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過去の日記一覧


この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
■ 時事ネタカテゴリー

カテゴリ「時事ネタ」に投稿されたすべてのエントリのアーカイブのページが、新しい順番に並んでいます。
一つ前のカテゴリーは、「映画」です。 次のカテゴリーは、「本や雑誌の話」です。

1995年12月18日

 池袋で友人たちと食事をした帰り、順調に流れていた国道246が突然詰まった。何事かと思ったら、車が一台、炎上していたのである。たまたまデジカメを持参していたので、横を通過中に何枚か写真を撮影したのだが、窓越しでもかなりの熱が伝わってきた。

1995年11月06日

 オープニングでいきなり「TOKYO GAGAGA」の大絶叫ではじまり、どえらく騒々しかった。日本側のおもなコメントは中森昭夫がやって、あとはコミケの風景を流したり、社会心理学者のコメントをはさんだり、なつかしのDカップねーちゃん中村京子の出張SMショーなんてのも映しておった。
 二時間番組だったけど、途中で飽きました。それほどおもしろいとも鋭いともおもわなかった。あんなの放送するよか、中島梓さんの『コミュニケーション不全症候群』を翻訳したほうが、よっぽどええと思うわ。でも悪文満載のこの本、翻訳は至難だと思うけど。


1995年09月08日

 日本でのいまのフランス叩き、ぼくは一過性の『いかがなもんか症候群』だと思います。次の観光シーズンには相変わらず LV 前に行列ができて、みなフランス・ワインを嬉々として味わっていることでしょう。
 でもまあ、そういう状況相対的なところが、あるときは優柔不断であっても、別のときには臨機応変になるわけだし。忘却を得意技とするのは、懲りないという面もあれば、過去にとらわれない、という側面もあるわけで、まあ、ケースによっていいところも悪いところもある、ということでしょう。
 フランスの政治家は、断固として国益を主張し通しますね。これがなんだかんだいっても、政治が(ある程度は)信頼される要因じゃないでしょうか。国民だって国益はなにか、それを実現してくれる政治家は誰か、という視点で投票しているはずだし。すくなくとも国政レベルではね。
 思うに、平均的日本人は「国益」という意識が希薄なんじゃないだろうか。それどころか、国益追求=国家エゴ=国際社会にあるまじき態度、なんて感覚があるんじゃなか。すくなくともヨーロッパでは、外交=エゴのぶつけあい、という常識があると思うけど。
 いまのフランス叩きが続きと、日本人観光客が減るのかな、やっぱり。そうなると10月の航空機がすくから、わしはすごくうれしい(笑)。
 Baujolais Nouveau だって、みんなが飲まなくなればかえって安くなっていいのでは? 『いかがなもんか症候群』の人たちはほかしておいて、自然体で楽しめばいいんだよ。ワインが飲みたけりゃ飲めばいいし、フランス飯食いたければ食えばいいし。ぼくならこういうとき、フランス人に恩を売ることを考えるかどね。


1995年09月07日

 一ヶ月前のフランスニュース・ダイジェストに、シラク大統領をアナクロだの大国主義への妄執だの、ボロクソに非難したコラムが掲載されていた。ここまでよく書くなー、と思って著者の名前をみたら、かつての会社の先輩だった。
 海外領土は「島」としてみるからちっぽけです。領海や経済水域を含めれば、主権のおよぶ範囲はかなり広大ですね。日本は数年前、沖の鳥島の防波堤工事を大々的にやったけど、これも海上の主権を守るためだし。日本領の面積はドイツと大差ないけど、主権のおよぶ範囲ははるかに日本のほうが広いんですよ。
 最近はフランスのラジオでも、日本政府の抗議を頻繁に報道している。まあ、たしかに抗議をする権利はどの国にもあるし、日本には抗議するだけの歴史的背景はあるでしょう。だけど、腰の据わらない抗議って、結果的にマイナスにしかならない。フランスというのは損得勘定のきっちりした国だから、生半可な抗議で反発を買えば、絶対に今度はEU交渉でしっぺ返しをされるでしょうね。
 ヨーロッパで一番嫌われるのは、ダブルスタンダードです。それからすると、日本の核実験反対のスタンスは、けっこう危なっかしいという気もする。個人的にはグリーンピース以外の反対理由がどーもよくわからん。豪州、NZは環境への懸念から抗議は当然だと思うけど。
 フランソワちゃんは核実験断行の政府発表を伝えましたね。フランスはやるとなったらやるでしょう。それは意固地になっているのではなく、自ら必要と信じるところは、たとえ国際世論で孤立しても実行するという、腰の据わった態度だと思うけど。


1995年08月28日

 フランスが核兵力による「presence」にこだわる理由は、海外領土を持つためだ、という意見が FDRに出ていました。太平洋の島は面積こそちっぽけだけど、領海を含めれば経済性はとてつもなく大きい。それを維持するコストでありデモンストレーションである、というわけです。
 たしかにフランス本土が侵略を受ける可能性は限りなくゼロに近いでしょう。しかし海外領土がそうとは限らないのは、かつてのフォークランド紛争が証明しています。このあたりの実情を考えないと、フランスのこだわりは理解しずらいでしょうね。
 もうひとつ、核がパワー・ポリティクスの根幹の原理であったことを、忘れてはいけないはず。ぼくの知る限り、グリンピースなどはそういう理論武装をきっちりしているはず。マスコミ報道だと、行動ばかりが注目されがちだけどね。彼らの核実験反対の根拠は、パワー・ポリティクスそのものの陳腐化だったように思います。
 どっちにしろ、腰の据わった抗議じゃなければ、ぼくはやらないほうがマシだと思っています。いらぬとばっちりをもたらすだけでしょう。


1995年05月20日

 今回のジュペ新内閣では、女性閣僚数が歴代トップだそうです。若手の思いきった登用も目立つので、新聞のなかには「女子供内閣」と揶揄しているところもあるそうです。
 女性政治家の活躍ったら、やっぱ北欧、それにインドやパキスタンでしょうか。友人の話だと東南アジアの名門家系は娘をアメリカの有名大学に留学させるんで、人材的にはすごーく層が厚い。おなじアジア人なのに、日本でなくアメリカやフランスでハクをつけるってのが、当然とはいえやや悲しかっ
たりする。まあ、たしかに日本で政治を勉強したってねえ(溜息)。


1995年03月24日

 サリンの事件は各紙とも一面トップです。こういう事件はどの都市でも絶対に起こりうる。地震と違って「昨日は東京、今日はNY、明日は巴里」という可能性がほんとうにある。しかもテロは誘発されやすいから怖い。いまアメリカが大騒ぎみたい。フランスのラジオでも連日詳細なニュースを流しているし。
 そのサリン事件ですが、きのうの Bay FM では新興宗教団体の教祖名まで含め、詳細な報道がなされていました。「オウム真理教」はきのうまでだと「secte de la verite supreme」、きょうは「あうーうむ」というよう表現しています。
 この種の事件は、世界中のあらゆる大都市でおこりうるという意味で、阪神大震災以上の衝撃を世界中に及ぼしている、といえるでしょう。ことが天災ではないから。アメリカのCIAが重大関心を示したのも当然でしょうね。
 化学・生物兵器はとにかく怖い。核兵器の脅威とかいっても、これを開発するのには膨大なコストと技術力がいる。でも、CB兵器だと殺虫剤を作る技術力があれば開発できる、なんていわれていますからね。


