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   <title>Journal2006</title>
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   <title>眠かった</title>
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   <published>2006-04-23T02:10:47Z</published>
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   <summary>　伊豆の長岡温泉で同窓会（のようなもの）があり、午前１時ぐらいまで熱く語り合い(...</summary>
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      　伊豆の長岡温泉で同窓会（のようなもの）があり、午前１時ぐらいまで熱く語り合い(笑)、今朝は朝食前に温泉、昼は戸田で魚……充実した一日ではあったが、帰りの高速は眠いのなんの。空いていたので助かった。
      
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   <title>一歩前進(笑)</title>
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   <published>2006-04-11T02:10:05Z</published>
   <updated>2006-12-30T16:54:51Z</updated>
   
   <summary>　ようやく謎がひとつ解けて、レイアウト改善の壁がひとつ取り払われました。どうやっ...</summary>
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      <name>masayuki eshita</name>
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      　ようやく謎がひとつ解けて、レイアウト改善の壁がひとつ取り払われました。どうやったらできるんだろうと思い、ほぼ一日かけて試行錯誤したところ、じつはやろうとしていたことは、どうあがいてもできないことがわかった(笑)。いくつかのブログで見かけたレイアウトだったので、ぜったいに何か方法があると思っていたのですが、じつはまったく別のアプローチでおこなわれていることが判明したのです。そこに到達するまでに、どれだけのブログのソースをリエンジニアリングしたことか(笑)。
      
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   <title>レイアウト改良中</title>
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   <published>2006-04-09T02:09:05Z</published>
   <updated>2006-12-30T16:54:51Z</updated>
   
   <summary>やっとこさコツというかいじり方がわかってきて、なんとかレイアウトを変更できました...</summary>
   <author>
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      やっとこさコツというかいじり方がわかってきて、なんとかレイアウトを変更できました。まだまだ先は長いけど(笑)。
      
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   <title>スケーター目線</title>
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   <published>2006-03-27T12:28:09Z</published>
   <updated>2009-04-26T12:28:53Z</updated>
   
   <summary>　パリ市内は案外と起伏に富んだ地形である。凱旋門とパンテオンが丘の頂に位置するの...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.eshita.jp/journal2006/">
      　パリ市内は案外と起伏に富んだ地形である。凱旋門とパンテオンが丘の頂に位置するので、そこを通過する道、たとえばシャンゼリゼとかサンミッシェルなどの通りは、スケーティングにはけっこうしんどい坂なのだ。
　
　pari-roller初挑戦のときは、70年代末に流行したスニーカータイプのローラースケートを使ったのだが、これではアウトドアのオンロードは歯が立たない。道路というのはけっこうでこぼこしていて、しかもヨーロッパだと石畳の区画があちこちにある。通常のスケートはホイール径が小さいので、細かなでこぼこの衝撃を吸収しきれず、その分、コントロールが難しく、すぐに足が疲労してしまう。その点、インライン・スケートはホイール径がはるかに大きいし、キック時にホイール四本を通じて地面に力を伝えられるので、上り坂の滑走力が違う。パリのようにアップダウンが多く、しかもでこぼこの路面上を滑るとなると、インライン・スケートでないと厳しい。
　
　pari-rollerで巡回するルートは、パリの繁華街や観光スポットがいくつも含まれる。これまでに何度も訪れた場所ばかりだが、車道から、しかもスケーティングの速度、スケーティング姿勢からの視野は、観光客が眺める街並みとは違う景色を味あわせてくれるのだ。こういうスケーター目線を経験できるのも、pari-roller参加の特権だろう。


      
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   <title>SFR</title>
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   <published>2006-03-26T10:58:05Z</published>
   <updated>2006-12-31T10:59:03Z</updated>
   
   <summary>　フランスの携帯電話に加入したのは96年11月のこと。業者はSFRというところで...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.eshita.jp/journal2006/">
      　フランスの携帯電話に加入したのは96年11月のこと。業者はSFRというところで、フランス・テレコム系のitinerisと並ぶ大手である。どうしても必要というわけではなかったが、カフェで仕事をする機会が多いので、あれば便利だろうと思ったのだ。
　電話機はPanasonic製だが、日本のものに比べてかなりチャチな感じがする。もちろんPanasonicの責任ではなく、フランスの消費者にとってはこの程度で十分なのだろう。しかし、連続待ち受け時間が16時間、連続通話可能時間が10分とあっては、かなり使いづらいといわざるをえない。いちどの外出で一回使えればいい、という割り切りなのだろうか。
　ただし、GSM規格なので、フランス国内だけでなくヨーロッパのほぼ全域で利用できるのはありがたい。ドイツやベルギーを旅行する機会があるだろうから、これで連絡がストップすることを避けられる。

