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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
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■ 1997年08月 アーカイブ

1997年08月31日

 いつスタートしたのかがわからなかったベルギーGPであるが、じつはF1史上初のローリングスタートだったんだそうだ。
 話は飛ぶけど、ミストラルといえば……ポールリカール・サーキットの名物直線コースである。89年のフランスGPでは、残り三周となったところで、レイトンハウスのイワン・カペリをマクラーレンのアラン・プロストがかわし、そのままゴールインしたのであった。ミストラルを疾駆するプロストはなかなか格好よかったぜ。そのレース、セナは早々にリタイヤだったけど。
 フランスGPも早くポールリカールに戻らないかねえ。プロストのチームもベルサイユに移転しちゃうんだから、マニクールで続けるメリットはもうないのに。


1997年08月17日

 うちのムスメも野菜はなんでも食べちゃいますねえ。父親が嫌いなセロリまで。とくに先々月、在イギリスの友人に教えてもらったセロリの漬け物が好物であります。
 フランスでの sondage といえば、今週号の L'EVENEMENT DU JEUDIによれば、フランスでもセックスレス夫婦が急増しているそうであります。浮気との相関関係は出ていなかったけど。


1997年08月14日

 牡蛎鍋を最初にふるまったのはモロッコ人の友人なのだけど、モロッコには、「牡蛎を煮て食う」という諺があるそうだ。意味するところは……「無駄遣い」。
 牡蛎鍋を食ったあと、こやつはコペルニクス的転換を遂げたのであった。


1997年08月12日

 フランス人に絶対受ける和食は牡蛎鍋です。みんな牡蛎を煮て食うという発想がないので、これは意表を突かれるようですよ。ぼくは土鍋も持参しているのですが、何度かやった牡蛎鍋の宴会はえらく好評でしたね。
 あと、ワカメをふんだんに使った海藻サラダ(ドレッシングはもちろん和風)も評判がいいですね。最近は日本にもブルターニュ産の海藻が入っておりますが、フランス人にとって海藻は香水の原料なので、サラダにして食うというのは、やはり意表を突くことのようであります。


1997年08月09日

 ペリエはいけます。これはパリに住み始めて好きになったもののひとつですね。ニッポンにいたときには、「こんなもののどこがうまいんぢゃい」と思いました。
 いまごろの季節、5時頃に行きつけのカフェで本を読む日が多いのだけど、パリだと5時頃が暑さのピークです。べたついた喉に、ペリエがすこぶるうまい。午後五時のまだ高い陽射しをさけながら、これで渇きをいやすと、「ああ、パリに住んでいるなあ」という実感が湧いてきます。
 普段家で飲むときは、ペリエの citron vert風味を味わっております。プレーン、citron vert、orange の三種類があるのですが、爽快感は citron vert が一番という気がいたしますね。


1997年08月07日

 やっぱいまだにインパクトがでかいのは、ニースのピザですねえ。あんな座布団サイズ、イタリア人はほんまに前菜として食っているんだろうか。
 信じられないことといえば、いまだに「うげ」となるのは、あの小さなコーヒーに角砂糖を6個入れて飲む年輩の人たちね。
 ニッポン人の寿命が長いのではなく、彼の地の連中が寿命を縮めているとしか思えない。


1997年08月05日

 5年前の6月某日、オデオン座近くの公衆電話からカプラを使って NIFTYに接続したところ、事情をまったく理解できない順番待ちの人たちは、「おまえ、話すことがないのなら、さっさと電話を切らんかい!」という目つきでにらんできました。なにせ当時は 1200bps がせいぜいだったので、ちょっとログを落とすだけでも10分近くかかったのです。
 数分後、こんどは事情を充分に理解できるアメリカ人観光客が、ニヤニヤしながら電話ボックスの外から眺めていました。で、彼は隙間からぼくに名刺を渡してきました(だからアメリカ人だとわかった)。
 その二分後、モデムの電池が切れてあえなく通信終了。当時は 70円/分の Tympas しか利用できなかったので、けっこうな出費だったんですよ。



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