1995年01月18日

 18日の新聞はスポーツ紙をのぞき、すべて関西の地震を一面で大々的に報道しています。とりあえず概略だけご紹介。
InfoMatin
Le Japon en etat de choc
日本が衝撃

 一面には毛布をかかえ避難する住民の姿を伝える写真が大々的に掲載されている。2、3面はすべて地震の詳報にあてられ、寸断された高架道路に顔を突き出すバス、避難場所で毛布にくるまる被災者の写真などをまじえ、災害の概況を伝える。「地震は予知できたのか?」という問いかけで始まる記事では、ミノ・カズオ立命館大学教授が1月9日の段階で京都・大阪方面で大地震の可能性があると指摘したことを紹介している。
Le Monde Un seisme meutrier a frappe le centre du Japon
Plus d'un millier de morts dans la region industrielle du Kansai
多数の人命を奪う地震が日本の中央を襲った
関西の工業地帯で千人以上の死者が

 一面にて地震の規模、被害の概況を伝え、2面では約三分の二ページにわたり、日本の過去の地震災害を図解入りで解説する。東京からの報道をもとに、地震対策や予知の難しさ、都市で発生したときの深刻さを伝える。
Le Figaro
Violent seisime au Japon -- Kobe : tragedie en 47 secondes
日本で大地震——神戸:47秒の惨事

 一面約四分の一を、ボロボロになった三菱銀行支店ビルが占める。8、9面では誌面の半分ずつをさいて、救済活動の状況や、関西が比較的地震のすくなかったことなどを伝える。また、超現代的な関西新空港が地震に耐えたものの、運行状況が大混乱していると報道。
Liberation
Japon : sous l'empire de la terre qui tremble
Le plus grave seisme au Japon depuis 1948 frappe Kobe
日本:振動する大地の帝国
1948一年来最も深刻な地震が神戸を襲う

 一面の半分が写真で占められる。2面には神戸在住の Daily Yomiuri 記者の目撃談(Brian COVERT氏)が一ページにわたり伝えられている。三面では地震のメカニズムについて、日本近辺のプレート図をまじえて解説している。四面では「何が起こったのか?」「予知は不可能だったか?」「フランスでも生じるのか?」といった問題を質疑形式で伝える。「地震は日本では cultureの一部だ」との解説も(注:これは「身近な危機として生活に組み込まれている」と解釈すべきでしょう)
。  5、6面はほぼ全面が写真。東京が同様な被害にあったら、世界経済に深刻な影響が及ぼされるだろう、との短評が最後に出ています。
France-soir
La ville fracass{e : Le s{isme du Japon a fait des milliers de morts
破壊された都市:日本の地震は千人以上の死者をもたらした

 一面は横になぎ倒された高架道路の写真で占められている。3面も TF1テレビ画像から撮った写真が全面に。4、5面はすべてこの報道にあて、被災者の声を中心に被害の深刻さを伝える。また、フランスでも年に地震が千五百回発生していることや、マグニチュードの意味なども解説する。
Le Parisien (Page 2-4 に詳報)
Le cauchemar : terrible seisme au Japon
悪夢:日本の恐るべき地震

 上空から撮った火事現場の写真が一面のほぼ全面を占める。2〜4面はすべてこの内容にあてられ、「目の前で家が動くのを見た」などの目撃談をまじえ、地震の恐怖を伝えている。TF1 インタビューにも登場した Air France クルーの談話も伝える。日本政府が海外からの援助申し出を断っていると、神戸と姉妹都市のマルセイユ市が、災害救助専門家の派遣を準備していることなど報道。
L'Humanite
Japon : trois villes eventrees
日本:三都市が裂かれる

 一面に高架道路倒壊の写真入りで短評。2〜4面のほぼ全体を報道にあてている。40秒という短い時間に巨大なパニックが生じた状況を伝える。大阪からの記者報告として、被災者が疲労と不安でぐったりとしていること、余震が無数生じていることなども。4面全体をつかい、地震のメカニズムを解説するとともに、地震予知でまだいろいろな議論が残されていることをしめす。
Les Echos (Page 2-3 に詳報)
Un seisme devastateur paralyse le Kansai.
地震の被害で関西は麻痺

 経済専門誌にもかかわらず、一面トップで地震の情報を伝える。関西地区が日本の PIBの五分の一を占め、日本で二番目の人口集積地であると報道。2、3面はすべてこの詳報にあてられている。AFP に入った知らせとして、関西在住のフランス人に犠牲者はいないが、フランス系企業にも物質的被害があると報道。また、関西経済が麻痺状態であると伝える。
nice-matin (火事全景の写真入り、最終面に詳報)
Kobe, ville martyre : Apres le seisme japonais le plus meurtier depuis 50 ans
神戸の受難:過去50年で最大の死者をもたらした日本の地震のあとで

 一面の四分の一ほどをさいて、Le Parisien とおなじ写真を掲載(これはロイターが提供したもの)。最終面のほぼ全体をさいて、神戸のこうむった被害を伝える。また、囲い込みのなかで、ニースと神戸が緊密な関係にあり、92年のコート・ダジュール祭では神戸市が模擬店を開設していたことなども伝える。

1994年12月10日

 ソドムは性風俗で滅びた最初の都市という説がありますね。もともと塩の交易で栄えたところだと思うけど、ありとあらゆる形態の「姦」がおこなわれたとか。旧約聖書だと、たしかロトが神さまあいてに「こころただしきひとの数」を値切ったけど、けっきょく徒労に終わってしまったっちゅう、洒落にもならない結末だったやふに思います。
 歴史的には爛熟期のローマ帝国がすごいですね。ネロ帝時代がひとつのピークでしょうか。実の母親が息子を誘惑して懐柔したってんですから。最近だと、エイズがまだゲイの病気と誤解されていたころ、「ニューヨークは現代のソドムだ」なんていう表現もあったような気がします。
 じつは同性結婚とか近親婚の概念は、社会構造を分析するひとつの手がかりになります。しかもここは文化の違いだけでなく、社会制度なんかもからんできます。
 EUでちと問題になっているのが同性結婚であります。イギリスとかオランダは認めているけど、ほかはまだあかんかったと思う。ここには純粋に社会的な問題と見るか、もっと宗教的な一種のタブーのような問題をからめるかで、まったく違う評価ができるんですよね。詳しいはなしは追々(をいをい、だったりして)。


 いわゆる「ビジュタージュ:bizutage」ですね。個人主義というのは、個人でいろいろな人脈を築くことでもありますから、一種の儀式としてこういう「経験の共有」が必要になるのでしょう。
 今年はそんなに激しいのはなかったなあ。一昨年の Chatelet あたりはすごかったけど。自律神経失調になる新入生がでたりで社会問題化しているから、最近は自粛気味かもしれまへんね。
 最近の日本の学生はあまりコンパをやらないって本当だろうか?
 ぼくらの世代だと、こぎたねえ飲み屋で春歌の大合唱なんてやったものですが。ああいうアホな時代を経るというのも、一種の「はしか」みたいなもんだと思うんですけどねえ。「よかち**ん」とか「リンゴの唄」なんて知りません?>現役学生
 ひじょーにうろ覚えだけど、フランスにも春歌のたぐいがあったような気がするんだけど。


