| これまでに収集した日本とフランスの女性誌(主としてファッション誌)に関するコンテンツを徐々に増やしていきます。 【更新情報】 (2026/1/16)フランス誌2のデータを公開しました。手持ちのデータのほぼすべてです。 (2026/1/12)フランス誌1のデータを公開しました。手持ちのデータのほぼすべてです。 (2026/1/6)日本のファッション誌の1990年代のデータの一部を公開しました。 (2026/1/1)1970年代・1980年代のデータの一部を公開しました。他の年代およびフランスの女性誌はまだ準備中です。 |
| このサイトについて |
|---|
| データの取り扱いについて |
| [コミックス書影アーカイブ] |
| [home page] |
| 主なデータ収録の対象 | |
|---|---|
| ファッション誌 | |
| an・an non・no | |
| JJ CanCam ViVi Ray | |
| CLASSY 25ans | |
| ライフスタイル誌 | |
| MORE With LEE VERY STORY | |
| Oggi Domani Baila | |
| 婦人誌 | |
| 女学世界 | |
| 婦人グラフ | |
| 少女誌 | |
| 少女の友 少女クラブ | |
| 女学生の友 | |
| ティーン誌 | |
| mc Sister Olive CUTiE Popteen GALS LIFE Elleteen | |
| egg Cawaii happie | |
| ラブベリー ピチレモン ニコラ | |
| 服飾誌 | |
| スタイル 装苑 それいゆ ドレスメーキング |
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| 若い女性 | |
| フランス誌(1) | |
| Petit Echo de la Mode Modes et Travaux Femme d'Aujourd'hui Femme de France 100 idées Femme Actuelle |
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| 20ans Jeune et Jollie Mlle Age Tendre | |
| フランス誌(2) | |
| Jardin des Modes Marie*Claire ELLE Madame Figaro |
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| Biba Prima Depeche Mode | |
| 関連するサイト |
|---|
| 国立国会図書館デジタルコレクション |
| BnF Galiica |
| 大宅壮一文庫 |
| 日本近代文学館 |
| 昭和館デジタルアーカイブ |
| 奈良女子大 アジア・ジェンダー文化学研究センター |
| 文化学園リポジトリ |
| 1945年まで | |
|---|---|
| 対象 | 概 要 |
| 婦人誌・服飾誌 | 明治時代の終わりから大正時代にかけて雑誌の多様化が進み、女性向けの雑誌も新中間層の婦人向けの実用誌、高等女学校の女学生向け総合誌などに分化していった。昭和時代に入ると都市部での洋装の広がりを背景に、洋裁学校の主導のもとで洋服を作るための雑誌が複数創刊される。残念ながら、この時代の雑誌はまだ未調査のものが多いため、ここでは『スタイル』『装苑』のいくつかの号の紹介にとどめておく。 ※ 戦前の女性誌史に関しては浜崎廣『女性誌の源流』で詳細に記述されている。 |
| 少女誌 | 現代の女性向けファッション誌の直接のルーツのひとつは明治時代終盤に相次いで創刊された少女誌だろう。その背景となったのは、明治32(1899)年に高等女学校令が公布されたことで女学生の数が全国的に増加したことである。ここでは代表的な少女誌をいくつか紹介する。 ※ 少女誌に関しては、今田絵里香『「少女」の社会史 新装版』および渡部周子『〈少女〉像の誕生』で詳細に分析されている。 |
| 1940年代後半 | |
| 対象 | 概 要 |
