んでくれたわけだ。
 帰り、ワインのラベルを貰っておいた。「なかなか買えないワインだから、ウチの店の名前を出して注文するといいわ。」とのことであった。


1993年10月23日

 日曜に帰国というのは時差ボケ解消には良くない。別段会社に行くわけではないが、やはり週末を自堕落に過ごしたほうが、結果的に復帰は早いように思われる。実を言うと、まだ朝の変な時間に目が覚めたり、夜中むやみに腹が減る。瞬時に順応できた20代がなつかしい。
 パリに戻った翌日は、教授のところに登録用紙と時間割りを貰いに行った。朝の10時から10時半の間に来るよう言われたので、10時ちょうどに赴いた。教授のコレット・ローラン女史が現われたのは、ジャスト10時半であった。
 家に戻ってから次の日の口頭試問の用意を始めた。最近はOHP を作らなくても、プレゼン・ソフトが利用できるので助かる。フランスの大学でも、最近はパソコンを使った発表が増えている。
 ある程度目処が立った頃、M出さんから電話があった。リヨン駅に到着した由。資料作成の山が過ぎたところで良かった。でないと、徹夜に付き合わせてしまったかもしれなかった。師匠とは山荘オフから僅か2週間後の再会である。夕食をウチで取ったが、スーパーへの買い物を付き合わせてしまった。耳掻きが売っていなかったことは、既に報告した通りである。夕食の間、M出さんから文字通り世界各地の話を聞いた。人の行っていない国にばかり訪れているのだから凄い。北朝鮮やモンゴルに行ったことはあっても、フランスは初めてなのだそうだ。
 口頭試問の当日、当然のような時差ボケで6時半には完全に目が醒めてしまった。尤も、試問は午後だったので、十分資料を読み返す時間が取れた。しかし、結果は惨憺たるもの。とにかく口が動かない、舌が回らない、咽が震えないの三重苦であった。4ヶ月のブランクは大きい。
 水曜からは、早速授業が始まった。この日は前半がパンテオンの校舎、後半がソルボンヌの校舎である。どちらもウチから近い。何しろバスで3停留所目である。教室まで正味15分ほど。これほど短い通学時間は、小学生の時でさえ経験したことがない。
 バス停から校舎までの間、有名な高等師範学校の前を通った。パリ第1大学のパンテオン校舎は、パンテオンを正面にして左手前にある。向かいには数学者ガロアやエルミートで有名なリセ、ルイ・ル・グランがある。入り口も博物館を思わせる荘重さであったが、教室は案外とボロかった。それよりもフロア一杯に充満した煙草の煙がたまらない。
 パンテオンでの授業はパリ第9大学(DAUPHINE)との共同である。そんなわけで、授業を受けに来た生徒の数は30人以上であった。この時は師匠であるローラン女史の授業であったが、実は彼女はESSEC の非常勤も努めており、この日の内容は既に今年の2月聴講したものと同じであった。
 ソルボンヌの教室はパンテオン校舎から3分ほど。机は奇麗だったものの、椅子が格子状だったので尻が痛くなった。2時間授業で助かった。講師はブルターニュ系のような名前。中々愛嬌のある女性であるが、常時せわしなく歩き回る癖があるようだ。立ち止ると声が出てこなくなるのだろうか。
 級友とはこの日が初対面である。顔合わせの会合は日本滞在中に行われてしまった。真っ先に親しげな視線を投じて来たのは、例によってスペイン系の学生であった(江下の顔だちはスペイン系、アラブ系に近いらしく、どこでも最初に親しくなるのはスペイン、アラブ系の学生である)。彼はルイスと言って、2ヶ月前にベネズエラから着いたばかりだそうだ。
 木曜の授業はソルボンヌ校舎。それも午後1時半から僅か2時間。大学の授業は本当に楽だ。ESSEC の3分の1しか拘束されない。この日の講師はフランソワーズという、フランス人らしい顔だちの女性であった。ひょっとすると、このDEA コースはオトコの講師がいないのだろうか? 非常に心地良いテンポで話してくれるので、至極聞き取り易い。ただ、OHP を使うのが嫌いだそうで、速写砲のように書く黒板の文字を解読しなければならない。
 金曜は授業なし。本当に気楽なものだ。昨年の今頃は、一番忙しい日だと朝9時から夜8時まで授業という日もあった。それは極端にしても、一日ほぼ3〜7時間は拘束されていた。尤も、Grande Ecoleの中でもESSEC は特に授業時間が長いと言われているから、大学がとりたてて暇というのでもないだろう。
 今晩はイギリスから出張でやって来るK杉さんと食事。T岡ちゃんも誘おうと思い会社に電話したが、彼はミュンヘン出張。残念。


