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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

2006年02月26日

 1994年7月、会社の同期のなかでも仲が良かった者が出張でパリに立ち寄った。彼の大学時代の先輩がOECD日本政府代表部の一員としてパリに駐在しているというので、いちど、一緒に晩飯でも、ということになった。その場所がシャンゼリゼの有名なキャバレー、LIDOだったのである。
 LIDOといえばヌード・ショーが「名物」である。もちろん、シャンゼリゼ通りの、それも凱旋門からそれほど離れていない一等地でのショーだから、スケベオヤジのエロツアー会場なんかではなく、中年・壮年のカップルがお洒落をして遊びにくる社交場のようなところだ。ただ、そこには我々を含めて多くの日本人オヤジたちがいたのも事実だが。
 そのころすでに30台の我々は、もちろんまだスケベっ気は十分になったものの、べつにオッパイを見物したくて行ったわけではない。興味がないことはなかったが、あいにくと(?)こういう店でのショーとなると、淫靡な雰囲気などみじんもない。なので、最初のうちは大きさ・形状さまざまなオッパイの数々に圧倒されたものの、すぐに見飽きてしまった。印象に残ったのは、ヌード・ショーのあいまにおこなわれた幕間の芸である。これは本当に感動の連続であった。いまだにLIDOの印象というと、巨大な壷を頭に乗せて回転させていた芸人である。
 なお、このとき遊びに来た同期の友人は、2005年9月、帰らぬ人となってしまった。出張先の北京での急病だったという。彼はうちに二泊していったと記憶しているが、そのころわたしがハマりかけていたMYSTというゲームに彼も夢中になってしまった。二日目の晩など、徹夜でMYSTの謎に取り組み、翌朝、ほとんど一睡もせぬまま帰国の途についていた。


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