1994年12月07日

 ベルリンの壁崩壊後のサラエボの現状は、おそらく社会学者はほぼ完全に予想していたと思います。同時に、EU統合の動きと各国家レベルの「自立」という動きが表裏一体のものという考えも、ヨーロッパのジャーナリズムでは一般的という気がします。二度の大戦で無理矢理ひっぱんた線が、EUの登場で求心力を失いつつあるわけですね。
 ほんとは「共同体とはなにか」という、社会学や民族学の基本命題に立ち入らざるをえない。日本は海という明確な境界で仕切られた領土を持ち、日本語という単一言語を話し、民族学的にも単一で億単位の人口を擁しているため、こういう問題がわりとクリアなんですね。
 統合とは、ある特定の coherenceを核にした集合の形態にすぎない。こういう視点に立てば、EUは経済メカニズムで coherenceをたもつにすぎないことがわかります。経済的な統合が生存を保証しうるなら、むしろ民俗的レベルで identite の主張が台頭するのは自然な流れでしょう。
 もともと異質の価値観が共存するためには、上位の coherenceが必要なんですね。イスラエルとパレスチナはお互いの違いを「許した」のではなくて、「生存の必要」というひとレベル上の共通認識を持つにいたり、妥協にいたったと見るべきでしょう。
 お客さんのあいだは価値観の衝突がおきにくい。「どーせあいつは違うから」で割り切れる。が、共通の住民となると「どーせ」では住ませられなくなる。上位の coherenceを見つけるまで、壮絶な価値観の攻防を展開するわけですね。
「お互いの違いを認める」なんて簡単にゃできんのだというのは、ヨーロッパに住むと実感します。


1994年11月07日

 ハート上院議員が愛人問題で大統領選立候補を断念したとき、フランスでは「もしフランスでそんなことが常識になったら、誰も立候補できなくなる」とささやかれたそうです。セクハラが話題になったとき、ル・モンドは「フランスなら管理職は全員クビになってしまおう」という揶揄をしたそうです(注:その後セクハラについては論調が変わりつつあるらしい)。
 ミッテランの隠し子はニュース専用FMでも話題に出てたのかな……って感じですねー。私生活は私生活……って割り切りが強いのでありましょう。かつて宇野元首相があの事件で辞職に追い込まれたとき、フランスの反応は「なんで?」ってな好奇心に満ちていたそうであります。
 まあ、アイジンがいよーが、隠し子がいよーが、SM愛好者だろーが、政治家としての資質は別問題だからいいじゃん、と思う。日本だと三木武吉の武勇伝が有名ですね。


1994年08月18日

 25日にパリ帰りを予定するぼくには、じつはかなり気になるニュースであります。なにしろ、こういう事件だと報復が怖い。いちばん報復の対象になりやすいのが飛行機。空港の警備や税関のチェックも当然厳しくなるでしょう。
 今回は比較的無縁と思われるスカンジナビア航空だけど、でも、非常に利己的な本音を吐くとすれば、逮捕があと10日遅れていればな、などと思ってしまう。カルロスが一時収監されていたラ・サンテ刑務所は、うちから歩いて10分たらずのところにあるんですよね。爆弾テロが心配だ……。


1994年07月25日

 ものの本によりますと、ひところ騒がれた男女のユニセックス化よりも、男の無性化という現象が顕著のようです。で、実のところこの現象がもっとも進んでいるのは日本ではないか、という指摘がかなりあったりします。
 コミュニケーション論的に考えますと、色恋沙汰は一種の「対決」なんですね。異性というまったく異なる宇宙が接触するわけですから、空間に例えると重力場が乱れまくる。SL9どこじゃない。
 それに対する逃避として、性差をはじめとするもろもろの差異を避けて自閉化するか、かえって先鋭的な差別化をはかり、周辺からの遊離をくわだてようとする——なんて解釈ができるそうです。
 中島梓のことばを借りれば、創造性のあるものはそこで分裂症に陥るか逸脱を試み、そうでないものは、オタクと化して、同類たちでぬくめあうということになります。
 グラン・ブルー世代とは、フランス版オタクなのだろうか??


1994年07月24日

 フランスではいわゆるエビアン法(俗に言うところの「禁煙法」)によって、飲食店では禁煙席を確保しなければならなくなりました。駅構内はすべて禁煙です。ただ、ぼくが見た限りでは、カフェ、レストランでの運用は、ほとんどなきに等しい状態みたいです。なにしろ禁煙席に座っていても、ギャルソンに頼めば灰皿を持ってきてくれますから。もちろん、ほかの客がクレームをつければ、灰皿は却下されるようです。とはいえ、もともと喫煙人口の高いフランスですから、そういうケースは少ないみたいですね。
 日本料理店はオペラ座界隈に集中していますが、案外とモンパルナス地区にもあるんですよ。値段はモンパルナスの方が安めです。パリだったら、やっぱり焼き鳥がうまいですね。


1994年07月04日

 この種の話題はほぼ10年ごとに繰り返されている、という印象が強いのですね。60年代の RJE、70年代の TSSベースのオンライン・システム、80年代のニューメディア、そして今度の情報ハイウェイ……。
 で、日本だと必ずインフラ整備、規制の話題が先行する。逆に言えば、インフラができて規制緩和がされれば、まあ、市場はあとからついてくるよ、みたいな楽観主義がいつもあるように思う。80年代がそうでしたね。CATVがあれば、キャプテンがあれば、それこをバラ色の社会ができるような議論があった。
 情報ハイウェイも「ニューメディア・ブーム」の繰り返しという印象が強い。
 結局、誰でも手持ちの状況でできることしかできない。だから、取りあえずできることをやってみるという姿勢が本当は重要だと思うんですよ。アメリカだと、いい意味での「踊るアホウ」が引っ張っているという感じがします。こういう「アホウ」がいないと、ビジョンだってなかなか作れないと思うんですよねえ。


1994年06月30日

 1993は droite の圧勝でしたね。たしか 400議席を越えたんじゃないかな。社会党は 100議席を切ったはずですから。状況としては、1958の割合に近かったと思います。
 余談だけど、上院って Senatなんですよね。サンマリノGP直後は、Senat よりも Sennaのニュースのほうが多かった……。


1994年04月30日

 コンコルドはたしかもうすぐ、全機償却の時期が、近づいていいるんじゃありませんでしたっけ? 考えてみれば、旅客機でマッハ2以上っていうのは、化け物でしたね。次世代機の開発はまだ始まっていませんでしたね。
 名古屋空港の事故は、F3の夕方のニュースでもトップで報道されました。