      
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   <title>独自ドメイン取得</title>
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   <published>2006-03-25T10:48:51Z</published>
   <updated>2006-12-31T10:49:31Z</updated>
   
   <summary>　96年10月、アメリカのホスティング業者と契約して独自ドメインを取得するととも...</summary>
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      <name>masayuki eshita</name>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.eshita.jp/journal2006/">
      　96年10月、アメリカのホスティング業者と契約して独自ドメインを取得するとともに、レンタルサーバーを借りた。このとき取得したドメインが「fbook.com」である。
　このころ、インターネットを利用するというのは、日本でもフランスでも、プロバイダと契約してPPPで一時的にアクセスするというのが一般的であった。自分のwebページを開設するのでも、プロバイダのドメイン内に自分用のディレクトリを持つのが普通だった。その一方、アメリカでは一般個人が独自のドメインを取得し、業者からサーバーを借りて自分のドメインを管理する方法が広がり始めていた。こちらのメリットは、自分の好きなドメイン名を使用できることや、自分でメールアドレスをいくつも設定できることである。
日本でも個人がドメインを取得することは不可能ではなかった。しかし、アメリカに比べてドメインの管理料が高く、さらに、会社オーナーでないかぎり、手続きが非常に面倒だったのである。
　わたしも当初は自分のドメインを持とうと思ったことはなかったが、師匠の武井さんがアメリカのホスティング業者を利用して自分のドメインを取得したのを見て、おなじ業者にさっそく申し込んでみた次第である。Digiwebという業者で、武井さんによれば、その時点で最もコストパフォーマンスがよいとされるところだった。
　webを制作するために、最初はAdobeのPageMillというソフトを使った。しかし、html文法自体がそれほど複雑なものではなかったので、すぐにタグを直接埋め込む方法に転換した。あちこちのwebを眺め、気に入ったレイアウトに出会ったとき、そのページのリソースをダウンロードして使用しているタグを解析したのである。お手本になることが多かったのは、やはり武井さんのwebページだった。

      
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   <title>こんなに違う</title>
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   <published>2006-03-24T10:38:57Z</published>
   <updated>2006-12-31T10:39:37Z</updated>
   
   <summary>　フランスでワインとくれば、ボルドーとブルゴーニュが二大産地である……なんてこと...</summary>
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      　フランスでワインとくれば、ボルドーとブルゴーニュが二大産地である……なんてことはあたりまえの話。昨年、はじめてブルゴーニュ地方を訪れ、起伏に富んだ地形の美しさが印象的だった。今年はこんどはボルドーを旅行したのだが、ブルゴーニュとは地形がまったく異なり、えらく平坦な畑が延々と広がっているのである。
　ただ、ぶどうの大量生産を考えれば、あきらかにボルドーのほうが有利だ。そりゃ日当たりがどこもいいのだから。ブルゴーニュの場合、南向きの開けた斜面なら平坦地以上に日照の条件はいいが、逆に、斜面によってはハズレもあるということだ。だから、ブルゴーニュ・ワインはdomaineまでチェックしないとダメなんだ、という話を、以前、ワインの好きな人に聞いたことがあるのだが、ボルドーとブルゴーニュの両方に行ってみれば、当然納得のできることである。

      
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   <title>不評もやむなし</title>
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   <published>2006-03-23T10:37:38Z</published>
   <updated>2006-12-31T10:38:13Z</updated>
   
   <summary>　なにかと評判の悪いユーロ・ディズニー、それが子どもっぽいかどうかは趣味の問題だ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.eshita.jp/journal2006/">
      　なにかと評判の悪いユーロ・ディズニー、それが子どもっぽいかどうかは趣味の問題だと思うが、間違いなくいえることは、設備がちゃちっぽく見えること。街並みも城も、できそこないのハリボテぐらいにしか見えないのだ（実際にそうなのかもしれないけど）。これはディズニーのせいなのではなく、ヨーロッパの古い都市に置かれたことが最大の問題だろう。だって、街に出るだけで本物が現役で使われているのだから、ディズニーランドの設備が安っぽく見えたところで仕方がない。まさか本物のお城を改造するわけにもいかないだろうし。このテーマパーク、やはり日本とかアメリカに置かれるのでないと、魅力を発揮できないのでは。ヨーロッパに造るなら、本格的なダンジョン＆ドラゴンの仕掛けにするとかね。

