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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

2006年02月04日

 1992年9月になると、ポンピドー・センター近くのステュディオから13区のアパートに引っ越し、これでほぼ巴里での生活環境が整ったことになる。このアパート自体は7月初めの段階で見つけたのだが、先住者が8月いっぱいまで別の人に又貸ししていたため、こちらに越せるのが9月になってからとなったのだ。まあ、それだけここが気に入ったので、わざわざ別のところに短期間住んだわけだわけだ。
 学校も含めた生活には、まだまだ慣れたとは到底いえない。なにしろ周囲の会話スピードについていけない。あとから振り返るに、この時期が精神的にいちばんキツかったように思える。アパートに帰っても一人だけ。学校に行っても会話がはずむわけでもない。授業はそれなりにしんどい。泣きたくなる、とまでは言わないが、ハッキリと食が細くなった。事実、巴里に着いたときと比べて体重が8キロ近く減っていた。
 そうしたなかで、8月の一時帰国によって外国語フォーラムのコアメンバーたちと顔見知りになり、電子会議室でのコミュニケーションがいっそう心和むものとなった。さらに、フォーラムの最古参メンバーのM田さんが9月に休暇を利用して巴里を旅行することとなった。その人とは一時帰国のときにも顔を合わせ、その席で巴里旅行の話しを聞いたので、こちらからぜひ宿泊してくださいと持ちかけたのである。9月のもっともしんどい時期に顔見知りの人と日本語で会話をできたことが、結果的にいちばんきつい時期をしのぐ一助となったことは間違いない。
 到着の前には、いくつかの品物の輸送を電子メールで頼んだ。わたしの巴里滞在は合計7年に及んだのだが、その間、M田さんが巴里を訪れなかった年はないし、複数回の訪問があった年のある。訪問のたびにいろいろな品物を持ってきたもらったわけだが、いつしかそれを「救援物資」と呼ぶようになっていた。


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