1994年03月27日

 パリのデモ隊は、ウチの前の通りとはすに交差する ARAGO通り(リュパンが脱走した(笑)ラ・サンテ刑務所の前を通る道です)を行進したんですね。テレビをみたら、なじみのカフェがちゃんと映っていました。何しろ暴動が伴うので、近所のカフェ、レストランから一般商店まで、一斉にシャッターをおろして店じまい。Les Gobelinsの駅も閉鎖、近所のスーパーも臨時休業という有り様です。
 Nationはすごかったらしい。ひっくり返された車や燃やされたごみ箱なんかをテレビで映していた。
 あさっては JUSSIEUであるらしい。
 バラデュールさんの他に、パスクワさんも槍玉にあがっていたでしょ? 韻のはいったシュプレヒコール、ぼくはデモ隊の通った交差点の二十メートル先、治安警察の武装警官隊の後ろでこそこそと聞いていたのだ。警官から「近くに行って見てくれば?」とすすめられたんだけど(笑)、身分証明書を携帯していなかったのでやめた。


1994年03月12日

 最近、フランスの各地でデモが続発しています。バラデュール内閣が提示した、法定最低賃金の引き下げ法案が原因です。これは、20%以上といわれる若年層の失業対策に考えられたものです。それによって解雇されるのではないかと心配する高齢労働者層、さらに、低賃金で雇用されることを不満とする大学・高校生が、大規模な反対デモを展開しているのす。
 モンパルナスで14千人のデモ隊が集結した、とラジオ、France Interで報道されました。報道の一時間前、そのデモ隊はウチの前を通過していったのでした。歩道だけでなく車道にまで無秩序に広がったデモ隊——オフィスの窓や商店のショウウィンドウを壊したり、駐車中のバイクやゴミ箱をひっくり返すなどを繰り返していました。ぼくがデモ隊に気がついたのも、ショウウィンドウを壊す音がアパートの四階まで聞こえたからです。窓をあけて外をみると、殺気だったひとの流れ。まわりをみると、どのアパートからも、沿道をのぞく人がたくさんいました。
 17日にはさらに大規模のデモがどこかであるそうです。


1994年02月17日

 SDF 新聞を買っている人はまだ少ない。ただ、フランス語のわからない観光客は、日本人に限らずあまり関わろうとはしないでしょう。確かにわからなければ、その方が無難なはずです。SDF 新聞を販売しているひとたちは、ちゃんと身分証明書を目のつくところにつけています。これで、意味不明のアジテータとの識別ができるはずです。
 そうそう、おとといは RERのなかでうたたねしていたら、おこもさんに「起きろ!」と怒鳴られてしまった。
 ル・モンドの今日の見出しが「アメリカが日本を脅迫」とかいうタイトルだったそうです。ちょっとまた聞き。正確さを欠く。ただ、フランスのジャーナリズムが日米通商交渉をこういう視点から報道することは、これまでの例から決して珍しくはない。
 ぼくの印象だと、通商問題で日本とアメリカが対立するとき、フランスのジャーナリズムはアメリカに対して批判的であることが多いような気がします。ただ、それはウルグアイ・ラウンドで米仏が対立していたときのことですから、今てもそのスタンスかどうか。
 確かに敵の敵は味方でしょうね(笑)。


1994年02月14日

 Le Reverbereはたしかに以前ご紹介した SDF新聞のうちのひとつです。うちの近辺では一番よくみかける新聞です。何ヶ月かまえのオヴニーにも、紹介記事が出ておりました。たしか巴里市内では三紙ほどあるはずですが、執筆そのものまで SDFたちが行っているのは、この新聞だけだったと思います。10Fのうち、6Fが彼らの収入になります。
 新卒者の失業率20%という数字はなんら改善されていないようです。全体平均でもたしか12%に上昇したと思います。高支持率を維持していたバラデュール内閣の支持率にも影響が出始めたようです。おとなりドイツも戦後最悪の失業率とかで、世間もえらく物騒になってきました。メトロで殺傷事件が続発していますので、旅行されるかたはご用心。
 欧羅巴企業の場合、景気対策を行うとますます失業者がふえるという悪循環が続いているので、当分、悲惨な状況に変化はなさそうです。景気対策に 800milliards francs——これはフランスの国家予算の半分に相当——も投入できる日本の事情が、ここ数日、驚異の念を込めて報道されております。
 今日は東京の大雪の模様がラジオで随分と報道されています。


1994年02月06日

 レンヌの暴動、テレビで見ましたけど、なんだか壮絶ですね。
 最近はパリでもメトロ内の殺人事件が多くて、やたら物騒になってる。


1994年02月03日

 以前トマ・コワントが話していたこと。
 フランスの大学生はだいたい二ヶ月の夏休みがある。そのうち前半の一ヶ月を Stageに使って社会の実務を経験するとともに、いくばくかの金を稼ぐ。残りの一ヶ月をパック・ワーキングで国外や地方を旅行する。こんなパターンが多いそうだ。
 すごく魅力的なシステムだと思った。Stage といっても、案外とダーティ・ワークに近い仕事も多いらしい。いわゆる世間の下積み的労働が多いのだ。レストランの皿洗い、売場のたちんぼ、会場の案内係、等々。
 バブル全盛期に、学生バイトの時給相場が急騰した。ぼくの会社でも、時給千円という単価をつけたことがある。それでも渋った学生がいたけれど、会社の名前がまあ格好いいということで、来てはけっこう多かった。
 待遇なんかはかなり気をつかった。言っちゃあなんだが、作業能力の知れている学生バイトごときに、だ(誤解なきように。プロに比べりゃ学生はアマチュアにすぎない、という意味)。肉体的にも頭脳的にも大した苦労もなく、それなりの金を稼げたはずだ。
 果たしてその経験は、彼らに何を残したのだろうか? 四泊五日の高級ホテル・スキーツアーだけ? まあ、それもいい思い出かもしれんが……。
 ぼくは学生時代、確かに割のいいバイトもやったが、ダーティ・ジョブも好んでやった。貨物列車に乗って一袋30kgある肥料を10トン積んだこともあるし、大晦日の早朝にビル清掃や病院の窓拭きなんかもやった。皿洗い、ディスコのサクラ、見本市のマネキンなど、職種にして20種類以上はやっただろう。おそらく、結果としてフランス人学生に近い学生生活を送ったと思う。旅行だって、ほかの学生の五倍くらいはしただろうし。
 世間を知るため、という意識は全くなかった。好奇心がはたらいたのだ。いま思うに、こうした経験を学生時代に積んだおかげで、何をやっても生活できるという妙な自信がついたようだ。30過ぎてモラトリアム学生なんぞとへらへらしてられるのも、こういう素地があったからかも知れない。
 で、何が言いたいかというと、学生よ、ダーティ・ジョブをせよ、なんてことを偉そうにのたまうつもりはない。ただ、そういうことをやらないのは、すごくもったいないなぁ、と思うのだ。


1994年01月29日

 マダガスカル近海のなまこが最近乱獲で数が減っている、というルポルタージュをF3でやっていた。取ったなまこは干物にして中国、韓国、日本に輸出されるのだそうだ。
 このルポは海に関する何かの特集だった。たまたまテレビをつけたとき、日本の捕鯨をかなり長いこと紹介していた。批判も肯定もなく、ただこれが長年の伝統文化なのだ、という視点でとらえていたのが印象的だった。