1993年10月20日

 口頭試問は何とか終わりました。memoire のスコアは出血大サービスで13/20 です。これ、「問題なく通過」(bien passe)の最少スコアです。9〜11が「条件付き通過」、12が「何とか通過」です。ただ、「出血大サービス」というのは、「本来なら11だけど、不足部分(実はかなり規定を無視していた)を11月3日までに提出すれば」という条件付きみたいなものです。
 それにしてもフランス語が、物理的に喋れなくなってしまった。頭の中では結構スムーズに文章は浮かぶのだけれど、それが口に出てこない。ほぼ3ヶ月のブランクは結構厳しい。明日から大学の授業が始まるというのに....。不安。
 DEA コースは講義が少なく、年内は週4コマのみです。1コマ3時間ですから、週12時間ですね。これはESSEC の半分以下です。その代わり、3e cycleだと複数の大学が共同で授業を行うため、4コマの授業を受けるにも、月曜はオルセー、水曜はソルボンヌ、木曜はパンテオンに行かねばなりません。


 フランス・ニュースダイジェストのNo.185 (1993.8.27号)に載ってました。タイトルはすばり「テニスの起源」です。
 0、15、40と数える起源は、中世フランスの通貨単位十五スー銅貨が基本になっている、本来45なのが、長すぎるので40になった等の説が披露されておりました。また、tennisという言葉自体は「ハムレット」で初めて登場したとの説もあるそうです。


 手元の「とれぞぉ」で調べてみました。

 393 SOINS DU CORPS
 .1 Soins ; medication, ...
 .2 Indication ; ...
 ......
 .18 Coton hydrophile, gaze, meche, pansement, sparadrap, spica, tulle)

gras ; platre. - Poire a injections, poire a lavements ; bock a injections ; clystere [anc.]. - Fumigateur, insufflateur, irrigateur, nebuliseur,pulverisateur, seringue, siphon, - Cure-oreille ; cure-ongles.
 .19 Appareil orthopedique ; ...
 ^^^^^^^^^^^^
 ...

 出典:THESAURUS Larousse (Tresors du francais)

 ちょっと長い引用になりましたが、「お体の手入れ」を上位概念とする言葉として入っていますね。綿棒とか絆創膏と同じレベルで考えられているということは、簡単な医療器具というニュアンスがあると考えられましょうか。こりゃやっぱりスーパーにはなさそうだ。実は昨日、水出さんとスーパーに買い物に行った際、ちょっと調べたのでした。

1993年10月16日

 一ヶ月は本当にあっという間でした。明日の朝早くの出発なので、今晩中に成田のホテル入りします。これがラスト・アクセスでせう。
 今日はアキバで144Kのファックス・モデムを買ってきました。先ほど早速R3にアクセスしましたが、やっぱり文字のスクロールは目で追えない(当たり前か)、ファイルのダウンロードはあっという間とあって、これは病みつきになりそう。ただ、実際のスループットはアクセスした時間では6Kでしたから、一度オフピーク時に試してみたい。
 次のアクセスは日本時間の月曜早朝の予定。


