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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
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■ 1994年09月 アーカイブ

1994年09月24日

 Cafe avec Glaces だと、いわゆるコーヒーフロートじゃないだろーか?
 ガレットにアイスをのっけるくらいだから、ホットコーヒーにぼてって乗せても不思議はないように思うけど。
 この夏日本にいたときは、とにかくアイスコーヒーを飲みまくりましたぜ。ニッポンの味だからねえ。
 スイスのベルンで「あいすこおひい」といえば、「コーヒーひとつ」って意味になりますね(笑)。おそるべし、スイス訛である。


 会社に入って最初にやった調査が、某市のテレトピア計画実施計画書づくりでした。ニューメディア・ブームのまっただ中にいたわけです。いまにして思うと、まったく別のアプローチな必要だったと悔やむことしきりですね。
 で、いまのマルチメディア本なんかを見ると、10年前のパターンそのものでしょう? 会社の後輩にそれを言っても、まっただ中にいるとなかなか納得できないみたいで……。そんなわけで、いま出しているマルチメディア本の企画は、10年前の復讐戦といったおもむきがあります。
 もう一つ、自分でもうまくやったなあ、と最初に思ったプロジェクトがデータベースの調査でした。そのテーマがマルチメディアだったんです。
 86年の5月、その関連でアメリカにも調査に行ったんですが、このときNYで開催されてた National Online Conference で、はじめてパソコン通信のデモ——たしか Delphi だったと思う——を見て、どえらくショックを受けた覚えがあります。それだけじゃなくて、マイクロソフトが第一回CD-ROM会議で発表した、マルチメディア電子百科事典に打ちのめされた。
 こりゃ、とんでもない時代になるなあ、と思ったんですよね。


1994年09月23日

 わしらの校舎って、進学前年に建ったばっかだった。だから、当然全館冷暖房完備だったのだ。おかげで夏は寒かった。工学部の連中が、すげえ羨ましがってたのである。
 黒板も電動スライド式(うう、なんかえっちなひびき)で、ボタンひとつで上下が入れ替わったんだよねえ。初めてみたとき、けっこうたまげてしまった。
 3年の冬に、フランスの大数学者グロタンディック(だったと思う)が、集中講義をやっていたような気がする。


1994年09月16日

 ぼくがもといた会社では、たしかにワーキング・ハイってのがありました。忙しさがピークを超すと、異様にハイな気分になってしまう。
 チームでやっている仕事になると、ほぼ全員が同時にハイ状態になることもある。まあ、野郎ばっかでしたから、それこを下ネタをかっとばしながらキーボード叩いているんですわ。ハタから見たらキチガイ集団でしょうね。
 年間残業タイトル四部門というのがありました。年間トータル、月間最高値、三ヶ月トータル最高値、深夜残業比率の四部門です。これまで三冠王はいるんですが、四部門制覇はいませんでしたねー。達成する前に過労死しそうだけど。在職中では、年間約 1,500時間、月ピーク 254時間、三ヶ月トータル約 450時間、深夜比率約 70%というのがレコードだったと思う。ほんま、身を削る商売……。


1994年09月15日

 セナの「神を見た」は本当だと思っています。もちろん、それは錯覚や幻覚といって片づけることもできるでしょうが、選ばれた人間のみの体験できる奇跡の一瞬というものが、たしかに存在すると信じています。まあ、大脳生理で説明できるかもしれないけど、「奇跡の瞬間」といったほうが、ロマンチックな響きでもあるし。陸上短距離の選手でも、「神を見た」現象はあるみたい。こういう一種のトリップは、われわれ凡人にもあるんじゃないでしょうか。神がかったような状態になるってやつですね。
 ぼくも仕事で文章を書いていて、「手に神が宿る」ような気になったことが二度ほどあります。まあ、ギリギリ追いつめられていたときなんですけど、キーボードを叩く手が、次々と文章を仕上げていく。この日一日で、ぼくは400字詰め換算で240枚の原稿を書き上げました。ただ、その翌日から三日ほどは、完全にだしがら状態です。たぶん、絶望的状態で、右脳にターボがかかったのでしょう。「火事場の馬鹿力」ですね。でも、どっちかというと、ぼくは神よりも稿料振込通知を見たい。
 一度こういう甘い汁を吸ってしまうと、「原稿なんぞいつだって書けるぜぃ」というゴーマン気分になり、途端に納期破りの常習と化してしまう。


1994年09月14日

 サマー・タイムといえば、始まる日は一時間損した気分になり、終わるときは、朝、余分に一時間眠れる歓びに尽きます。個人的には、絶対にサマータイムはあったほうがいいと思う。そして、できれば標準子午線を、明石ではなく根室あたりに設定する。となると、夏の日没が東京で九時ぐらいになるんじゃないだろうか。
 こうなると、ぜったいに働こうという気分がなえるので、体にはいいと思うのですが。


 PowerBook の購入では、このバカンス遅れに助けられました。アメリカの業者がうっかりパリに送ってしまったのですが、業務の滞りのおかげで(笑)、通関前に返品することができたんですわ。もし通関させとったら、日本よりもケタ違いに高い関税&間接税が待っていた。
 その店に昨日別件でファックスを送ったら、
 I recall the terrible trouble you had to go through.
 なんて書いてありました。


1994年09月12日

 アルバム「Lose Again」が好きです。「Blue Bayou」と「It's so easy」は、ほぼ同時期にビルボードのトップ10入りしましたね。それぞれ、3位、4位までいったんじゃないかな。たしかあの時期は、デビー・ブーンの「You Light Up My Life」が11週連続トップをとったときだったような気がしますが……。夢中になってAT40を聴いていた時代でした。
 その次のアルバムが、たしか「How Do I Make You?」でしたっけ? 突然ニューウェイブに走っちゃったんですよね。でも、エルビス・コステロの曲がこれまたリンダの声にぴったしだったなあ。(T^T)←遠い目をしている。