1994年01月20日

 家でとぐろ巻いてたから、そのデモはナマでは見なかった。去年の秋頃のデモ(設備改善要求)は教室にいたとき遭遇しましたが。
 ぼくは大学一年のとき、「国立大学授業料値上げ反対」のデモに参加しましたよ(笑)。今から14年も前だけど。駒場から国会議事堂まで、ちゃんと警官の先導つきで。ぼくはデモ隊の前から二列目にいました。当時の授業料は 144KY/年 でしたね。その2年前は 72KY/年、さらにその2年前は 36KY/年でしたから、むちゃくちゃなペースの値上げでした。デモの甲斐なく、授業料は翌年 180KY/年 にあがってしまった。授業料免除制度のおかげで、ぼくは学費ゼロでござった。国立大学でしかも家が自営業者だと、たいてい免除を受けられるんですよ。今はどうかしらんけど。「成績優秀=留年していないこと」なんだよね。
 パリ大学の年間授業料は 500Frs 程度。


1993年11月28日

 ホームレス新聞の先日買った号はまだ全部を読んではいませんが、目次を紹介致します。
" Reverbere : Si on parlait de toit "
Les cahiers des sans abris, par les sans abris. BI-MENSUEL FRANCAIS 5 novembre 1993 No.6
SOMMAIRE
5EMPLOIS : Tribune ouverte
6Georeges MATHIS : "Je ne suis pas l'abbe Pierre".
8Le partage du temps UNE SOLUTION?
10Le Trait d'union
11Chomage et participation
12Le Bruilard aveugle Chronique de l'indifference quotidienne
14Democratie : ou te caches-tu? S'EN SORTIR
18Devoir se demerder seul...
20CHOMAGE : Quel impact sur vos allocations familliales
22Serions-nous des supers exclus?
23La memoire courte
24Sources poubelles
26Galere de femmes
28Petites annonces
30Reverberescope

1993年11月22日

 最近は商業系グランゼコールの卒業生ですら就職難なのだそうです。フランス・ニュースダイジェスト No.197 (注:パリで発行されている日本語の週刊新聞)によると、93年 3月時点での状況は、

92年度卒就業:30%兵役:34%学業継続:21%求職中:15%
91年度卒就業:60%兵役:18%学業継続:12%求職中:10%
90年度卒就業:79%兵役:--%学業継続:--%求職中: 8%
(グランゼコール協議会調査)

 平均求職期間は4〜6ヶ月、92年度卒業生の30%が50社以上の企業にCVを送っているそうです。
 一つ判明した事実。フランスでは日本のような一斉求職、一斉雇用が行われていない。必要に応じて、随時求人が行われている。就業開始も人によってばらばら。
 ちょっと意外でした。まあ、リクルート・ルックの学生集団を見ることがないので、うすうす感じてはおりましたが。そう言えば、ぼくの同級生でも既に職を見つけたというのは、まだ二人だけだそうです(教授談)。
 求職期間中は何をしているか? 「ぶらぶらしてるよ」とはこの会議室でもしばしば登場したアブデル談。まあ彼は進学希望ですから。一般的には図書館に行って勉強したり、求人広告を見たり、教授に紹介してもらった企業を訪問したり、短期のスタージュをしたり……それで自分に合った仕事を探すらしい。ある意味では柔軟性がありますね。
 無論、夏期研修をそのまま就業につなげる学生もいる。だから研修先探しにみんな必死になるのでしょう。

1993年11月21日

 ホームレス(SDF:Sans Domicile Fixe)は浮浪者とは違います。これはぼくの勝手な感想ですが、浮浪者というのはアル中とかドラッグの常習者など、年中ふらふらしている根無し草のような人を指しているように思われます。実際、家を持った浮浪者がいてもおかしくはない。
 SDF は最も深刻な立場にいる失業者といえるでしょう。職も貯えもなく、ついに住む場所も失ってしまった人達です。フランスでは若年層の失業率が高いため、二十代のホームレスさえ少なくありません。失業率2.6%で『危機』を訴えている日本とは深刻さが違う。二十代の失業率は、一説によると20%近いそうです。社会保障だって、日本で考えているほど至れり尽くせりではない。財政赤字が深刻だから、なかなか厳しい現実なのです。
 SDF 新聞の主なタイトルは次の通りです。

Macadam Journal月刊約40万部10フラン
La Reverbere隔週約5万部10フラン
La Rue隔週約5万部15フラン
Faim de siecle隔週約5万部12フラン
(以上、OVNI no.320/2 nov.93より)

 Macadam Journal がさきがけで、ブリュッセルで発行されているそうです。ぼくが買ったのは La Reverbere でした。
 これらの新聞を売る SDFたちは、身分証明書を入れたカードを胸につけています。ですから、いかがわしい団体とはちゃんと区別できます。

1993年11月20日

 スーパーの前とか地下鉄の出入口など。
 この寒空の中、何時間も立ちっぱなしです。


1993年11月19日

 オヴニーをご覧になった方はご存じだと思いますが、現在、フランスでホームレスの人達が発行する新聞が2紙あります。たまたま今日は売子がいるときに小銭を持ち合わせていたので、1部買ってみました。
 まだ中身を見ていませんが、いずれ簡単なレポートを(できるかなぁ?)してみたいと思います。
 地下鉄の中でも売りに来ます。一瞬政治的アピールに見えますけど、失業者たちの生活のかかったな活動なのです。


1993年11月11日

 週休3日制論議は労働時間柔軟化の一環です。これまで、週単位、日単位で規制していた労働時間を、年単位の大枠だけにしようという論議ですね。それだと週4日で35時間働いて、3日休むという勤務制度も可能になる。
 それとは別に、一人辺りの労働時間を削り、新たな雇用を創出させようという法案も出ています。随分前からかな? ただ、こちらは国際競争力を落とすということで、いつも採択されていない。ジャーナリズムからも効果を疑問視されているようです。結果的に失業率を上げてしまうということで。
 フランスは個人商店主、農民など、労働人口のかなりの部分は働き者ですよ。労働時間の実態は、少なくともドイツよりは長いのではないだろうか。統計ではほぼ同じですが。


1993年08月07日

 いまラジオで土井たか子の衆議院議長就任を伝えていました。イギリスのサッチャー女史を引合に出していたのですが、その中で「damme d'affaire」という表現が出てきました。
 homme d'affaire はビジネスマンですけれど、damme の場合は政治家でも使うのだらうか?


