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過去の日記一覧


この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
■ 旅行(フランス)カテゴリー

カテゴリ「旅行(フランス)」に投稿されたすべてのエントリのアーカイブのページが、新しい順番に並んでいます。
一つ前のカテゴリーは、「季節の話題」です。 次のカテゴリーは、「旅行(日本)」です。

1999年06月08日

 St.German en Laye は RER A1線の終点で、Etoile から15分ぐらいのところです。パリ中心部までに出る時間からすれば、ほとんどパリ市内といってもいいところで、瀟洒な高級住宅地ですね。現在は博物館として使用されている城があって、その傍らにはルイ16世が生まれた館があります。
 この街には国際学校があるんで、日本人の住民も多いですよ。収入が潤沢にあれば、この街の一戸建ての家に住みたいもんだな。


1998年07月19日

 今回の予定では、ブルゴーニュ地方に立ち寄る予定などなかったのだが、ルートの都合とはいえ、ボーヌに寄る機会ができたのは大ラッキーであった。94年に初めて訪れて以来、この街はすっかりとお気に入りの旅先である。街は安全だし周囲に綺麗な観光地があるし食事もうまいしで、とにかくここは満足度が高い街だ。今回もHotel des rampartsには泊まれなかったことだけが残念。それでもここのホテルはハズレは少ないが。
 義父母はもちろんボーヌは初めてなので、まずは観光事務所の推奨コース(なぜかサファリと名付けられているのだが)を車でめぐることにする。ムルソーなどの有名なワイン産地を通るほか、断崖絶壁あり、11世紀の朽ち果てた教会あり、おとぎばなしに出てきそうな古城ありと、このコースはけっこう楽しめる。我らはこれが三度目だったが、何度走っても飽きが来ない。

1998年07月18日

 ザルツブルクからパリまで一気に帰るのは(不可能ではないけれども)もったいないので、南ドイツで一泊しよう、ということになった。ミシュランの地図とガイドブックを見てコースを検討。ストラスブールは行ったばかりだし、コルマールも去年行ったので、いっそブルゴーニュ地方を目指すルートを取ろうか、ということになった。そうなると、チュービンゲンで泊まればいちばん手頃である。
 昼前にチュービンゲンに着き、Informationでホテルのリストをもらう。学園都市とあって、Infoは英語だけでなくフランス語が通じたので助かった。しかし、リストで目を付けたホテルはどこも満室だったりしょぼかったりで、一時間後、ようやく小ぎれいな宿をキープできた。
 宿で一服後、まずは街の先にある城を見に行く。名称は失念したが(チュービンゲン城……とは違ったような気がするのだが)、フュッセンにあるノイシェバンスタイン城とは「兄弟」城なのだとか。
 途中、森と畑ばかりの田舎道を走る。城は小高い丘の上にあったので、かなり遠くからでもわかった。丘のまわりをぐるぐるまわるようにして上ると、頂上部はまるで個人宅のような雰囲気だった。ヨーロッパなので、もしかしたら最近まで個人が住んでいたのかも、と思ってしまった。