1993年10月15日

 11日は奈良に向かう予定だったが、さすがに深夜出発する元気はなかった。しかし、12日は昼に枚方で友人と会う約束があったので、翌火曜は朝9時にカミさんの実家を出発した。
 枚方には予定通り12時に到着した。友人とは13年ぶりの再会であった。
 5時頃友人宅を辞して京都に向かった。6時15分頃五条通りを過ぎ、目的地の三条に近づいた。
 京都は道が分かりやすくて助かる。この日も頭の中で「丸竹夷におしおいけ、姉さん六角たこ錦、し綾仏高まつまん五条」を再現し、あと何筋で右折するかを確かめた。「経団連ビルを右折して....」などと考えるより、百倍も風情がある。この点、東京は無粋だと思った。
 京阪三条を横に眺め、駐車場を捜索した。ほどなく河原町沿いに市営駐車場を発見した。すでに膀胱が破裂しかけていたので、料金を確かめずに駐車した。入り口に公衆トイレを発見していたので、何のためらいもなかった。
 オフ待ち合わせ場所の京阪三条改札口には、約7分前に到着した。M田さんとT辺の姿を確認。ほどなくS保さん、F野さん、S田さんも到着。5分前に全員勢揃い。Mさん、Nさんの欠席をT辺と二人で大いに悲しんだ。
 ビアホール移動の途中、突然フランス語の会話が耳に入った。さすがは国際都市京都である。外国人観光客の数が凄い。M田さんは途中、フランス人観光客に道を尋ねられたそうだ。尋ねた相手がフランス語で応じたとあって、聞いた方がたまげたそうだ。
 ホールの近くにあった国際電話の使える公衆電話から、フランスに電話を入れた。大学の初会合が13日にあり、その確認をしようと思った。一応、一昨日ファクシミリを入れ、昨日もレポンダーにメッセージを残したが、直接説明しないと安心できない。案内状によると、この会合出席が大学のコース登録の条件だという。パリに帰って入学許可が取り消されていたらどうしよう。
 電話はつながったものの、すぐ保留にされた。誰かと打ち合わせなのだろう。空しく度数だけが10単位ずつ減っていった。一度切ってかけ直したが、状況は同じだった。2月にもらったテレホンカードが一枚消えた。
 この日のオフ参加者は全員が通信のエキスパート。ついつい通信ネタに熱中してしまった。また、オフでなければ聞くことのできないS保さんの蘊蓄ジョークが、着席早々披露された。T岡ちゃんが、ひょっとしたらS保さんの教え子なっていたかもしれなかったことをお伝えした。
 10時40分、2次会の喫茶店もお開き。駐車場の前で解散。滋賀で泊るT辺を乗せ、M田さんに通りまで誘導してもらいながら出発。京阪五条でM田さんともお別れ。パリでの再会を約す。来年の帰国では是非とも伏見寺田屋に泊ってみたい。
 11時半頃、名神高速栗東インター到着。T辺と東京での再会を約して分かれる。この日は多賀サービスエリアにあるレストインに泊ることにした。部屋が満室でも最悪テントとシュラフは持参してある。
 12時半頃、多賀サービスエリア到着。高速道路のレストインは初めて使うが、ビジネスホテルと大差ない設備で格安の料金。これは絶対にオトクだと思った。
 それにしても山荘オフ以来移動が続いている。走行距離600キロごとに給油しているが、既に3度給油して今のトリップメータは300キロ超。ここ2週間で2100キロ移動したことになる。これは13年前に北海道を走りまくった時以来の記録である。
 明日は横浜までさらに400キロ走行せねばならない。
 13日夜、ようやく教授と連絡が取れた。欠席を懸命に佗びたら笑い飛ばされた。入学許可をキャンセルされなくて良かった。


1993年10月14日

 カミさんの実家に篭り、学校に提出するmemoire を書いた。書式はパリの拙宅に滞在するJ君に電話し、ファックスで送ってもらった。
 提出締め切りは10月8日。郵送ではもはや間に合わない。前日学長に電話し、ファックスでの受理を認めて貰った。「おいおい、そんな大量ファックスで破産しないか?」と笑い飛ばされた。
 フランス時間の8日5時頃、ファックスモデムで送信を始めたが、全く通じなかった。念のため電話で状況を確かめたが、呼び出し音だけで機械につながらない。どうやら紙ぎれか紙詰まりを起こしているようだった。1時間後、2時間後とトライしたが状況は同じ。この日の送信は断念した。
 次は月曜朝いちを狙うしかない。2日余裕ができたので内容の追加を始めた。この時点で総量22頁。35頁は突破したい。
 日本時間日曜深夜。取敢ず書けるだけかいた。合計36頁。今度はファックスが通じた。土曜の当直が紙を補給したのだろう。それにしてもファックスモデムは便利だ。送信終了が午前5時。さすがに疲れた。
 翌日、昼に起床。M田さんにファイルを送らねばならない。手元にプリンタがないので、M田さんに出力と郵送をお願いした。ところが肝心のファイル転送がうまくいかない。2ブロック送信したところでハングアップしてしまう。
 圧縮をやりなおしたり、ComNiftyを解凍仕直したり、違うAPからアクセスしたり手を尽くしたが、全て空振り。万策尽きてM田さんに電話した。事情を説明したら、町田さんからish での送信を進められた。
 ish でバイナリーメールをテキスト形式に化けさせて送信を始めたが、途中ノイズが混入して不成功。仕方ないのでタイムパスを使うことにした。
 GO TYMPAS で名古屋APを調べアクセス。ところが変換後のテキストは 300行を越えていた。くそ、ファイルを分割せにゃあかんか!と思ったが、ものはためしで元のバイナリーファイルを送信してみた。今度はあっさりと送信できた。どうやら送信を拒んでいたのは回線ノイズのようだった。
 電話でM田さんに送信成功を連絡、1時間後アクセスしたら出力完了のメールが届いていた。もはや京都に足を向けて寝られない。