| 服飾誌 | 戦後まもなく洋服の需要が高まりました。太平洋戦争終盤に標準服として「もんぺ」を強制された女性たちは和服ではなくスカートを選択するようになる。焼け野原のなかで、軍に徴収されていたミシンが戻ってきた洋裁学校が教育活動を再開し、洋裁で生計を立てようとする戦争未亡人をはじめとする女性が集まるようになった。こうした洋裁熱を背景とし、洋裁学校のテキスト的な役割を持った服飾誌が相次いで復刊されるとともに新刊も登場する。1936年に創刊された『スタイルは』1946年3月号から、同年創刊の『装苑』は1947年1月号から再開した。また、鎌倉書房から雑誌『ドレスメーキング』が1949年に創刊(4月号)された。また、戦前は少女誌『少女の友』でイラストレーターとして人気のあった中原淳一が1946年にみずから雑誌『それいゆ』を創刊(8月号)した。このサイトでは『装苑』『スタイル』に加え、『それいゆ』の書影も紹介していきたい。 ※ 終戦直後の洋裁分化に関しては井上雅人『洋裁分化と日本のファッション』が詳しい。 |
| 少女誌 | 戦前・戦中に人気のあった少女誌である『少女の友』(実業之日本社)と『少女倶楽部/少女クラブ』が早くも復活した。『少女の友』は1945年からすでに発行された。『少女倶楽部』は1946年に『少女クラブ』へと誌名をマイナーチェンジした。また、1947年には中原淳一が『ひまわり』を創刊(1月号)した。このサイトでは以上三誌のいくつかを紹介する。 |
| 1950年代 | |
| 対象 | 概 要 |
| 服飾誌 | 洋裁ブームにより服飾誌が盛んに読まれるようになった。とくに注目されるのは講談社が1955年に創刊した『若い女性』である。洋裁学校と提携せずに大手出版社が独自に生み出したことは、創刊当初は服飾業界から批判的に見られていたようである。逆に、大手出版社が注目するほど服飾誌の存在が雑誌市場で大きくなった、ということだろう。また、中原淳一は『ジュニアそれいゆ』を1954年に創刊(9月号)した。一方、1936年に創刊された『スタイル』は1959年5月号が最終刊となる。ここでは『装苑』『スタイル』『ドレスメーキング』『それいゆ』に加え『若い女性』『ジュニアそれいゆ』の書影を紹介していきたい。 |
| 少女誌 | 1950年に小学館から『女学生の友』が創刊(4月号)された。同社から発行されていた『中学生の友』の妹誌という位置づけか。装幀や内容は『少女の友』『少女クラブ』と共通する。そういう点で『女学生の友』は明治時代以降の少女誌の歴史を踏襲した雑誌といえる。一方、中原淳一の『ひまわり』は1952年12月号が終刊となった。ここでは『少女の友』『少女クラブ』『女学生の友』『ジュニアそれいゆ』の書影をいくつか紹介する |
| 1960年代 | |
| 対象 | 概 要 |
| 成人向け服飾誌 | 1950年代終盤に女性週刊誌が相次いで創刊され、主としてアメリカとフランスのファッション情報が盛んに報道されるようになった。服飾誌も国外のモード情報は随時紹介してきたが、1960年代にはおしゃれの情報の需要が高まってきたといえる。服飾誌も洋裁の実用的な情報だけでなく、最新モードの紹介にも力を入れるようになり、こうした傾向が1970年代にファッション誌を生み出すひとつの要因になったといえよう。このサイトでは『若い女性』『装苑』を中心に紹介していく。なお、『それいゆ』『ジュニアそれいゆ』は1960年に休止した。 |
| ティーン誌・少女向け服飾誌 | 1954年に男性向けの服飾誌『男の服飾』が婦人画報社から創刊されたが、1963年に誌名を『MEN'S CLUB』に変更した。この雑誌が大学生・高校生の男子にアイビー・ルックを仕掛け、若い男女のおしゃれに対する関心を高めた。1964年夏の「みゆき族」は象徴的な現象である。そして1966年に『MEN'S CLUB』の妹雑誌『mc Sister』が創刊(6月号)された。ここでは『女学生の友』『mc Sister』の書影を紹介していきたい。なお、1967年には集英社からティーン誌『セブンティーン』が創刊されたが、網羅的な収集が困難なため、現時点でこのサイトでの紹介は考えていない |
| 1970年代 | |
| 対象 | 概 要 |
| ファッション誌 | 1970年に平凡出版から『an・an ELLE Japon』、1971年に集英社から『non・no』、1975年から光文社から『JJ 別冊女性自身』が創刊され、おしゃれ情報に関する需要は服飾誌からファッション誌へと完全に以降することになった。『若い女性』も徐々にファッション情報中心の誌面構成となっていく。また、1977年に集英社から『non・no』を「卒業」した読者に向けた『MORE』が創刊(7月号)されている。ファッション誌は早くも年代別構成への系統化が始まる。このサイトでは『an・an ELLE Japon』『non・no』『JJ 別冊女性自身』『MORE』『若い女性』を中心に書影を紹介する。 |
