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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

2006年02月02日

 巴里に着いたのは1992年6月25日だった。最初の一週間はOdeonの近くにあるホテルに滞在し、その間にアパートを探すことにしていたのである。留学先の授業開始は8月中旬、それまではアリアンス・フランセーズという語学学校に通うことにしていた。
 着いた三日後だったと思う。ホテル近くの公衆電話に携帯用カプラを介してノートブックPCをつなぎ、Tympassのパリ・ノードにアクセスしてNIFTY-Serveに接続した。電子メールや電子会議室のメッセージを落とすのに15分ほどかかったが、その間、こちらは通話をするでもなく電話ボックス内にいたので、何人かの人から「早く出ろ!」とプレッシャーをかけられた。こちらは電話に接続したPCを指さしたが、先方には理解されなかった。
 そんななか、ただ一人だけ、ニヤニヤ笑いながら、電話ボックスの外から名刺を差し出す人がいた。アメリカ人の観光客で、彼はおそらくわたしのやっていることを理解し、「パリでもこんなことをする者が現れたのか」などと思ったのだろう。逆にいえば、いまでは普通の光景であるモバイル・ネットは、1992年当時はほとんどの人にとって怪訝な行動だったのである。
 たった一週間のホテル滞在期間中に住み処が見つかる保証はなく、最初の三日間は不安ばかりが募った。ホテル内の電話経由ではTympassにはうまくつながらず、ひたすらストレスの募る日々だった。しかし、運良くポンピドー・センター近くのステュディオを二ヶ月間借りることができ、とりあえずは滞在できる場所ができた。そちらに移動してからは、電話回線からモデムを使ってTympass/NIFTY-Serveに問題なくアクセスできるようになった。
 巴里には知り合いがほとんどなく、妻はビザの関係で10月にならないと来仏できないため、心の底から「会話」に飢えていた。NIFTY-Serve外国語フォーラムのおかげで、この飢餓感がどれほど癒されたことか。ネットワークへのアクセス環境が整ってからは、次々とメッセージを書き始めたものである。
 ちなみに、当時のTympass接続料金は1分あたり70円である。そのほかにNIFTY-Serveの課金が1分10円、さらに電話代が別途必要で、ネットワークに1分間接続するだけでも100円近いコストがかかったのである。日々のアクセスはせいぜい5分程度だったが、それだけでも月間の通信費は1.5万円前後もしたのだ。


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