1993年10月13日

 いわゆる専業主婦は、フランス人女性でもかなり多いはずですよ、とくに地方では。ただし、職業という概念ではないはずですね。「職業」は雇用契約が前提になっている発想だと思います。「結婚」も契約行為の一つですが、こりゃ雇用契約ではないし(どっちが雇用者だか)。
「主婦」に近いニュアンスとしては、femme au foyerもあったと思う。
 自由業「 profession liberale」は職業分類にもありますが、写真家とか画家、通訳、フリーライターを指すようです。要するに定期的かつ一定した仕事ではない、という意味ですね。特定の会社に所属していないのであれば、職種によっては「自由業」でしょうが、一般形容詞で表現するなら、independant か autonome だらふか。
 コンピュータ関係の技術者は、「ingenieur informatique」でしょう。これはハード、ソフトのいずれにも適用できたと思います。
 実は以前 Lexiques informatiques 、Lexiques telematiques を何度かアップしまして(前野さん入会の前です)、DLにアップしようと思いつつもついついほかしてしまった。ファイルをパリに置いてきてしまったので、今月末以降のアップになると思います。
 computerはordinateurです。compteurというとレジ、calculateur だと電卓、あるいは機械式計算機(こりゃ博物館モノだわ)になってしまいます。パソコンは microまたはmicro-ordinateur、ordinateur personnelです。
 informatiqueはナカナカ便利な単語で、名詞として「情報科学」「計算機科学」という意味があるほか、形容詞として「コンピュータの」「情報科学の」という意味で使えます。
 新しい用語は和仏に載っていませんので、実績ある和仏でアタリをつけて、専門用語の仏和辞典を引かざるをえません。白水社の理工学仏和辞典はかなり網羅していますね。


1993年10月10日

 辞書で全ての単語を調べ終ったら、それらを改めて表計算ソフトEXCEL に入力する。動詞や形容詞は無論原形に戻す。また、あまり一般的でなさそうな単語、固有名詞は原則割愛する。知らない単語を全て覚えようという野望は危険である。少なくとも江下のような30オジンには自殺行為でしかない。「情報を集めることと捨てることは同じである」という原理を忘れてはならない。
 こうして選択された単語は、江下の場合、一つのLecon で90くらいである。
 具体的な暗記方法は次の通りである。
 表計算画面の第1列には連番を入れる。第2列には乱数、第3列には仏語、第4列には訳語を入れる。第5列は空白、第7列〜11列はスコア用にリザーブ、そして第6列は7〜11列のスコア合計列とする。江下は経験上10日間をワンクルーとしている。
 初日、対象Lecon のテキストを一度音読する。さすがにパリ市民となって1年以上なので、初見でも結構速く読める。前は3度読み返した。音読後、画面を狭め分割を利用して左半分は第4列のみ、右半分は空白の第5列を表示させる。そして訳後を見ながら元の単語を入力する。テキストを読んだ直後だと、知らない単語でも3割以上が短期記憶に残っている。分からなかったりミスった単語があれば、スコア欄に「1」を入力する。初日なので、第7列をスコア欄に用いる。
 次に、入力欄に用いた第5列を消去し、第7列をキーにして降順でソートする。リストの始めの部分の方が覚えやすいという原理に従い、分からなかった単語を常に前に持っていく。ソートしたら今度はスコア1の部分に限り、再び同じことを繰り返す。できなかった所はスコア欄に1を加える。2度駄目だった単語はスコアが2になる。
 答えられない単語がなくなるまで、同じことを繰り返す。ただし、最大でも4回に留める。合計4回も繰り返すと、ほぼ全ての単語がパスされるが、それでも2、3個はスコア4、つまり4度とも正解が得られない。そして5度目は全単語を対象に最終テストをする。初回でパスした単語でもいくつかはもう忘れている。できなかった部分には、スコアに1加算。
 第二日、スコア欄として第8列を用いる他は初日と同じ。オープニング画面は第6列(スコア積算)をキーとして降順にソート。
 第三日、スコア欄として第9列を用いる他は第二日と同じ。この頃になると、スコアなし、つまり初見で大半が正解となる。最大スコアもほぼ2でストップ。従って、4回目が最終テストになる。最後にセーブする前、単語順序を第6列を第一キー、第二列(乱数)を第二キーとしてソートする。
 第四日、テキストの音読はやらない。テスト方法も少し変える。まず第5列を入力し終り、答え合わせのため画面左側を第3列にスクロールさせたら、単に単語をチェックするだけでなく、訳語を口ずさんでみる。調べた通りの訳語が出てこなかったり、単語にミスがあったらスコア1を加える。3日の努力でノースコアが大半を占めるようになるが、仏和テストを追加する結果、再びスコア3、4が続出する。
 第五日以降。第四日に同じ。スコア欄は初日に用いた列から上書きしていく。10日経つと正解率は95%程度になる。集中テストは取敢ずこれで一段落させ、次のLecon に取り組む。ただし、次のLecon の10日間中、2日置き程度の割合で第4日に準じたチェックを行う。従って、常に2つのLecon がオーバーラップする。
 この先も記憶のメンテのための方法などあるのだが、話しがややこしくなるので省略する。