      
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   <title>納税台帳登録</title>
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   <published>2006-03-22T10:23:44Z</published>
   <updated>2006-12-31T10:25:31Z</updated>
   
   <summary>　学生以外の身分でフランスに滞在する場合、社会保障の加入がひとつの条件となる。企...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.eshita.jp/journal2006/">
      　学生以外の身分でフランスに滞在する場合、社会保障の加入がひとつの条件となる。企業駐在員であれば、社会保障関係はすべて会社側の対応でなんとかなるが、自由職業者は自分の加入する団体をみつけるところから始めなければならない。フランスの年金制度は健保と完全に連動しているので、社会保障に加入できなければ保険も使えないということだ。もっとも、外国人であれば、その場合は旅行保険を利用すればいいわけだが。
　1996年8月にわたしが加入しようとしたのはAGESSAという団体で、これは収入の中心が印税という文芸家を対象にした保険組合である。保険料が他の団体よりも数パーセント安いうえに、一種の職能団体でもあるので、ここに加入すれば滞在許可申請のときの職業身分の立証にも有利になるのでは、と考えたのだ。
　加入の条件はただひとつだった。納税証明書をそろえること。納税台帳登録は滞在許可申請のためにやらねばならないことだったが、AGESSAに加入するためには、過去2年分の納税証明書が必要となる。わたしの場合、フランス滞在中に印税収入が実際に発生したのだから、たとえそれが日本の会社からの収入であっても税務申告はできる、というのがAGESSA側の主張だった。それに対し、フランス国外の企業からの収入だから税務申告はできない、というのが税務署側の当初の主張だった。税務署が「申告できない」というのも、ずいぶんと奇妙な話ではある。結局、税務署の上の人間の判断で、めでたく過去にさかのぼって台帳登録を果たせることになった。

      
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   <title>第２ラウンド</title>
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   <published>2006-03-21T06:20:15Z</published>
   <updated>2006-12-31T06:20:42Z</updated>
   
   <summary>　1996年の7月、学生として滞在していた3年間の第１ラウンドから8ヶ月半後、こ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.eshita.jp/journal2006/">
      　1996年の7月、学生として滞在していた3年間の第１ラウンドから8ヶ月半後、こんどは自由職業者として滞在する第2ラウンドが始まる。滞在許可を取るまでの手続きは前回よりもかなり面倒だが、今回の滞在の方が気分的には比較にならないぐらい楽だ。フランスに到着したその日から、すぐに生活を開始できるだけの基盤ばある。前回は一週間のホテル住まいの間に住むところを決めねばならなかったのだ。そして3年間の滞在でフランスに友人・知人が増えた。話し相手すらいなかった前回とは大違いである。なによりの違いは、フランス語での交渉力がついたことだろう。語学レベルは8ヶ月半のブランクでむしろ落ちたくらいだと思うが、ずうずうしく交渉を続ける粘りは92年当時とは比較にならない。なんにせよ、どれほど面倒な手続きが待っていようと、大きな不安はなかった。
　しかし、その手続きの煩雑さは、正直なところ、想像を絶していた。おまけに役所の対応もあやふやで（あまりないケースだったので仕方ないと思うが）、書類ひとつ入手するのに何度も交渉を重ねることがめずらしくなかった。過去数年で鍛えた交渉力がなかったら、途中で挫折していたかもしれない。

      
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   <title>再出発前</title>
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   <published>2006-03-20T06:12:11Z</published>
   <updated>2006-12-31T06:12:47Z</updated>
   