| ティーン誌・少女向け服飾誌 | 1954年に男性向けの服飾誌『男の服飾』が婦人画報社から創刊されたが、1963年に誌名を『MEN'S CLUB』に変更した。この雑誌が大学生・高校生の男子にアイビー・ルックを仕掛け、若い男女のおしゃれに対する関心を高めた。1964年夏の「みゆき族」は象徴的な現象である。そして1966年に『MEN'S CLUB』の妹雑誌『mc Sister』が創刊(6月号)された。ここでは『女学生の友』『mc Sister』の書影を紹介していきたい。また、1978年には主婦の友社から『GALS LIFE』が創刊(9月号)された。当時「ギャル」という言葉は「女の子」の砕けた表現という意味でしかなく、『GALS LIFE』は1990年代のいわゆるギャル雑誌とは異なり、ティーン向けの柔らかな内容の雑誌であった。このサイトでも『GALS LIFE』の書影を紹介する。なお、1967年には集英社からティーン誌『セブンティーン』が創刊されたが、網羅的な収集が困難なため、現時点でこのサイトでの紹介は考えていない。 |
| 1980年代 | |
| 対象 | 概 要 |
| ファッション誌 女子大生向け |
1970年代後半のニュートラそしてハマトラが女子大生のあいだでブームとなったことを背景に『JJ』が急成長を果たした。1982年に小学館から『CanCam』、1983年に講談社から『ViVi』、1988年に主婦の友社から『Ray』が創刊され、ファッション誌の主役は女子大生を主要な読者に想定した『JJ』『CanCam』『ViVi』『Ray』などの「赤文字系」となった。講談社からは女子大生を明確にターゲットにした『ミス・ヒーロー』が創刊(1980年6月号)されたが、こちらは1986年で早くも休止しており、女子大生読者には『ViVi』が定着する。このサイトでは赤文字系4誌を中心に書影を紹介する。 |
| ライフスタイル誌 20代半ば以上向け |
1980年代はメディアにおける「女子大生ブーム」を背景に、赤文字系ファッション誌が急成長を遂げるが、それに平行して、女子大生よりも上の年代をターゲットにした雑誌の創刊も相次いだ。雑誌はターゲット年代が設定されているため、読者は加齢によって「卒業」してしまう。いちど獲得した読者を手放さないために、各出版社は上の年代向けの雑誌を投入したのだろう。『MORE』がその嚆矢だが、1980年に婦人画報社から『25ans』、1981年に講談社から『with』、1983年に集英社から『LEE』、1984年に光文社から『CLASSY』が相次いで創刊された。 国外の老舗女性誌の日本版も立て続けに登場した。『MORE』の提携誌である米国『COSMOPOLITAN』は1980年に日本版を創刊(6月号)し、『an・an』を妹誌と位置づけていたフランスの『ELLE』は日本版の『エルジャポン』を1982年に創刊(5月号)した。それにともない『MORE』は7月号から「COSMOPOLITAN誌特約」の表示がなくなり、『an・an ELLE Japon』も単に『an・an』と表示されるようになった。 このサイトでは『MORE』『with』『LEE』『25ans』『CLASSY.』などの書影を紹介する。 |
| ファッション誌 ティーン向け |
男性向けライフスタイル誌『POPEYE』の妹誌としてマガジンハウスは1981年に『POPEYE11/5増刊 Olive』を発行した。1982年にもう一度POPEYE増刊(4月)として登場後、あらためて6月3日号から月2回発行の定期刊行物となった。ティーン向け雑誌で先行する『mc Sister』『セブンティーン』に比べて判型は小さくページ数も少ないが、洗練されたファッション情報は大学附属高校の女子高校生に受け入れられる。一方、対極的な雑誌が宝島社から誕生した。別冊宝島として1988〜1989年のVol.6まで発行された『CUTiE』が月刊誌として11月号より定期刊行化された。この雑誌がストリート・ファッションや裏原宿のブームの一翼を担うようになる。 このサイトでは『Olive』『CUTiE』を中心に書影を紹介していきたい。 |
