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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

2006年02月09日

 1993年、2月に入ると学校の後半に突入である。バレンタインデーのあたりに二週間の休暇があったので、それを利用して日本に一時帰国した。もちろん観光とか気分転換とかが目的ではない。日本にいる友人に頼み、いくつかの出版社を紹介してもらったのである。この時点ではまだ会社を休職中という身分であり、94年6月までは復職の権利を持ってはいたが、気持ちの上では休職期間満了とともに退職するのは既定路線であった。そうである以上、退職後の食い扶持について、そろそろ布石を打っておく必要があったのだ。
 最初から出版関係の仕事で食っていこう、と考えたわけではない。連絡を取った友人というのがいくつかの出版社とつきあいがあり、単行本や連載のかたちで評論を書かせてもらい、それだけでも十分に食っていけると話していたのだ。この友人は、その時点で休職中だった会社の一年先輩である。おなじ部署になったことはないが、お互いに残業が多く、しかも部署が隣だったので、アフター5の社内でしょっちゅう顔を合わせていたのだ。この会社は社員の2割ぐらいがやたら残業が多く、おなじフロア内の残業常連者のあいだには、一種の連帯感のようなものさえ芽生えることがあった。彼とは話があったのと、東京での住まいがすぐ近かったことから、在職中から親しくさせてもらっていた。
 わたしが会社を休職してまでフランスに留学しようと決めた過程において、じつは彼の存在は大きかったのである。彼も留学経験者であるが、わたしの休職以前に会社を退職していた。仕事がイヤになったとか、上司と折り合いが悪いとか、という理由で辞めたのではない。むしろ、仕事が好きで好きでたまらないので、もっといろいろな可能性を探るために、いったん会社を「卒業」したのである。若気の至りが許される年齢のうちに、いろいろと思い切ったことをやってみたい、とも語っていたと思う。彼の言動にはもとから共感することが多かった。こういう先人の姿を見て、わたし自身、「いつかやりたい」と思っていたことは、「いま」やらなければダメなのだ、と再認識したのだ。
 この一時帰国中に紹介してもらった出版社からは、さいわいにしていきなり連載を任されることになった。別の出版社では、単行本の企画を前向きに検討してもらえることになった。


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