1998年07月16日

 義父母が日本から遊びに来てくれたので、レンタカーを借りてドイツ・オーストリアを一週間ほど訪れることにした。最初はフランスのナンシーに泊まり、次にドイツのハイデルベルクに泊まり、そのあと、古城街道、ロマンチック街道を抜けてアウグスブルクに寄り、それからザルツブルクへ、というルートをたどったが、アウグスブルクでトラブルに遭遇した。市内で食事をするため車を駐車場に入れたとのだが、食事から戻って車を出そうとしても、エンジンがかかってくれない。バッテリーあがりではなく、点火寸前で止まってしまうのだ。
 そうこうしているうちに、隣におなじ型のオペルに乗っていた夫婦がパーキングしに来たので、なにが原因なのかを尋ねてみた。親切な旦那さんが何度かキーをひねってくれたのだが、どうやらセキュリティ・ロックがかかっているとのこと。なんらかの安全装置が始動してしまったらしい。
 非常に運が良かったのは、駐車場のすぐそばにACAD(日本のJAFに相当)の事務所があったこと。そこにかけこみ、事情を説明して技術者に来てもらえることになった。30分後、体格のいい技術者がキーをひねってすぐに尋ねてきたのは、「キーのなかにICチップが入っているはずだがどうした?」ということ。そういや、後ろのハッチバックを上げたときにキーが天井にぶつかり、カバーが二つに分かれたのだった。
 それから子ども以外の全員が駐車場の床を舐めるように探し回った。と、下の階層で探していた技術者が、小指の爪の半分ほどしかないチップを探し当ててくれた。それをキーにもどすと、何事もなかったようにエンジンは始動した。やれやれ。結局、チップを探しただけということで、料金は一銭も取られなかった。
 アウグスブルクを出たあとは万事快調で、アウトバーンを150〜190キロで走り抜け、すぐにザルツブルクに到着。現地ですぐにホテルを探したが、トンネルのすぐ外側にこじんまりとしたいい宿をキープできた。

1998年06月11日

 あの有名な小便小僧、え、あんなところにあるのがそうなの……というくらい、えらく猥雑な街角にあります。本当にアパートの角って感じのところ。でも人垣ができているので、遠くからでもすぐにわかりますが。
 まあ、さり気ないところにさり気なくモニュメントがあるというのが、ヨーロッパの街の魅力でもあるんでしょうね。とはいえ、小便小僧の周囲には、例によって「小便小僧まんじう」でもありそうな賑わいではありますが(笑)。


1998年05月06日

 カルカソンヌを一泊で後にし、高速に乗ってペルピニャンで地中海沿いに抜け、そのまま高速でスペインとの国境を越える。風がえらく強かったが、これがたぶん「ピレネーおろし」か。フランスから地中海沿いに陸路でスペインにすすむと、カタルーニャ地方に入ることになるのだが、カタラン語という言葉はスペイン語とフランス語を微妙にミックスさせた感じだ。出口はフランス語が「sortie」、スペイン語が「salida」、カタラン語だと「sortida」である。
 途中、「地球の歩き方」に乗っていない街に立ち寄った。穴場探し、という狙いがあったのだけど、結局そこはただの新興住宅地で、見ておもしろそうなものは皆無。きょうび、これだけガイドブックが発達すると、本当の穴場などないのかもしれない。
 バルセロナに着いてからすぐにホテルを探す。Informationではフランス語が通じるので楽だ。市街地の便利なところに見つかった。しかし、そこには高校生の団体が止まっていて、夜中までうるさいこと。
 バルセロナでは二泊した。ひととおりの観光地を見てまわったが、とにかくパエリアがうまく、三食つづけて食べてしまった。
 このあとはマドリッドに行く予定だったのだが、高速道路情報によると、相当ひどい渋滞が出前に待ちかまえている。きゅうきょ目的地をトレドに変更した。これが大正解で、宿は城壁のすぐ外にこぎれいなところが見つかったし、旧市街地もノスタルジックな雰囲気がたっぷりである。城をとりまく周回道路から眺めた街並みは、本当に小さなおもちゃのようであった。
 トレドでは都合二泊した。小さな街なので、二泊だけでもすみずみまで歩くことができた。ヨーロッパを旅するなら、大きな街も魅力的ではあるけれど、やっぱり田舎の歴史ある小さな街のほうが楽しめると再認識。