 欧州中央時間との時差は、今は7時間、もうすぐ8時間ですね、サマータイムが終わるから。
 きのうのTF1は、アレジの初ポール・ポジションでエキサイト気味であった。


1994年09月09日

 テクニカル・タームならフランスでも案外と英語が通用すると思うでしょう? けっこうこれがあきまへんねん。エンジニアやプログラマは大丈夫なんですが、学校の研究者なんかだと、フラ語ぢゃないと駄目なことが多いんですよ。
 今でも思い出すのが、表計算ソフトを使ったときのことです。ぼくは「乱数」を使いたかったのね。でも、フランス語版エクセルは、関数の略号もすべてフランス語基準になっていた。だから、RAND()なんてのがないんです。
 でも、わしゃ「乱数」をフランス語でなんちゅうかなんてわからんかった。こりゃ、困りましたね。相当英語の得意なやつでも、意外と random って単語を知らなかった。で、あれやこれやで、ようやく aleatoireに到達したのでした。
 あと、「階乗」なんてのも困りましたね。まあ、これは「!」っちゅう記号が万国共通なんで、すぐになんとかなりましたが。
 プリンタのインク・カートリッジを買うときも苦労しましたぜ。なにせ、cartouche なんて知らなかったから。
 字体を「police」というのは、字体名が都市の名前だから、という説がありました。本当かどうかしらんけど。


 今回の旅行で見かけた単語や表現でござる。

(1)autoroute にて見かけた標識
 Fatigue - Danger
 Detente - Securite
 Utilisez le frein moteur

「アクセルを緩めよ」はデンタントなんですね。

(2)レストランにて
 Installez-vous!

「どうぞお座り下さい!」は、s'installer だったのね。


1994年09月08日

 ついさっき、南仏小旅行から帰ってきたのである。
 予定は二転・三転したけれど、細かいはなしは後日旅行記をアップするまでお待ちあれ。
 今回、一番印象に残っているのは、モンテ・カルロの Monte de Beau Rivage 頂きから眺めたハーバーであった。


1994年09月04日

 たいていのガイドブックには、「端数を払っても理解してもらえない」と書いてることが多いと思います。ぼくもかつてコラムに同じようなことを書いてしまった。でも、おつりの渡しかたは、どうやらかなり変化しているみたいです。

例1:46,60Frsの買い物をした場合
 スーパーであれば、ほぼ確実に端数分の小銭を要求されるでしょう。また、要求されなくても、サンチーム部分は客のほうから出す場合が圧倒的に多いように思われます。
 レジを使わない一般商店の場合、サンチーム部分は要求される可能性が高いし、客も進んで払う場合が多いと思う。ただ、単純に 100,60Frs とか 106,60Frs 払った場合は、店のひとをとまどわせるかもしれない。

 例2:52Frs の買い物をした場合
 駅などでは端数を要求する可能性が高い。現にきょう、ぼくは駅で Carnet を買ったけど(41 Frs)、「1フランないか?」と聞かれました。

 で、日本式に端数を払うための方法というかコツがあります。最初に「○○フラン△△(←端数分)あるよ」と宣言しちゃうんですね。こうすれば、たいていの店でも希望通り(?)の釣り銭がもらえると思います。
 例1であれば、こんな感じになります。

- Ca fait 46 francs 60, Monsieur.
- Euh... J'ai 6 francs 60
- Tres bien.
- Voila 6 francs 60...et ...cent francs.
(このとき、6,60Frsをまず出して、少し間をあけてから 100Frs 札を出す)
- Dix et cinquante, qui font cent francs!
(相手は、おそらく 60Frs と品物を添えて「100Frs」というはず)

 彼らの内的計算を推測するに、106.60 - 46.60 = 60 とはやっていないと思います。6,60Frs を確認して、まず 46.60 - 0.60 = 40 とする。だから、この段階で、彼らの脳裏には「40Frs のブツを売る」という変換が行われるんじゃないだろうか。で、店は「40Frs のブツ+60Frs の現金」とぼくの 100Frs を「交換」する、と。


1994年09月03日

 すごーく有名なジョークだけど……無人島に男二人、女一人が漂流したら……。
 イギリス人なら、誰も紹介してくれる人がいないので、男は二人とも手出しをしかねるだろう。
 アメリカ人なら、三人で毎日よろしくするだろう。
(注:アメリカ人には複数バージョンあるらしい)
 フランス人なら、女は一人と結婚し、もう一人とコキュするだろう。
「二人の社会」というのは、対立と妥協の単純な構造があるだけですね。それに対し「三人の社会」になると、必ず陰謀が加わる。だから、ストーリーとして格段に面白くなる。
 中国史の中で三国時代が群を抜いて面白いのは、やはり三分鼎立構造があったから……とすると、話しが大げさすぎるか。
 話しを戻すと、最初、A、B、Cの三角関係があったとする。ぼちぼちBが勝ち、Cが負けるという決着が付きそうになったとする。そこに、Cの友人Dが現れAB関係をぶちこわし、今度は新たにACDトライアングルができる。ところが、Cには長年の恋人Eがいた!
 ACEトライアングルが水面下で進む。さらに、冷たい恋人Cに嫌気がさしはじめたEとDがいつしか深い仲に。AとC、EとDで収束に向かうかに見えた関係に、最後はBの復讐の陰謀が……。
 やっぱり三角関係は無限の螺旋構造を生み出す要素でんな。



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