   <summary>　1996年6月、visaが下りて、あとは出発の準備に入ったわけだが、海外への長...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.eshita.jp/journal2006/">
      　1996年6月、visaが下りて、あとは出発の準備に入ったわけだが、海外への長期滞在となると、通常の引っ越しとはだいぶ様子は違う。日本で使っている家具をなんとかしなければならないのだ。車のこともあるし。
　前回92年の引っ越し時には、アパートは会社の後輩が引き続き住み、家具も我々のものをしばらく使ってもらっていた。彼らは2年後に転居することになったのだが、その際に我らの家具は姉夫婦のマンションに置かせてもらった。姉夫婦が転居し、それまでに住んでいたマンションは一時的に荷物置き場兼出張時の寝床に使うことになっていたので、こちらの家具も一室にまとめて置かせてもらうことができたのだ。使っていた車は会社の後輩に預けた。
　95年の帰国時には、これら預けていた家具や車を引き取るだけでよかった。しかし、そのわずか一年後となると、もう一度預けなおせばいい、というわけにはいかない。
　さいわい、友人の一人が結婚して神奈川県内に引っ越すことになった。そこで彼らに家具付きで部屋を貸そうかと申し出たところ、向こうもなるべく出費を抑えたいということで、申し出を受けてくれた。自動車は別の知人が通勤用に使ってくれることになった。
　フランスに永住すると決めてしまえば、日本での家財道具はすべて処分してしまえばいい。しかし、数年で再び帰ってくる可能性が高いので、生活のインフラをすべて一掃するわけにはいかない。ゼロから買いそろえたら、とんでもない出費になってしまう。このときも幸運な巡り合わせに助けられ、なんとか日本に戻ってからも生活には困らない体制を整えることができた。

      
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   <title>「ちゅらさん４」と「風のハルカ」</title>
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   <published>2006-03-20T02:07:47Z</published>
   <updated>2006-12-30T16:54:51Z</updated>
   
   <summary>　NHKのドラマ・ページを見たら、「ちゅらさん４」の制作が発表されていた。まあ、...</summary>
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      <name>masayuki eshita</name>
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         <category term="ドラマの話題" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.eshita.jp/journal2006/">
      　NHKのドラマ・ページを見たら、「ちゅらさん４」の制作が発表されていた。まあ、だいぶ以前から話には聞いていたので、なにをいまごろという感じもしたが、それはさておき、パート４まで制作されるというのは、朝ドラでは類がない。この調子で、朝ドラ史上初の「続ちゅらさん」を実現してほしいものである(笑)。
　さて、現在放映中の「風のハルカ」だが、いよいよあと二週間を残すところとなった。話の進捗の雰囲気としては「残り四週間」ぐらいの感じなので、最後にどういう展開になるのか、細かなところが予想できない。かなり急テンポで話は進むだろうから、久々にビデオ録画でもするかな(笑)。
　ヒロインの村川絵梨は、回を追うごとに感じが良くなってきましたね。最初のころは華がなくって、完全に真矢みきの宝塚臭に食われた感じでしたけど、途中から独特のテンポで存在感を発揮してくれたように思います。今回は演技が臭い役者が多かったので（ただし、臭さがそれぞれに違ったので、ハーモニーとしては悪くはなかった）、シロウトっぽさが新鮮に映ったのもよし。松岡充との組み合わせが正解でしたね。
　オレの周囲では「風のハルカ」はそれほど評判はよくないのだけど、けっこういい部類だと思う。過去10年の朝ドラでは、「ちゅらさん」「あすか」「てるてる家族」の次ぐらいには挙げていいと思うのだけど。このまますんなりと終われば、という条件付きですけどね。「さくら」みたいに、最後でダレダレという可能性もまだ残ってはいるので、この評価はあくまでも現時点でのという限定付きです(笑)。
　しかし、このドラマで藤竜也の認識がガラリと変わってしまった。どうしても「愛のコリーダ」とか「時間ですよ大正編」の印象が強かったのです。こんなにとぼけた田舎オヤジも演じられるんだ。
      
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   <title>傲慢な領事部員</title>
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   <published>2006-03-19T06:00:51Z</published>
   <updated>2006-12-31T06:01:17Z</updated>
   