1993年08月06日

 昨日ニフティにアクセスしたら、共同通信フラッシュニュースが「河野官房長官が従軍慰安婦問題を謝罪」と伝えていた。その十数分後、FMフランス・ア ンテールが東京特派員報告も交えてかなり詳しくこの件を報道していた。
 日本のニュースといえば、普段は経済関係ばかり。それがこのかなり大きな扱いである。かの戦争が、日本のかかわった世界史的大事件であったことを、否応なく感じさせられた。


1993年06月21日

 6月8日に政治家のユーモア大賞が政治風刺クラブによって選出されました。主な結果は次の通り。

第一位:前環境相セゴレーヌ・ロワイヤル女史
「私は我々が行ったことに誇りを持っています。そしてそれ以上に、残された課題に対しても誇りを持っています」

優秀賞:国会議員ジャック・ゴドフラン氏
「社会党員は貧しい人が好きなものだから、せっせと貧しい人をつくりだしている」

外国人特別賞:英国保守党議員テレサ・ゴールマン女史
「マーストリヒト条約に賛成票を投じるのは、七面鳥にクリスマスに賛成票を投じるよう頼むようなものだ」


1993年06月11日

 TF1の8時のニュースではトップ扱いで皇太子御成婚を報道していた。東京特派員のコメントを交え、十二単が一式14kgもするここと、古式に則った儀式が行われたこと、パレードには沿道に20万人がつめかけたことなどが結構詳しく報道された。A3など他局でもほぼ同じ扱いであった。儀式に関しては専ら「mysterieur」という形容がなされていた。
 今日の朝刊でもかなり大きく扱われ、FIGAROでは一面に古装束をまとった二人の写真を載せ、裏一面にはほぼ全面をさいて儀式の内容や式次第等を報道していた。

【主な表現・説明】
結婚の儀la splendeur de la ceremonie (kekkon no gi)
日継の皇子prince heritier du "trone des Chrysanthemes"
十二単衣juni-hitoe, volumieurx kimono de soie vert et jaune a traine blanche, forme douze epaisseurs et pesant pres de quatorze kilos
おすべらかしに結いse fait coiffer selon la manierr traditionnelle du "osuberakashi"

 ちなみに、以前話題になっておりました「キャリア・ウーマン」は "career woman" でございました。

1993年05月13日

 前大統領と言っても、現大統領が10年以上も続いているので、はてさて誰だったっけな?と思わず考えてしまいました。そーかそーか、王位継承権もあるとかいうあの人か、と1分ほどしてようやく思いだしました。
 思えば、ミッテラン、レーガン、サッチャー、コールといわゆる西側指導者達は少なくとも数年は権力の座にあるというのに、この間日本では一体何人が位人臣を極めたのでせう? 上がコロココ代わっても経済的発展では他国を圧したということは、考えてみれば、それだけ人よりもシステムが有効に機能しているということなのか、それとも単に政治家が頼りないだけなのか、思わず考えてしまいます。
 政治家を非難するのは容易ですが、今のシステムでは国民が彼らを選んでいるのですから、それは天に向けて唾をはくようなものでしょう。私はやはり「リーダー観」の違いを感じえません。東洋思想だと、存在を感じさせないリーダこそが最上とされているのですから、ヨーロッパ的な強力なリーダ像とはおおよそかけ離れておりますね。
 外野席から眺めていると、宮沢内閣は結構健闘しているように思えるので、たまに読む日本の新聞であまり評価されていないのが不思議です。尤も、日本の歴代首相は在任中の指示率が低いほど、また、新聞受けが悪いほど後から評価されるという定説がありますから...。
 フランスの前々首相って...そーか、サラダ菜か...。


1993年05月06日

 いきなり過激なタイトルを掲げてしまいました。
 恥しながら、月曜の夜までベレゴボワ前首相が自殺したという話を全く知らなかったのでした。その日は新聞を読んだとはいえ経済欄しか見ず、たまたまクラスの連中がその話題で盛り上がっていた頃は、教室でシエスタしてしまっていたのです。結局、夜帰ってから、M田さんからこのニュースを聞いたのでした。おまけに、氏の遺体は私のアパルトマンから徒歩15分の所に安置されていたそうです。
 その日、帰りのRERがデファンスの1駅手前でストップしてしまったのです。何でもシャトレとリヨンの間で自殺があった影響とか。これで結局帰りが1時間以上遅れてしまったのですが。翌日この話をしたら、皆まず私が知らなかったことに驚きつつ、結構フランス各地で触発(?)自殺があったという話をしておりました。少なくとも共和制に移ってから、フランスで前首相が自殺したなどということがなかったため、相当な衝撃が全土を走ったそうです。直前まで借入金疑惑で散々氏を攻撃していたジャーナリズムも、一転して氏の業績をたたえる記事ばかり載せるようになったみたいです。確かに死んだ人間を攻撃するのはタブーと言っても、複雑な気持ちを抱いている人も多いようですね。


1993年04月26日

 皇太子妃の報道は結構フランスでもなされているみたいですよ。伝言調でしか言えないのは、朝弱い私はテレビを見るヒマもなく家を飛び出しているからです。エンゲージの儀式も友人から教えて貰ったくらいです。ラジオだと国営FMのRadio Franceで毎朝必ず日本のニュースを報道しているといいますから、結構知っている人は知っている(当たり前か)ようですね。
 ネイティブ・チェックの入る和文仏訳の場合、バカ正直なくらい忠実に訳すのがコツだそうです。といっても単に単語を置き換えるのではなくって、説明調でくどいくらい丁寧に説明するのだそうです(以上はパリで長年翻訳をやっている人のアドバイス)。変にスマートな文章を目指すと、かえってリライターを錯覚させるそうですよ。

(1)キャリア・ウーマンについて

 une femme qui fait une carriere では、何となく事業とか文筆業とか、何らかの業績を挙げた女性という感じがしますね。私は「キャリア・ウーマン」に関する厳密なイメージを抱けないのですけど、「外務省のエリート官僚」ではまずいですか? フランスにもENA出身のエリート女性はいくらでもいますから、かえってフランス人には理解し易いように思うのです。
 Elle est une d'elite chez Ministere des affaires etrangers

(2)報道自粛について

 selection がちとひっかかりますね。単に「妃について」で逃げては?あと、なぜ自粛したのかについて説明が必要ではないかと思います。これについては「英国王室に見られるように...」なんてシャレを入れては?

Les presses japonaises ont accorde de s'absetnir volontairement les activites journalistiques, en matier de future princess, qui pourraient entrainer certains influences funestes sur le processus de fiancailles du prince imperial nippon. On comprend bien que les activites journalistiques pourraient causer le malheur par rapport au prince, comme on a vu dans le cas de famille royale Anglaise!

