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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
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■ 1998年12月 アーカイブ

1998年12月27日

 ワタクシは日本で出た大学の学部は理学部なんですが、フランスで留学したところを日本の学部にあわせれば、経済学部、工学部、文学部という無節操さだったのですね(笑)。こういうアホなことができたのも、ひとつには最初に 3e cycle の diplome を取ってしまったのと(これで最終学歴がフランスの高等教育機関になりましたから、以降の手続がどえらく簡単になるのです)、産業アナリスト時代に膨大なジャンルに手を染めていたから、だと思います。
 いやもう、日本の悪いところ・フランスのいいところってのは、フランスでは勉強したくなったときに、目的にあわせて登録できる高等教育機関の選択幅が広い点ですね。無意味な背伸びはできないけれども、きちんと交渉すれば実績をちゃんとカウントしてくれますから。


 ここ2〜3年ほどで、フランスの支社や駐在員事務所のかなりが「整理」されるんじゃないか、という気がしております。だからこのところやたら国際引越業者の元気がええわ。一部のジャンルを除けば、どう考えても英独ベネルクスの方がメリットありますもん(笑)。住むのだったらフランスがいいと思うんですけどねえ。


 日本人の企業実務経験者は、知識があるがゆえにフランスの grandes ecoles にはけっこう歓迎されるんですよ。それは向こうの教授が日本の知識を知りたいから、なんですね。たとえばグルノーブル第二大学で企業内コミュニケーションを教えている Lesca というけっこう有名な教授がいるんですが、この人はずーっと「共同研究者」となりうる日本人企業マンを探し求めていました。
 大学の DEA過程では学生はそれこそ machine a ecrire 状態ですが、ケース・スタディをいやってほどやらされる経済・商業系 grandes ecoles が企業実務経験者を積極的に受け入れるのは、志願動機もさることながら、学生からどれだけフォードバックが得られるか、なんてことも評価対象になります。この点、露骨なのはアメリカのビジネス・スクールで、日本では金融システムが遅れていると見なされているので、メーカーからの留学生は積極的に受け入れても、銀行・証券からの志願者には冷淡、なんてことが実際にあるようです。これはどはフィード・バックを期待できないと見なされた結果でしょう。


 フランス国内で MBA という diplome を出しているのはヨーロッパ経営大学院(INSEAD)と「トップ6」の一つPont et Chausse(こちらは正確には MIB と呼んでいたと思う)だけですが、現実には HEC や ESSEC の正規過程(2e cycle)の方が、フランス国内では MBA よりステイタスは高いですね。何年か前だったか、ヨーロッパのビジネス・スクールの hit-parade がいくつかの雑誌に掲載されていましたが、HEC がトップで ESSEC が3位だったんじゃないのかな。経済・商業系グランゼコールは、実際にはビジネス・スクールとほぼ同一視されているんですね。
 フランス人学生のあいだにも MBAブームがおきましたが、それはアメリカ系企業に就職する手段として認識されているようです。フランス系あるいはヨーロッパ系企業への上級管理職コースとなると、依然として HEC, ESSEC が強いですね。この二校出身者はしばしば「chou-chou」と呼ばれてますね(笑)。
 DEA は今では完全に doctrat の準備過程という性格を明確にしています。かつてはおなじ 3e cycle の DESS から doctrat に進むコースもあったらしいですが、いまでは DEA が definitif になっています。逆に、就職への実務的な知識を得るという目的を持つ学生は、DESS を好んで選択する、なんてことが L'Etudiant に載っていたと思います。
 DEA の場合、登録が比較的簡単であるために、maitrise取得済みの学生の多くは「腰掛け」にしているケースが多いのです。日本と違ってフランスは通年採用であるため、求職期間が半年前後あるのが普通です。で、DEA 登録者は就職先が見つかるとさっさと学校を辞めてしまうのですね。
 で、L'Etudiant の発表する初年度年収ランキングによれば、トップは HEC, ESSEC の二校で、DEA 取得者はトップ2よりも平均年収は15パーセントほど落ちます。ことキャリアパスを考えるかぎり、DEA はほとんどメリットがないのですね。
 人材交流や若手幹部要請という目的には少数精鋭が必要になりますので、登録が容易なフランスの大学制度は基本的になじまないんですね。しかも DEAは授業時間がきわめて少ない。ゼミを含めても拘束時間は年間300〜400時間程度です。
 これが経済・商業系グランゼコールになると、授業料は大学の50倍以上もするけれども、学生数が少ない上に、授業時間が800時間以上ある。実務で DEAが効力を発揮するのは、アナリストとかジャーナリストなどの独立専門職でしょうね。


1998年12月15日

 グランゼコールの場合は、学校によって留学生の受け入れ条件がまったく異なります。どの年次から入学できるかも、日本での学歴・実務歴によって異なり、すべては「交渉次第」といっていいでしょう。ぼくは ESSEC という経済商業系グランゼコールの 3e cycle に6年前に留学しましたが、そのときはフランスで学部長と直接面談して交渉しました。
 ただし、グランゼコールには国立と半官半民のところとがあって、国立の場合はもうちょっときちんと制度化されているかもしれません。一般に日本の大学学部卒であれば license を持っているわけですから、少なくとも 1er cycle は免除されます。ただし、グランゼコールによってはいきなり 2e cycleから始まりますので(Polytech や Normale などがそう)、そういう場合は、学年としては第一学年からの開始になります。
 ええっと、日本の獣医学科って6年で卒業でしたっけ?
 もしそうであれば、4年生となると卒業見込みですらないはずですから、1er cycle の免除も交渉次第になってしまうかもしれません。もしも4年で卒業ということであれば、交渉次第ではいきなり 3e cycle に編入してもらえるかもしれません。ただし、グランゼコールによっては、3e cycle は大学との共通 diplome しかないところもあります(登録先はグランゼコールでも、実際の教授などは大学側)。そのあたり、獣医学関係のグランゼコールの制度がちょっと不明なので、ややわかりかねるところがありますが……。
 念のために説明しておくと、フランスの高等教育機関の過程は、
 
 1er cycle:日本の一般教養課程にほぼ相当(2年)
 2e cycle :日本の学部専門課程+前期博士課程にほぼ相当(2年)
 3e cycle :日本の後期博士課程にほぼ相当(4〜5年)

 注意しないといけないのは 2e cycleで、一部の学部を除き、最初の一年で学士号(license)が与えられ、次の年に修士号(maitrise)が与えられます。つまり、日本の修士課程卒業は、フランスでは大学4年修了と「同格」とみなされる、というのがタテマエなのですね。
 ただし実際には、日本の大学で修士号と取っていれば、同一専門ジャンルなら、いきなり 3e cycle の DEA(あるいは DESS)過程に登録できるはずです。また、グランゼコールはさらに柔軟で、学部卒でも実務経験があれば 3e cycle への登録が認められ、ぼくもこのケースに相当しました(専門ジャンルが違っても可)。
 ……ということで、実際にどういう扱いになるかは、本人みずからが留学候補先の学部長ないしは指導教授に直談判しないかぎり、なんともいえません。フランスに留学しようと思ったら、まず第一に指導教授を見つけることが第一歩です。逆に指導教授を見つけることができたら、かなり細かなケアまでしてもらえます。


1998年12月03日

 今日の F3 のニュースでは、ロシアの北極圏で blizzard のため島に孤立させられていたロシア人、日本人、オーストリア人が無事救出された……というニュースをやってました。



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