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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

2006年03月07日

 1995年2月初旬に子どもが生まれた。カミさんの陣痛が始まったのは、ちょうど徹夜で原稿を一本書き上げ、あと一本仕上げれば今月の原稿執筆は終わり、というタイミングだった。朝の6時ぐらいだったと思う。それからタクシーを拾って病院に行ったのだけど、こちらも原稿を仕上げねばならないため、ノートと筆記用具を持ち込み、時間の合間をみつけてはメモを作ったりしていた。これがカミさんには顰蹙を買ってしまったようである。でも、お父ちゃんも稼がないといけないのだ。
 病院はパリ16区にあり、うちからだとトロカデロ広場の横を通る方向となる。主治医はデュイエブ先生といって、奥さんが日本人なので日本語には堪能だ。パリで出産する日本人の多くはお世話になっているのでは。
 フランスの出産では、基本的に主治医が最初から最後まで面倒を見ることになるが、臨月が近づくとお産婆さんがアドバイスも含めたサポートについてくれる。また、無痛分娩が一般的なので、出産時には主治医とお産婆さん、麻酔医の三人がひとつのチームを組む。病院にはあらかじめ予約を入れておく。産気づいたとき、カミさんはお産婆さんに連絡を入れたのだが、なんでも別の出産がようやく終わり、いましがた帰ったばかりだったそうだ。このお産婆さん、70歳近い大ベテランなのだけど、二日続けて徹夜に近い作業になるのだから、相当な重労働だろう。
 誕生の直後から、いろいろな手続きを期間内に済ませなければいけない。これは男親の仕事である。我らの場合、子どもの名前はずいぶんまえから決めていたので、手続きは書類を記入して届けるだけだが、何カ所にも行かなければならない。
 まずは病院で出生証明書をもらう。そして次の日、証明書を持って16区の区役所に行って届け出をおこない、公的な出生証明書と戸籍抄本に相当する書類を発行してもらう。この二つの書類を持ってこんどは日本大使館に行き、戸籍への登録とパスポートの申し込みを行うわけである。


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