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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

2005年12月26日

 たぶん、高架のになっている駅の階段を下りている途中のことだと思うが、踊り場のあたりでカメラを落としてしまった。地上からの高さは10メートルほどである。この階段は鉄を組んだだけのところにあり、落としたカメラは地面に向かって落下した。そのときオレは、「ま、ニコンFだから大丈夫だろう」と思いつつ、カメラが地面で大きくバウンドする様子を眺めていた。
 階段を下りきってから、カメラを拾う。カメラはたいしたダメージを受けていなかった。くわしく調べてみると、底蓋の一部がさすがにゆがんでいたが、自分でも直せそうな程度である。さすがにニコンFはタフだよな……と思ったところで目がさめた。
 たしかにニコンFというカメラは持っている。しかも昭和34年4月製造という、オレよりも年長のカメラである(笑)。いまどきのエレクトロニクス満載のカメラとは違い、すべてメカニカルな動作だけで1/1000秒までのシャッター速度を実現するのだから、これぞ精密機械の傑作だと思うのだ。
 しかもこのカメラ、重いことは重いのだが(といっても、かつての一眼レフはオリンパスOM-1を除けば1キロがあたりまえ)、異様にタフなのだ。オレは山登りのときにかならずFを携帯していたのだが、なんど岩にぶつけたことか。というか、岩にぶつけるに決まっていたので、携帯するのはFと決めていた。
 あいにくと露出計が付いていないモデルなので、使用したフィルムはもっぱらトライXというモノクロフィルムであった。一時期、中古のパーツショップでフォトミック・ファインダを購入してはみたものの、やはりFのデザインにはあわない。なので、あらためてF2の中古を買い、以来、FはトライX専用、カラーリバーサルを使うときはF2、というように使い分けていた。
 撮影したトライXは、もちろん自分で現像していた。やや固い階調が好きだったので、いろいろと試行錯誤した結果、富士のミクロファインを22度で7分ぐらいで使って仕上げるようになった。天体写真を撮影するときだけは、増感が必要なので、パンドールを20度で12分ぐらいで用いた。増感現像はラボに頼むと割増料金を取られるので、天体写真をやるやつは、ほぼ例外なく自分で現像まで手がけたものである。印画紙だって5号を使ったしね。そういやこのころ天体写真をやる連中は、ペンタックス派とニコンF派とに別れていたような記憶がある。ペンタはたぶん単に安かったから、なんだろうな。
 しかし、なぜにいまさらニコンFを落っことす夢を見たんだろうか。このところデジカメばかり使っているので、Fが拗ねてしまったんだろうか。そういや、もう15年ぐらい、Fを使っておらんものな。


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