「知らない単語を全部リストアップ」という部分が少し説明不足だった。江下のノウハウを細かく紹介してしまう。
 現在使用しているテキストは、NSF3である。まずテキスト部分を全てWP入力した。テープ対象以外の部分も含めると、大層な量になる。WP入力したテキストはDTPソフトを使い縦2コラムの様式で出力した。最近は安いプリンタでも出力が美しいので助かる。
 次に文章を眺め、知らない単語に赤ペンで下線を引く。引き終ったら、辞書で意味を調べ、出力した紙に書き込む。
 ここに一つのポイントがある。書き込む訳語は原則一語、せいぜい二語、ごく例外的な場合に限り三語に留める。自分の記憶力などたかが知れている、この姿勢に徹するならば、一語一訳に徹するべきである。そうなると、当然ながら書き込む訳語は最も代表的な意味に限られる。
 文中で用いられている意味が、代表的訳語と異なる場合はどうするか? 代表的訳語と前後の文意から推測できそうであれば、一語一訳で押し通す。推測が厳しそうなら、やむなくその訳語も加える。
 さて、覚える方法はこれだけでは終らない。江下はパソコンをフルに利用した記憶方法を提唱したい。単語カードは時代遅れ、などと騒ぐつもりはない。ただ、パソコンという便利な道具を使わない手はない。語学勉強にもいろいろな道具を用いる姿勢を推奨したい。
 具体的方法は長くなるので次のメッセージに書く。教訓だけ先に示しておく。

[教 訓]
 知らない単語を全部覚えようという姿勢は必ずしも効率的ではない。同様に、多くの訳語を一度に覚えようとしても、それは負担が大きすぎて長続きしない。一日10語覚えて十日で100 語覚えようという方法は、記憶のメカニズムから考えて不適当。一日100 語覚える努力を十日繰り返した方が効率的。これは個人差があるかもしれない。人によっては一日200 語を20日繰り返した方がいいのかもしれない。
 記憶保持には記憶のリフレッシュが必要である。継続は力なり。継続しやすい方法がベストである。