| ティーン誌 | 1980年代はティーン誌にとって激動の時代となった。1980年に飛鳥新社が創刊した『PoP-Teen』は1981年に大幅なリニューアルを進め、先行する『GALS LIFE』とともに恋愛やオシャレなど中学生・高校生が強い関心を持つ内容の記事を掲載していった。ところが1982年に入るとセックスに関する内容が増え、近代映画社が『Elle Teen』を創刊(6月)するころには内容がエスカレートしていった。1983年には3誌そろって過激さを競うかのような状態となり、1984年2月には衆議院予算委員会で過激な内容が問題視されるに至った。1984年半ばになると3誌ともに内容はトーンダウンした。『GALS LIFE』は誌名を『GALS CITY』に変更したが1985年半ばに休止する。『ポップティーン』『エルティーン』は存続したが内容は大きく変わるようになった。また、衆議院予算委員会で誌名があがった『Carrot GALS キャロットギャルズ』(平和出版、創刊号は1983年11月号)は3号で休止した。このサイトでは『GALS LIFE/GALS CITY』『ポップティーン』『エルティーン』の書影をいくつか紹介する。 |
| 1990年代 | |
| 対象 | 概 要 |
| ファッション誌 女子大生向け |
1990年代も引き続き赤文字系4誌がファッション誌市場でも主役であり続け、『JJ』『CanCam』『ViVi』『Ray』を中心に書影を紹介する。 |
| ライフスタイル誌 ワーキングウーマン向け |
1990年代には女子大生より上の年代をターゲットにする雑誌の多様化が進んだ。大雑把には、ワーキングウーマンを意識した雑誌と経済的に豊かな専業主婦をターゲットにした雑誌へと徐々に分化する。小学館が1992年に創刊(10月号)した『Oggi』、集英社が1997年に創刊(1月号)した『Domani』は、前者のあらたな雑誌の代表格である。このサイトでは『25ans』『CLASSY.』『MORE』『with』『Oggi』『Domani』の書影を紹介する。 |
| ライフスタイル誌 主婦向け |
1990年代のこのカテゴリーの雑誌では光文社が1995年に創刊(7月号)した『VERY』のインパクトが大きい。誌面からは30代になった『JJ』元読者を明確なターゲットにしたことがうかがえる。ここでは『LEE』『VERY』の書影を主に紹介する。 |
| ファッション誌 ティーン向け |
1990年代はストリート・ファッションの広がりが顕著だった。そのなかで対比的な動きを続けた『Olive』と『CUTiE』をここでは紹介する。 |
| ティーン誌/ギャル誌 | 1990年代はティーン誌は前半と後半で様相が大きく異なる。1990年に笠倉出版が創刊(1月号)した『ティーンズロード』は暴走族レディースを扱う異色な雑誌だったが、ヤンキー文化を象徴する雑誌でもあった。ヤンキー文化から分岐した側面を持つギャル文化が1990年代半ばに渋谷で注目されるようになる。1995年には主婦の友社から『Cawaii』が『Ray』の別冊として発行され、1996年4月号から月刊化された。1995年にはまた、ミリオン出版から『egg』が創刊(9月号)された。ティーン誌の古顔『Popteen』も徐々にギャル文化を反映するようになり、『Cawaii』『egg』『Popteen』がギャル誌の代表格となっている。そしてギャル色が最も濃厚な雑誌『Happie』が1998年に英和出版から創刊された。 ここでは『Cawaii』『egg』『Popteen』『Happie』の書影を紹介する。 |
| 2000年以降 | |
| 対象 | 概 要 |
| ファッション誌 女子大生向け |
1990年代末から顕著になった雑誌市場の縮小の波はファッション誌も無縁ではなかった。専属モデルの蛯原友里によるエビちゃんブームのおかげで『CanCam』は比較的好調ではあったが、赤文字系ファッション誌の部数は低落傾向にあった。ここでは一応、『JJ』『CanCam』『ViVi』『Ray』を中心に書影を紹介する。 |
| ライフスタイル誌 ワーキングウーマン向け |
赤文字系ほどではないにしても、このカテゴリーの雑誌も厳しい状況にさらされた。ここでは比較的新顔である『Oggi』『Domani』の書影を紹介する。 |
| ライフスタイル誌 主婦向け |
雑誌市場の衰退のなかでも『VERY』は勢いがあり、光文社はさらに上のアラフォーの主婦をターゲットにした『STORY』を2002年に、アラフィフをターゲットにした『HERS』を2008年に創刊した。光文社は年代別の系統化を明確に打ち出したといえる。ここでは『VERY』『STORY』『HERS』の書影を主に紹介する。 |
| ティーン誌/ギャル誌 | ギャル誌の勢いは2000年ごろにピークとなるが、2000年代前半はまだ勢いが残っていた。ここでは『Cawaii』『egg』『Popteen』『Happie』の書影を紹介する。 |