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   <title>「ぴあ」よりシティロード</title>
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   <published>2005-12-29T02:00:45Z</published>
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      　たまたま古書店で見つけた古いシティロードを買って、あらためて眺めてみたのだが、いまだになぜこのタウン情報誌が「ぴあ」に敗れ去ったのかがわからない。
　ぴあとシティロードが激しく競い合ったのは、昭和50年代の半ばである。読者層は、ぴあ派とロード派とに分かれいたやに思うが、まあ、中身が情報である以上、両方買うメリットはあまりないので、これは自然な展開だろう。ただ、おれの用途はほとんどが映画情報のチェックだったので、この点では明らかにシティロードのほうが見やすかったと思う。ぴあは映画館ごとに上映作品およびスケジュールを載せていたのに対し、シティロードのCine guideはチャートの形でみることができたので、映画館選びがえらく簡単だったのである。
　昭和50年代の後半以降、タウン情報誌に限らず情報誌（とりわけリクルート系）のジャンルは一気に広がり、読者の争奪戦も激化の一途をたどった。そうしたなかで、シティロードは破れ、ぴあはチケッティングにまでビジネスを拡大していったわけである。
　かつて渋谷公園通りに「シティロード」という喫茶店があった。いまはら四半世紀前(笑)、オレは平日、大学の授業をサボってNHKのVIP用駐車場（普段はただの空き地）でローラースケートばかりやっていたのだが、一汗かいたあとは、かならずシティロードに寄っていた。どこかの大学の放送研究会メンバーがDJをやっていたのだが、わりと雰囲気は良かったと思う。ここで一息ついたあとに、原宿か六本木のヘンリー・アフリカに、というのが当時のミーハーの定番巡回ルートであったのだ(笑)。
      
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   <title>ヘンな夢</title>
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   <published>2005-12-26T02:00:07Z</published>
   <updated>2006-12-30T17:52:26Z</updated>
   
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      <name>masayuki eshita</name>
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      　たぶん、高架のになっている駅の階段を下りている途中のことだと思うが、踊り場のあたりでカメラを落としてしまった。地上からの高さは10メートルほどである。この階段は鉄を組んだだけのところにあり、落としたカメラは地面に向かって落下した。そのときオレは、「ま、ニコンＦだから大丈夫だろう」と思いつつ、カメラが地面で大きくバウンドする様子を眺めていた。
　階段を下りきってから、カメラを拾う。カメラはたいしたダメージを受けていなかった。くわしく調べてみると、底蓋の一部がさすがにゆがんでいたが、自分でも直せそうな程度である。さすがにニコンＦはタフだよな……と思ったところで目がさめた。
　たしかにニコンＦというカメラは持っている。しかも昭和34年4月製造という、オレよりも年長のカメラである(笑)。いまどきのエレクトロニクス満載のカメラとは違い、すべてメカニカルな動作だけで1/1000秒までのシャッター速度を実現するのだから、これぞ精密機械の傑作だと思うのだ。
　しかもこのカメラ、重いことは重いのだが（といっても、かつての一眼レフはオリンパスOM-1を除けば1キロがあたりまえ）、異様にタフなのだ。オレは山登りのときにかならずＦを携帯していたのだが、なんど岩にぶつけたことか。というか、岩にぶつけるに決まっていたので、携帯するのはＦと決めていた。
　あいにくと露出計が付いていないモデルなので、使用したフィルムはもっぱらトライＸというモノクロフィルムであった。一時期、中古のパーツショップでフォトミック・ファインダを購入してはみたものの、やはりＦのデザインにはあわない。なので、あらためてＦ２の中古を買い、以来、ＦはトライＸ専用、カラーリバーサルを使うときはＦ２、というように使い分けていた。
　撮影したトライＸは、もちろん自分で現像していた。やや固い階調が好きだったので、いろいろと試行錯誤した結果、富士のミクロファインを22度で7分ぐらいで使って仕上げるようになった。天体写真を撮影するときだけは、増感が必要なので、パンドールを20度で12分ぐらいで用いた。増感現像はラボに頼むと割増料金を取られるので、天体写真をやるやつは、ほぼ例外なく自分で現像まで手がけたものである。印画紙だって5号を使ったしね。そういやこのころ天体写真をやる連中は、ペンタックス派とニコンＦ派とに別れていたような記憶がある。ペンタはたぶん単に安かったから、なんだろうな。
　しかし、なぜにいまさらニコンＦを落っことす夢を見たんだろうか。このところデジカメばかり使っているので、Ｆが拗ねてしまったんだろうか。そういや、もう１５年ぐらい、Ｆを使っておらんものな。
      