1993年10月09日

 語学学校が用いている代表的テキストは、

 Nouveau Sans Frontier 1〜4
 Espace 1〜3

 の2つです。いずれも日本のフランス語学校だけでなく、フランスにある外国人向けの語学学校でも採用されています。無論、この他にも Avec plaisir とか Bienvenu なども用いられておりますが、本科ではNSF やEpace が採用されていますから、本格的な勉強を目指すには必携といえましょう。
 出版社は確かNSF がCLE INTERNATIONAL で、ESPACE がHACHETTE だったと思います。いずれも紀伊国屋などで購入できます。テキストの他にも練習問題や教師用アンチョコが別売されています。
 最近は Espace を採用する学校が増えつつあるようです。個人的にはNSF の方が実践的でとっつき易いと思います。単語数は Espace の方が多いようです。
 巻の数字はレベルに対応しますから、初心者はNSF1またはEspace 1が対象になります。
 テキストのテープは初心者こそ必要だと思います。中級以上になったら、多少背伸びをしてでもラジオに耳を傾けたり、朗読テープを聞くなどの応用が効果的です。いずれにしても、場数を踏まないことには上達はありえない(場数を踏んでもいまいち上達できない自分が悲しい (;_;))。
 早口のフランス語が徐々に解読できる時の感覚は、何となく雪がとけて地面が見えてくるような気分です。あるいは冷凍したステーキ肉が解凍されるような感じだらふか。


 和仏辞典で覚えた単語を使って文章を作る方法は、単語を覚える手段としては正解だと思う。日本語でもあるテーマを使って作文するという方法は、言葉のニュアンスを把握する有効な手段になっている。ただ、別の目的を持った作文では、自ずと話しが異なる。これは了解してもらえると思う。
 参考文献の表現を借りるという方法は、実に有効な手段である。外国語で論文を書くとき、まず「真似る」というのは重要な原則である。情報サービス業では「一冊から抜き取ると盗作だが、五冊から抜き取れば創作になる」という格言がある。使える引用文献を探すのも、能力のうちである。
 不幸にして自力作文を求められるときは、やはり語彙力が必要である。ではどうやって語彙力をつけるか? 三つの段階があると思う。

(1)とにかく一単語一訳語の原則に従って頭に叩き込む。
(2)仏文に頻繁に接し、叩き込んだ単語をモノにする。
(3)モノにした単語を作文や会話で使う。

 ここでは(2)が重要である。江下が実践している方法を公開する。

(1)の方法
 NSF3やEspace 3をざっと読んで、知らない単語は全てリストアップして機械的に覚える。以前は並行してテキストも朗読していたが、最近は面倒臭くなったので省略している。でも本当はやった方が効果的である。辞書や単語集を片っ端から覚えるという手もあるが、テキストから調べた単語の方が覚え易いと思われる。これは好みの問題である。

(2)の方法
 興味をそそる内容や専門分野の雑誌などを極力眺める。江下の場合、パソコン雑誌、自動車レース雑誌、すけべ本をよく眺める。(1)で叩き込んだ単語に遭遇し、何とか意味がよぎってくれば結構記憶に残る。
 単に語彙を単独で覚えるだけでなく、文脈の中で意味を引き出せるようにならなければ、「覚えた」ことにはならない。単語表を見ている時は意味が浮かぶのに、実際のナマの文章では案外と浮かんでこない。人間の記憶など、案外と環境に影響されがちだという証拠である。

(3)の方法
 前回書いた通り。

[結 論]
 語彙を増やす方法は各人各様だと思う。一番自分のスタイルに合った方法を探すことが大切である。その場合、実際の読解、会話、作文で使えなければ意味がないことを意識しなければならない。「覚える」行為と「用いる」行為とは、常に並行して進めるべきであろう。これが本質であり、その実現手段は個人にあったものを考えればよい。


1993年10月08日

 語彙力が増すにつれて、作文のスピードは急激に加速したようだ。一見当たり前のようであるが、細かく考えてみると興味深い現象もある。
 まず第一に、和仏辞典よりも仏和辞典を利用する割合が圧倒的に増えた。単純に考えれば、語彙力が増えれば辞書そのものの利用頻度が減るはずである。ところが、和仏は確かに少なくなったとはいえ(極端な場合、全く使わない)、仏和を引く回数は相当増えた。結果的に、辞書を引用する頻度にはあまり変化がないように思われる。
 第二に、最初に書き上げた文章と最終的に仕上げた文章が、全くといっていいほど変わるようになった。実はここにポイントにある。
 外国語で文章を書くとき、一番危険なことは知らない単語を用いることであろう。和仏辞典の罠はここにある。どんぴしゃの例文があればともかく、場違いな表現を拾ってしまうリスクは大きい。重要なことは、自分の知っている範囲の語彙で、何とか表現することだと思う。会議室でも再三「1000語知っていれば」ということを指摘したが、まずこの1000語の中で一度文章を組み立てる。この場合、和仏辞典は忘れた単語を思い出す手段であり、仏和は表現のチェックに用いる。いずれも新しい単語を探すものではない。こうしてできた文章は、ネイティブが見なくても稚拙なものだ。大抵の文はjeで始まり、使っている動詞もetreをはじめ、簡単なものばかりということが多い。
 これをブラッシュアップするのが同意語辞書やシソーラスである。最近の仏文ワープロには同意語辞書も付属されているため、ほとんど漢字変換と同じ要領で単語を検索・置換できる。一度書き上げた文章全体を眺め、いまいちと思われる部分を置き換える。この時、始めて見る単語は仏和辞典で調べる。それでも不安が残る時は仏仏で調べるが、経験上稀である。大抵は仏和で妥協する。同意語でおさえてあるから、場違いな表現を拾うリスクは少ない。
 こうして修正を施すと、結構それらしい文章に仕上がっている。無論、ネイティブ・チェックをかければ真っ赤になる。しかし、自分の限界を見極めておくことも重要であろう。あまり懲り過ぎず、そして謙虚に指摘箇所を覚えておく。場数を踏めば、自ずと便利な表現も覚えられる。
 さて、以上は私のノウハウです。「ここは違うんじゃないか」「私はこうしている」というご指摘は大歓迎です。コメントをお待ちします。