 これ以上はボロが更に出そうなので「自粛」致します。
 皇室に嫁ぐと日本国籍及び名字を失うなんてことを加えると、日本社会での皇族の特殊な地位がフランス人に伝わるかも知れませんね。また、今のままだ次の次の世代で皇統が絶えてしまうため、雅子さんは男の子を3人生まなければならないとか(注:皇室の男子は秋篠宮以降誕生していません。年令的に男子を得る可能性があるのは紀子さんと雅子さんだけです。だから皇室典範を改正して「女帝」を認めるようになる可能性もあるとか...)。


1993年04月23日

 レギュラシオン理論については本家のロベール・ボワイエの書いたその名もズバリの「The regulation school」という本があったと思います。一時期話題になった「資本主義対資本主義」(著者は忘れてしまった)も、アングロサクソン経済モデルとヨーロッパ大陸経済モデルの違いを述べたものだそうですから、レギュラシオンや日本モデルの話題が載っていると思います。そうそう、ロベール・ボワイエといえば「トヨティズム」という造語の言い出しっぺですね(注:トヨティズム=多品種少量生産システム。対立用語は「フォーディズム=大量生産システム)。
 幕末というのは、フランスがこれまでに最も日本に関心を寄せた時期ですね。大雑把に見ればイギリスが薩摩・長州支持、フランスが幕府支持。徳川慶喜愛用の軍服はナポレオン3世の贈り物でした。幕府内部は親仏派と中立派に分かれ、親仏派の代表が小栗忠順。実はこの小栗忠順が三島由紀夫の曾祖父だというから何やら不思議な感じ。中立派の勝海舟の後日談によれば、「西郷吉之助と坂本竜馬がいなければ、日本はフランスの植民地になっていたかもしれない」。そうなっていたら、我々は悲しきfrancophone?
 日本文化は「吸収期」と「醸成期」がサイクリックでしょ?だから西洋文化の吸収期の端緒である幕末は、新たな価値観の模索期と見るべきでしょう。自らの価値観を普遍化するどころが、多くの価値観が崩壊した時代であったと思うのです。天智朝の「中国信仰」と本質的には同じだという気がしますね。価値観の普遍化は「次の時代」の使命だと思います。
 で、今は「幕末の次の時代」という時代認識を私メは持っておりますので、価値観の普遍化が求められる。私の勝手な感想だと、最近は「和風」のステイタスが徐々に高まっているように思うのですがいかがです?


1993年04月22日

「平和」を国家戦略と考えるのはなかなか鋭い視点だと思います。ただし、この戦略も第二次大戦以前から存在していたと見るべきでしょう。ミクロのレベルでは戦争で利潤を挙げる経済活動も有りえますが、マクロではやはり「平和」の方に利が多い。
 この辺りの話しはワシントン大学ジョージ・モデルスキーの長波理論(覇権安定論の一つです)が参考になるでしょう。百年周期で世界的価値観を敷衍する覇権国家が「平和」をもたらし、やがて平和維持のコストによって衰退するというような理論です。覇権の移行期が「戦争」です。
 日本的モデルに注目しているのは、経済系ではドイツ、フランスの経済学者ですね。レギュラシオン学派はアングロサクソン型の自由競争よりも、ドイツや日本型の政府関与を認めた経済運営の方が、結果として社会全体の富を増大させると主張しているのです。貿易面でも、現実には自由貿易ではなく「調和主義」に基いた「実質的」管理貿易が台頭しています。これなども、日本的モデルが結果的に浸透しつつある例と言えましょう。
 思想面で言えば、価値相対性とか無常観なんて、ヨーロッパ的科学思想と根本的に異なりますね。尤もこの分野は日本的と言うより東洋的と言うべきかも知れません。現代物理や現代数学がヨーロッパの伝統的科学思想の限界に端を発し、むしろ東洋思想との親和性が強いというのは面白いことですね。
 戦後と言えば、私は江戸末期から太平洋戦争敗戦までを一つの展開と見るべきだと思っています。つまり、「幕末はペリーに始まってマッカーサーで終わった」というのが私の歴史観です。自分が歴史小説家だったら、この変革期に「竜馬の夢」なんて命名したいですね。フランスだって大革命一発で絶対王政が崩壊したわけではないですよね?安定期、すなわち完全な共和制に至るのに100年近くかかったはずです。


1993年04月19日

 フランス人に「平和」とは?と尋ねれば、自分達の生活を平穏な状態に保つこと、という応えが変えってくるでしょう。これは他の国の人間でも多分同じでありましょうから、「平和」という概念自体は普遍的なものだと思うのです。ただ、「世界平和」などというと、それをどう実現し、管理運営するかという方法論の問題が絡んできますので、その背後に植民地主義の断片を見出すことは可能かもしれません。
 フランス人にとって「平和」は闘って勝ち取るものであり、勝ち取って得た「平和」は闘ってでも守らねばならないものなのだそうです。その意味で、平和と闘いは対になっていると言っても良いでしょう。戦後数十年間に亘ってひたすら自国の繁栄に専念できた日本は、極めて恵まれた状態にあったと言えるのでしょう。自立能力があることも事実でしょう。何しろ我々は自分達の通貨で貿易ができ、外国語を知らなくても生活ができる産業基盤を持っているのです。ヨーロッパですらこの点に危機意識を抱き、EC統合という戦略に至ったことを忘れてはならないでしょう。
 対外的に何もせずそれで問題を起こさなかったのなら、それはそれで平和を愛する行動と言ってもおかしくはないでしょう? 自分達の価値観を盲信してやたらと火種をばらまいた挙げ句、自国経済を崩壊させて世界中にとばっちりを与えている元超大国に比べれば、日本は「平和国家」のモデルの一つと言えましょう。
 自分達の理想に基づいた北欧国家の行動も、やはり「平和国家」のモデルでありましょう。ただ、これは彼らのモデルなのです。今の我々に必要な行動は、日本としてのモデルを示すことにあると言えましょう。言い換えれば、日本的な価値観の普遍化が求められているはずなのです。世間一般では「国際化」と言えば「外国を知ること」ですが、これは一面に過ぎないはずです。日本の国際化と言ったら、日本的価値観の普遍化が伴っていなければ不完全なはずなのです。我々がしなければならないこと、それは漠然と表現するならば日本的価値観を明確に認識し、普遍化できる部分を普遍化することだといえましょう。今日世界常識と言われている「自由貿易」が、元々はアングロサクソンの世界観であることを忘れてはなりません。
 まあ、十代の少年少女に国の問題を尋ねても、私メはあまり多くの内容は期待できないと思うのです。ヨーロッパの20歳前後の連中は尤もらしく「演説」しますが、現状認識の足りなさは如何ともしがたいように思うのです。中には立派な活動をされている人もいるのでしょうが、平均的に見て皮相的と言って構わないでしょう。かく言う私メもまだ小僧っ子でございますが。


