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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

2006年03月12日

 1995年8月のこと。パリに引っ越してきたのが92年6月末だったので、これで四度目の夏を迎えたことになる。もしかしたら、住民として迎える最後の夏かもしれないが。
 結局、革命記念日の軍事パレードをいちども見に行かなかった。でも、ポンピドーに住んでいたときには戦闘機やヘリが頭上を通過するのがわかった。そしてGobelinsに越してからも、我が家のアパートの裏側にあるアラゴ通りをパレード帰りの装甲車などが通ので、一応、車列を見ることもできた。
 この装甲車が通るときの音がすさまじかった。一瞬、地鳴りかと思ったくらいである。なので、てっきり大型の戦車が通過したのかと思ったが、考えてみたら、そんなものが通ったら通りの舗装がボロボロになってしまう。


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