   <summary>　1996年5月、自由職業者のvisaが下りた。あっけなく、といっていいぐらい、...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.eshita.jp/journal2006/">
      　1996年5月、自由職業者のvisaが下りた。あっけなく、といっていいぐらい、スムーズに下りた。もちろん、書類を揃えるのはたいへんだったが、正直なところ、いちどで通るとは思っていなかったのである。これで再渡仏の準備を予定よりも早めなくてはいけなくなった。
　それにしても、今回の手続きで対応をしたフランス大使館領事部の職員の傲慢さは、いま思い出しても腹立たしい。もともとフランス大使館内に対応のいい日本人職員を見た試しがないが（何度か接するうちに、多少は柔らかな応対をする職員はいたが）、今回の職員のひどさは特筆ものである。何度、横っ面をはり倒したくなったかわからない。
　口のききかたが悪いとか、顔つきがケンノンなぐらいは我慢できる……というか、こういう機関の職員なら、さもありなんぐらいには思っている。ところがこやつの場合、用意するべき書類の部数といった基本的な説明がコロコロ変わるわ、受付終了時間前なのに、間に合いっこないから出直せと言いはなったりするわ、職員としての基本的な姿勢がなっていない。それで可愛い気がないとくれば、こちらの不快感が増すばかりである。
　フランスで滞在許可証を担当する役人の対応もひどく傲慢である。対応もけっこう気まぐれだ。まさか領事部の職員は、それがフランスのお役所仕事の標準だと思っていたわけではないだろうに。

      
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   <title>花の信州</title>
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   <published>2006-03-18T05:48:45Z</published>
   <updated>2006-12-31T05:49:42Z</updated>
   
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      　学生時代にすっかりと信州にハマってしまった。もともと母方が信州の出身なので、小さなころからなんとなく憧れのようなイメージは抱いていた。学生時代にちょくちょく訪れる機会があり、住民でもないのに一年の四分の一ぐらいを信州で過ごすようにまでなってしまった。信州全体を巡りきったが、何度行ってもその都度感激が違う。
　最大の魅力のひとつは「花」だと思う。桜の花見なんて、数ある花の楽しみ方のひとつにすぎない。信州の場合、まずは４月に更埴の森の杏から花シーズンが始まり、高遠の桜、５月の連休ごろから篠ノ井線沿いや千曲川沿いであちこちで、桃、リンゴ、梨が花開き、北竜湖や野沢温泉方面で菜の花畑が広がり、下旬には鬼無里でミズバショウが見頃になる。６月に入れば上高地・乗鞍でスモモ、スズラン、ケショウヤナギ、そしてニリンソウが見ごろに。７月上旬には霧ヶ峰高原でニッコウキスゲが咲き誇り、８月には八方尾根で高山植物が見られる。五ヶ月間、いろいろな花を満喫できるわけだ。それが終われば紅葉シーズン到来なので、ほんと、一年中目を楽しませてくれる。

      
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   <title>初めての大彗星</title>
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   <published>2006-03-17T05:37:01Z</published>
   <updated>2006-12-31T05:37:27Z</updated>
   
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      　1996年3月のこと。なぜか神奈川県以南が雲に覆われ続けたため、なかなか百武彗星を見に行くことができなかった。最後は我慢ができず、双眼鏡を車に積み、見えるところまで北上することに決めて家を出たのだが、国道16号線の八王子の手前あたりで雲が切れ始め、圏央道に乗った直後ぐらいに彗星の姿を確認することができた。自動車の窓越しに視認できたのだから、本当に明るい彗星だ。すぐに高速の非常駐車帯に車を停め、双眼鏡で彗星を確認したのである。
　ここまで「必死」になったというのも、じつは大彗星を見たことが一度もなかったから、なのだ。中学1年生のときから星空を眺めるのが好きで、夜中まで天体望遠鏡で星雲や星団を観望していたというのに、彗星とはなかなか縁がなかった。1970年のベネット彗星は、まだ星に興味がなかったのでパス。1973年のコホーテク彗星は空振りに終わった。1974年のウェスト彗星は休みが折り合わすに行けず。1986年のハレー彗星は地球との位置関係が悪くてイマイチ……という展開だったのである。今回の百武彗星は、観測条件といいこちらの時間的余裕といい、待ちに待ったチャンスだったのだ。これを逃したら、雄大な尾をひく彗星など二度とお目にかかれないのでは、とさえ思ったくらいである。
　入間の空き地で眺めた百武彗星はしっかりと記憶に刻まれた。双眼鏡で見た頭部は、しっかりとしたコアと、それをぼんやりとおおうコマとの対比が印象的だった。しかし、もっと暗い空では、天の東から西にまで達する雄大な尾が視認できたと後から聞き、入間ではなく八ヶ岳まで行けば良かった、と少し後悔している。

      
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