1993年04月17日

 以前、アルジェリア人と「愛国心」について議論したことがありました。まあお互い殆ど見解の相違がなかったせいか、口から泡をふいてなんてことにはなりませんが、共通の合意点として、「NationalismeとChauvinismeとPatriotismeは違う」という点でございました。一般にナショナリズムと呼ばれるのはむしろChauvinisme でありましょう。そして現在吹き荒れている「ナショナリズムの嵐」とやらも、正確にはChauvinisme ないしは生活確保の闘いでしょう。
 この辺りの違いは、要は文化的視点があるか否かという点です。自分の文化的アイデンティティを確保しながら相手の文化を尊重できる、彼女と私の合意ではこれがPatriotisme なのです。他方、Nationalismeというと、相手の文化への尊重が嘲笑に変わる、さらにChauvinisme になるとそれを否定、排斥するに至るというわけです。私メの感想としては最近は「メシくいたい」がこれらとは別に台頭し、結果的にChauvinisme と結びついたという気がします。もともとChauvinisme は政治的欲求であり「メシくいたい」は経済的欲求ですから、本来は別個のものなのです。ただ、現在の政治・経済情勢のもとでは目的が同じなので、運動の上では全く同じに見えるし容易に合体しやすいものでもある。「日本は拝外的だ」というご意見も出ましたが、以上の視点から捉えると単に「異文化」という視点が欠けているだけなように思うのです。ですから、拝外主義と言うよりも、国家的極楽トンボ主義と言うべきでしょう。
 フランスのナショナリズムについて少々感想など。極く大雑把には、「Patriotisme 」が極めて強いと言えましょう。無論、これは良い意味にとって下さい。あれほど自文化に強い誇りを抱くフランスで、東洋やアラブという全く異質な文化の研究が、世界で一番進んでいるという事実を忘れるわけにはいきません。
 その一方で、平均的フランス人はきわめてつつましやかな生活(これは東京やニューヨーク辺りの市民生活と比べれば、本当に質素極まりないもの)を送っており、その防衛意識もすこぶる強いといえましょう。徹底した保護貿易主義はここに端を発していると言って構わないでしょう。ささやかな生活を維持するためには糧を得る手段が要る、その手段を「奪う」っているのが、形の上では日米の超近代産業であり、移民労働者となっているのです。
 EC統合の賛否はこの視点からは完全に一致しているのです。唯一の違いは、統合推進派が「防衛のためには戦線を全欧州というフレームに広げないといけない。でないと日米に個別撃破される」と主張するのに対し、反対派は「戦線を広げることで、かえって内部崩壊が先に来る」と主張しているのです。ですから、生活防衛意識の強い労働者の支持を背景にした左右両極が反対に回ったのは、長・中期的戦略よりも短期的危機意識を前面に出したものと言えましょう。いずれにせよ両者の違いは国の取るべき「戦略」ではなく「戦術」の違いという気がします。


1992年12月14日

 前にちょっと議論をかもした禁煙法(la loi Evin)に関する最近の状況です。
 駅構内ではかなりの喫煙者減となったようです。あまり取締の現場を見たことはないのですが、吸っている人の姿はたまにしか見かけなくなったような状態です。まあ、一人や二人はふかしていますが。
 レストランでは入るときに必ず「Fumeur? ou non fumeur?」と聞かれます。これはかなり徹底している。席の比率は「Fumeur」の方が多いやうに思われます。
 カフェでもエリアが分かれており、灰皿が置いてなければ「non fumeur」。たまに「non fumeur」で煙草を吸っている人がいると、ギャルソンが早速来て「吸うのならあちらへどうぞ」と案内しています。今日もそのような場面に遭遇しましたが、言われた人はさっさと喫煙席に移動していました。
 ところでこのEvin法は思わぬところに余波をもたらしました。報道でご存じの方もいらっしゃると思いますが、F1の93年フランスGPがキャンセルされてしまったのです。F1の大手スポンサーであるタバコ産業の広告に対する規制が問題で、特にフランスの裁判所が昨年のオーストラリアGPでタバコのロゴを映した放送がそのままTVに流れたことに対し、ロゴを付けていたチームに罰金を求めたことが発端のようです。
 ちなみに、我が校では学食の喫煙席が少なすぎるとして、喫煙者一同が近々アピールを出すとのことです。


1992年11月23日

 遅まきながら、フランス国防省が精鋭部隊をカンボジアのPKOに派遣したことを知った。湾岸戦争でも活躍した部隊だそうです。任務は我が自衛隊と同じだそうだが、フランス機動部隊の投入が和平の情勢に大きな影響を与えるであろうとの観測があったらしい(何しろ古い新聞なので、どうしても過去形になってしまう)。
 この辺、あたしはどうしても現実的なパワーポリティクスというものを見せつけられた気がした。フランスといえば文化の国とのイメージが特に日本人には強いように思われるが、核武装をし、しかも兵器輸出が経済の一翼を担っている事実、容赦なくパワーポリティクスを実践している国であるという事実を忘れるわけにはいかない。
 あたしゃ何もこの点フランスを非難する気は毛頭なく、それどころか、理想は理想として追及する一方で、現実は現実として対処するこの姿勢に尊敬の念を惜しまない。それどころか、私がフランスに好意を覚えるのはまさにこの2面性であると言って良いと思う。
 EC協定で98年に禁止が予定されている化粧品用動物実験についても、フランスでは実験の必要性を訴える声が強いという。どうもあたしゃ呑気にワインをかっくらっている側面よりも、こういった現実を直視する姿勢に大きな共感を抱いてしまう。


1992年09月25日

 EC統合やドイツ統一に対してソ連やユーゴの解体と、見かけ上相反する動きがヨーロッパを駆け巡っています。しかし、この動きは良く見ると表裏一体ではないでしょうか? いずれの動きも、結局は国家という枠組み、あるいは国家の主権をどのレベルに置くべきか、という模索のように考えられます。一つにはならないというのはあくまで民族的、社会的な枠組みの話しであり、EC統合は経済面での緩やかな統合にすぎないと思います。それを裏付けるように、フランスではあくまでCEEであってCEとは(めったに)表現しません。
 国民投票が最後までもつれたのは、経済効率から考えれば統合化がベターであると分かっていても、通貨政策に事が及んだためと一般的に分析されています。先進国では現在のところ「主権」は経済的な自立を意味し、その根本である通貨政策の一本化は主権の放棄につながるとの印象を与えたのでしょう。
 こういう表現をすると、経済効率追及による統合化は肯定的に迎えられているということに矛盾する印象を与えるかもしれません。ただ、推進派の論調は、あくまで効率向上の成果がEC加盟各国に必ず配分され、反対に効率向上を図らないと、日米による経済支配によって主権喪失に至る、というトーンです。言うなれば、統合の成果が結果的に個々の国の主権強化につながるということになるわけですが、このことから、来年以降、成果の配分を巡って、EC統合問題は大揺れに揺れると予想できるでしょう。特に成果の配分に懐疑的な国民の多いイギリスやフランスでは、行政と企業との間で相当激しい応酬が生じるものと予想されます。基本的にはフランスがどこまでドイツをおだて、ちゃっかり実を取り続けられるかが一つのポイントのような気がします。
 もし経済統合が一定の成果を挙げるとなると、民族的には細かいレベルでの自立を志向するようになるのではないでしょうか? 要はメシを食って行ける仕組みさえ明確になれば、あとは仲間で固まろうという動きが出てくるような気がします。そうなると、200X年の統一EC(何をもって統一と言うのやら)においては、もしかするとブルターニュやアルザスが独立国家(何をもって独立国家と言うのやら)となっているかもしれませんね。最も地図屋が国境を記入しなければ意味はありませんが。
 まあ、外野の一人としては、これが「国家とは何か」を問う壮大な実験と位置づけて見守りたいと思っています。企業関係者には要塞化というやっかいな行動であることに間違いないでしょうが。


1992年09月21日

 私はTF1の1時のニュースで投票結果を知りました。結果は既に日本にも伝わっているでしょうが、OUIが51.01%、NONが48.99%です。OUI、NON優勢地域の分布が特徴的で、イル・ド・フランスがOUI優勢、その周辺はNON一色、そしてブルターニュとかアルザス、南仏がOUI優勢です。



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