1993年10月07日

 昨夜、ちょっと用があって学長に電話した。フランス語を喋るのはほぼ20日ぶりだった。一応話すことのシミュレーションはしておいたのだが、いざ本番となるとボロの出っぱなしだった。学長からは2度「Massa, Je ne comprend pas votre question. 」と言われてしまった。
 これはまずい。19日にはmemoire のsoutenanceがある。30分の発表と45分の質疑応答をこなせるかどうかが心配になった。尤も、肝心のmemoire がまだできていない。
 しかしうれしい知らせもあった。パリの留守宅に滞在中のJ君に送って貰った forme de memoire によると、頁数指定がなくなっていた。昨年度版には70頁ダブルスペースとあって、これがプレッシャーになっていた。いくら速筆と言っても丸4日はかかる。指定がなくなればこちらのものだ。50頁を目標にしよう。しかし、プリンタをどうしよう。京都のM田さんの所まで行くしかないだろうか。
 日本滞在もあと10日となった。フランスに帰りたくなった、と言えばいかにも気障なセリフに聞こえるだろう。しかし、これは単に自分の生活臭のある所に戻りたいという、素朴な欲求なのだ。横浜の実家には自分の部屋がない。一人で住むようになってから、親たちが家を越してしまった。そのせいだけでもないのだろうが、日本に帰ると懐かしさよりも所在なげな気分に陥ることが多い。
 山荘オフの後は移動の連続だった。日曜は渋滞を避けるため、夜遅く横浜に戻った。不景気なので人手がまばらだと思ったのに、中央道は混雑していたようだ。混むわけないよ、と言って見送ったK下くん達には悪いことをしたと反省した。夜、Pさんから電話が入った。雨からは逃げられなかったそうだ。T辺は間違いなく濡れナベになったのだろう。
 月曜は夕方再び原村へと戻った。翌火曜は、朝早く諏訪インターを目指した。家とは反対方向である。松本インターからR158に出て安房峠に向かった。上高地の入り口釜トンネルから峠への急坂の途中、紅葉の始まったV字谷が美しかった。山並の間には前穂高の急峻な峰も窺えた。
 安房峠には正午半頃に到着した。さらに高山を目指す。高山から荘川村、白鳥町と国道を辿る予定だったのが、途中で間違えて白川町に行ってしまった。「鳥」が「川」にバケてしまった。しかし、そこには合掌部落という保存地区がある。9月にS田さんと供にパリにいらしたKさんが喜びそうな一角であった。時間がなかったので、ほとんど素通りした。
 最終目的地の勝山に着いたのは4時半だった。取材を申し込んでいた人に、町中の適当な場所から電話した。偶然のことながら、電話をかけた場所はその方のお宅からわずか50m のところだった。食事を御馳走になってから、予約をしてもらったホテルに戻った。広くて奇麗な設備に驚くほど安い宿泊料。オフシーズンとあって、貸し切り状態だった。大浴場にのんびりとつかることが出来た。風呂から出た後は memoireを2頁書いた。APを調べ忘れたので、ニフティにはアクセスしなかった。
 翌朝、近くの史跡を案内してもらった。昼、蕎麦屋で福井式の蕎麦を御馳走になった。やや太めの手打ち麺が小さめの器に入ってきた。中にはやや粗目のきざみネギだけである。それとは別につゆの入ったどんぶりが出てきた。つゆには大根おろしが混ざっており、これをおたまで器にぶっかけて食う。面白い食べ方だったが旨かった。20代前半であったら、8皿は食えただろう。また食ってみたい。
 1時頃福井北インターから北陸自動車道に乗った。途中、上下線でねずみ捕りをやっていた。燃費運転に徹していたので、何なくクリアした。暫くパッシングライトを出しまくった。擦れ違いざまのトラック何台かが手を上げて応えた。いいことをしたという充実感にしばし浸った。
 夕方、カミさんの実家に着いた。夜になって何度目かのアクセスをした。突然sendでメッセージが来た。UST2でIDを調べたら、Mちゃんだった。2度ほど短いメッセージの応酬後、長いメッセージを送ろうとしたら、するりと逃げられてしまった。
 そして今日になった。memoire は今日が勝負である。ああ眠い。