1998年05月02日

 フランスでは三番目に人気のある観光地がカルカソンヌなんだそうだ。中世の城がほぼ原型のまま残っているのはここだけなんで、国内からの見物客が相当多いらしい。
 パリから一気に車でカルカソンヌまで行ったはいいが、着いたのは夜になってから。とりあえず市街地でメシを食い、高速インター近くのモーテルに泊まりはしたが、城壁がどきにもない。これがフランスを代表する観光地なのか……と思ったが、じつはそこ、ただの新市街地だった。原型のまま残る城壁は、高台の上にあったのである。
   城壁内は、ただの公園なのかと思ったが、登ってみてたまげた。街がまんま残っているのである。これは確かに見事で、狭い道がうねうねと続き、しかもそのことごとくが石畳。観光化されているのは仕方がないけれど、しばし中世にタイムスリップするような雰囲気をもたらしてはいる。
 城壁に囲まれた旧地区は、野球のグラウンドぐらいのものか。そのなかに、ホテルが何軒かとレストラン、みやげ物屋が連なっていた。昔から住む住民もけっこういそうな感じである。
   旧市街地を一通り眺めたあと、城の内部を見物してみた。城壁のところどころに立つ塔と、館、そして屋外の円形競技場をガイドの説明を聞きながら歩いた。だいたい30分ぐらいのコースである。
 ただしこの日、えらく風が強く、体感気温は完全に冬に近い状態だった。日本から来た同行者の一人はこれで完全に風邪をひいてしまった。

1998年02月24日

 Eurostar はいろいろな割引が登場して、実質的に往復で 500 Frs前後ですね。正規料金を払わないといけないのは、時間に制約されたビジネスマンぐらいでしょう。ロンパリの往復が一万円つーのは、かなり安いんじゃないかな。
 TGV のサスペンションとか剛性は、日本のようなうねうね・ガタガタの路線上は走れないみたいっすよ。やっぱあれは大陸の荒野をかっ飛ぶための車輌なんでしょう。
 その TGV も、まだ在来線を走っていた10年前ぐらいは、平均速度は遅いし横揺れも激しいしで、ぜんぜんいいところがなかったですね。だけど専用線になってからは、格段に快適かつ高速になりましたねー。まあ、それでもヨーロッパで一番快適な鉄道はドイツの ICEだと思うけど。


1996年09月15日

 高速列車の乗り心地とスピード感は、なんといってもドイツの ICE がダントツでしょう。とくに二等車輌でも座席がゆったりしているのがうらやましいもんです。巡航速度もたしか TGV より上だったと思います。
 TGV でいちばん快適なのは巴里・リヨン間かな。専用線だとさすがに速いですから。あと何年かしたら、韓国やアメリカでも TGV に乗れますね。


1996年09月13日

 酒は飲めない。とことんあかん。弱さ比べなら負けない自信がある。  それでも酒の話題や酒どころは好きなんである。フランスでも巴里以外で気に入っている場所はブルゴーニュ地方のボーヌ(Beaune)である。
 9月は友人が日本から遊びにきたのをきっかけに、ボルドーに行ってみた。ブルゴーニュが伏見なら、ボルドーは越後みたいなもんだ。街はボルドーのほうがでかいけれども。  行ってみると、ボルドーは巴里からえらく近い。モンパルナス駅から新幹線でほんの3時間ほど。運賃はニッポンの新幹線よりもだいぶ安い。オススメである。  着いた翌日、ボルドー観光協会がやっているバスツアーに参加した。上から二番目のランクのシャトーに二ヶ所訪れた。写真のぶどう畑や建物群、樽の眺めは最初に行ったところ(Haut Medoc地方)のものである。

1996年07月20日

 モンサンミッシェルにはどう行くかで見所は若干違うんだけど、もしレンタカーかなにかで行くのなら、手前にあるディナン(Dinan)って街はおすすめ。深い谷の上にある街で、川面から50メートルぐらい上に橋がかかってます。
 街は12〜14世紀の建物が中心で、ほとんどすべてが現役ですね。坂を下っていくと、いつのまにか橋から見おろしていた川に出ます。この街はニッポンのガイドブックにはあまり紹介されていないらしいけど、フランスでは結構有名な見所になっているようです。
 ツアーで行くのなら、「江ノ島」見物をするぐらいの時間しかないでしょう。島の教会は外見こそそれほどたいしたことないんだけど、上部にある回廊と中庭はなかなかステキです。光線の具合をえらびながら写真を撮りたくなるような場所ですね。
 時間があればサン・マロまで足を伸ばしたい。やっぱり港町は最高です。



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