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   <title>元祖ビールマン・スピン</title>
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   <published>2005-12-20T01:59:24Z</published>
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   <summary>　浅田真央の技でいちばん見とれてしまったのは、トリプルアクセルではなくて片手ビー...</summary>
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      　浅田真央の技でいちばん見とれてしまったのは、トリプルアクセルではなくて片手ビールマン・スピンなのであった。軽やかでしたねえ、あれは。伊藤みどりがやっても似合うとは思えなかったし(^_^;)、安藤美姫もいまの体型ではいまひとつの感じがあるけど、浅田真央の片手ビールマン・スピンは、そよそよという感じで華麗という言葉がぴったりでござった。
　元祖ビールマンがいつごろのスケーターだったのかと思い、ちょい調べたところ、1980年のレイクプラシッド五輪で四位だったのね。んで、翌年の世界選手権では優勝しとる。ビールマン・スピンの披露は1977年の東京世界選手権だそうだ。このころだと、日本の女子フィギュアは渡部絵美の時代か。そういや、まだ規定が残っていたころだから、フリーが得意な選手には不利な時代だったよな。
　ビールマン・スピンを見たときの驚きはなんとなく覚えているのだけど、正直、ドニーズ・ビールマンという選手はあまり記憶に残っていない。それもそのはず、1980年のレイクプラシッド五輪といえば、男子アルペン二冠王のインゲマル・ステンマルク、女子アルペン準三冠王（滑降のみ銀）のハンニ・ウェンツェル、男子スピードスケート五冠王のエリック・ハイデンと、超が付くスーパースターが目白押しの大会でしたがな。しかも、女子フィギュアにはその後、1984年サラエボ、1988年カルガリを二連覇したカタリーナ・ビットというスーパーヒロインが登場しちゃったわけだしね。
　うーん、これじゃあさすがにかすむ。オレの記憶のなかでも、女子フィギュアといえばビットだな。まあ、ビット引退後——といっても、アルベールビルで復帰し、昔日の面影なく７位に散ったのは痛かった——、なんとなく圧倒的存在感のある女王がいなくなったという気がする……というか、ビットの存在感がでかすぎたのかな。
      
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   <title>強い冬型の日の朝は</title>
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   <published>2005-12-05T01:58:34Z</published>
   <updated>2006-12-30T17:52:26Z</updated>
   
   <summary>　ベイブリッジ経由で職場に向かうことが多い。なぜかっつーと、富士山が綺麗に見える...</summary>
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      　ベイブリッジ経由で職場に向かうことが多い。なぜかっつーと、富士山が綺麗に見えるから。ほんとの話、ベイブリッジから眺める富士山は絶景である。もちろん運転しながらなので、そうじっくりとは見られないのだが、ほんの束の間でも、十分に美しさを堪能できる。港の青い海、みなとみらいの高層ビル群、その遙か先の丹沢や高尾の山並み、そして雪化粧の富士山。海、港、山並み、富士山の組み合わせが一望できるようになったのは、ベイブリッジのおかげである。
　横浜の、それも神奈川区以南の富士山は裾野から見えるので、なおのこと美しい。東京だと丹沢が手前にあるので６合目以上しか見えないわけだ。横浜でも北部はおなじ。神奈川区以南の特権なのだな、裾野からの富士山の眺めは。冬型の気圧配置で風が強いときは、富士山を眺めるためだけに遠回りをする価値は十二分にある。
　夕方もタイミングが良ければ見事な影富士を見ることができる。いまごろだと午後６時ぐらいか。赤い空をバックにした紫色の富士山とＭＭ２１の夜景の組み合わせも、それはそれが荘厳な眺めであるな。とくに今年は宵の明星も見える。今日は三日月も美しかった……と日記には書いておこう。
      
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   <title>チャンスを逃した</title>
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   <published>2005-12-02T01:57:19Z</published>
   <updated>2006-12-30T17:52:26Z</updated>
   
   <summary>　11月23日に「たまごっち」の新シリーズ「超じんせーエンジョイ！たまごっちプラ...</summary>
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      　11月23日に「たまごっち」の新シリーズ「超じんせーエンジョイ！たまごっちプラス（エンたま）」が発売され、あっというまに完売となった。その日からYahooオークションでエンたまが続々と出品されている。その入札行動や落札価格の変化を昨日一時間ほどモニタリングしたのだが、これがまたじつにおもしろいんですよね。分析できそうなネタがわんさとある。23日からウォッチングしておけば、論文１本分のデータは十分に得られたのに。ちょっと悔しい。
      
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