 ごく個人的な経験から考えると、日本人にとって、フランス語の発音は英語よりも馴れやすいと思います。綴りと音の間が規則的ですし、子音が必ず母音と組み合わされているのなどは、覚えるまでは大変かもしれませんが、案外扱いやすいのではないかと思います。英語の発音で苦しむ人は、いわんやフランス語をや、と思うかもしれませんが、米語より素直な音が多いことは間違いないと思います。ご安心あれ。
 とはいえ、ネイティブの域に達することは、英語より難しいかもしれません。あまりに微妙な差が多いですから。このレベルは外国人の後天的学習では到達不能とも言われています。
 生活していて痛感することは、一字一字の正確な発音ではなく、文章全体としてのスムーズな流れが重要だということです。そのためには、個々の単語で発音練習もさることながら、まとまった文章を朗読することが重要になります。これは特に中級クラスでの課題でしょう。私はSans Frontier 2 のディアログは全て暗唱できるようになるほど、繰り返し何十回も朗読しました。最初はテキストを読み、ある程度馴れたらテキストを眺めると同時にテープを聴き、テープ速度に合わせて朗読しました。それにも馴れたら今度はテキストなしで朗読に挑戦します。
 SF2 のようないいテキストですと、ディアログの暗唱は実会話にも役立ちます。我々はどうあがいたって、暗唱した文章以上にスムーズな表現を実現できません。こういうようにして得た持ち駒の数が、会話力のバロメータだと思うのです。それに、有名な小説の一説や詩などは、暗唱できればちょっと自慢できるでしょう?(^_=)
 この方法の弊害を一つ。固有名詞も一緒に覚えてしまうので、思わずそれが口をついてしまう。私は列車の発車時刻を尋ねるとき、ついつい
 Quels sont les horaires des trains pour Perpignon?
 と言ってしまう。別にPerpignon に行くわけでもないのに。
 付け足しですが、意識して区別に気を付けるべき音は、
 -in, -an, -on (e.g : cinq-cent-son)
 -e, -eu, -ou, -u (e.g : le-leur-loup-lu)
 ch-,s- (e.g : chat-sa)
 ですかね。早口でやると、案外間違え易いものです。


1993年10月04日

「r」の発音練習には、うがい、それも水なし(!)のうがいを繰り返すことが、案外と効果的です。要は咽を鳴らす練習ですね。
 この際、単に咽だけで鳴らそうとするのではなく、腹から息を出して、その勢いで咽を震わせるようにすると割と簡単に行えます。「r」の発音の基本は咽にある「もう一つの唇」を用いるころですから、腹式呼吸の要領がコツになるようです。
 咽を鳴らすことに馴れたら、次は唇の形をあれこれ変えながら鳴らす練習をしてみると良いと思います。同じ「r」音でも前後の発音によって、発音のしやすさが異なるからです。grand と trop では、後者の方が発音しやすくありませんか?
 フランス語の「r」音は、厳密に分けると30種類以上の違いがあるそうです。「h」音に似た場合もあれば、巻き舌の音に似た場合もあります。極端な話し、「l」音とほとんど同じこともあるらしい。ある程度馴れてきたと思ったら、無理に咽をぶるぶるさせるのではなく、さりげない音を出すようにする方がよいようです。完璧と思われる「r」音でも、変に強調されるとかえって伝わりにくくなるようです。



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