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2006年02月24日

sport]もしかして史上初?

 荒川の金メダル、もしかすると、日本人の個人が地元開催以外で獲得した初めての金メダルでは?
 冬季の金メダルは9個目でしたよね。札幌の70m純ジャンプ、アルベールビルのノルディック複合団体、リレハンメルのノルディック複合団体、長野のジャンプ・ラージヒル、ジャンプ団体、スピードS男子500m、ショートトラック男子?m(西谷が出たやつ)、女子モーグル……で、今回の女子フィギュアと。やっぱ日本の五輪史上初ですね。
 スキーのアルペン競技でメダルが獲れるのはいつになるんでしょうね。木村、皆川、佐々木と、少しずつ近づいている気はするんですけどね、スラロームに限っては。

posted by masayuki eshita at 11:05| | comments (0) | trackback (0)

2006年02月15日

media]釈迦もキリストもニートなのだ

 いま現在、オレが最も知り合いたいと思う研究者は教育社会学者の本田由紀さんである。『若者と仕事』(東京大学出版会、2005)で興味を持ったのだが、今回は『「ニート」って言うな!』(光文社新書、2006)を読み、そこで展開されたニート言説批判にはおおいに感銘を受けた。鋭く切り込んでシャープに論駁するというスタイルではなく、あくまでもデータを正確に読み取って分析を積み重ねる論述スタイルは、非常に真摯だと思う。この真摯さが、ともするとセンセーショナリズムに陥りがちなテーマを論ずるにあたり、最も必要な姿勢であるはずだ。

『「ニート」って言うな!』は三部構成になっており、本田由紀、内藤朝雄、後藤和智の三名がそれぞれ執筆している。タイトルからも推察されるように、ニートを批判/肯定するものではなく、ニートを諸悪の根源であるかのごとく取り扱う言説を批判するという、メタ言説的な主張となっている。詳しい感想はいずれレビューにも書くつもりだが、メディア・コミュニケーションを研究テーマとする者としては、おおいに共感できる内容ばかりであった。社会問題・労働問題においては、ニートという存在とおなじくケータイやインターネットもしばしば「主犯」として扱われているわけであり、その構図はほぼおなじと考えていいだろう。
 個人的に抵抗を覚えた箇所を挙げるなら、後藤さんが担当する第2部の終盤で開陳されている「自由な社会の構想」に見られる一種の楽観主義である。簡単にいえば、多様性を認め合う寛容な社会を是とする論議なのだが、「(略)自由な社会で強制されるのは、なじめない者の存在を許す我慢(寛容)だけです」(p.205)という主張は、オレには楽観主義としか思えない。存在を許すことが極めて苦痛で困難だからこそ、移民問題やアラブ vs イスラエルの対立が数千年の長きにわたって続いているのではないのか。
 それはさておき、本書を読んで再認識したことは次の2点である。

・ニートもフリーターもいない社会は閉塞状況に陥る。
・世に語り伝ふること、まことあいなきにや、をほくはみなそらごとなり。

 一寸先は闇という人生にあって、一度や二度は、根本的なキャリア・チェンジが求められる機会はあるはずだ。そういうとき、ニートを選択するしかないはずである。転換先のキャリアの専門性が高ければ高いほど、「働きながら力をつける」なんてことは容易にはできないはずだ。ニートにはキャリア・チェンジのバッファという側面があるわけで、それを排除してしまったら、じつに選択肢の少ない世の中になってしまうはずである。
 そして、ニートをめぐる言説がいかに歪められ、そこに多くのメディアや御用学者が荷担してきたかを知れば、わかりやすい主張というのは、それだけでウソかデタラメという証拠であることが実感できるはずだ。

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2006年02月14日

media]幕末状態

 結局、「ゆとり教育」の転換は見送られたようである。
 報告書本体を見たわけではないので(中教審のwebではまだ公開されていなかった)、あくまでもこの報道からでしか推察できないのだが、よーするに、「ま、いろいろと問題があるんだろうけど、とりあえずさ、もうちょっとやってみようよ」という結論のようである。

 ただ、この主の結論、国の審議会のものとしてはめずらしくもなんともない。報告書にしたところで、結局は文部官僚の作文なのだろう。中教審初等教育分科会の委員名簿を見ると、野依良治やら増田明美やらが名を連ねていることがわかるが、この忙しい人たちが報告書を書いたとは到底思えない。おそらく、臨時委員のなかの一人か二人が事務局の文部官僚をペンをなめなめしたのだろう。で、多忙な委員たちの最大公約数的な意見集約をはかるべく、〈報告書文体〉「……という問題点が認められる。他方、……という状況も見られ、一概に……と断ずることは早計である。したがって、当面は……に配慮しつつ、なお慎重に状況変化の把握に努めることが必要であると考えられる」となったのだろうな。
 しかし、役人ののらりくらりの一方で、世の中は時々刻々と変化をしているわけだ。つくづく思うに、文部科学省という役所そのものが見放される日はそれほど遠くはないんじゃなかろうか。企業社会の方に、そんな「ゆとり」は残っていない。そもそも企業にとって、「学位」という文部科学省のお墨付きは、それほど価値あるものではない。フランスのgrandes ecoles制度に見られるように、教育を主幹する官庁以外が高等教育を企図したって、ちゃんと機能する仕組みはつくれるはずなのだ。
 大学改革、とりわけ実学教育に関しては、いろいろな議論がなされているし、現場でも模索が続いている。ただ、この点に関しては、教員間の世代ギャップがずいぶんと大きいような気がするのだ。率直にいって、アカデミズム一筋のジサマほど、企業現場でのスキルを舐めてかかっているように思う。「実学教育に熱心」=「資格取得に熱心」という短絡を起こしているんではないのか。
 しかしまあ、ハッキリと問題が顕在化しているのに、中央がのらりくらりしている状況って、幕末の幕府そのものじゃん。あたしゃシミジミ思いますよ。幕府崩壊は必然ではあったが、それは幕府固有の問題が原因なのではなく、組織自体の必然的な末路なんだ、と。

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2006年02月12日

身辺雑記]実験用のダミー

日付アーカイブの表示テストをするため、2月にエントリーした形にしてあります。

posted by masayuki eshita at 11:37| | comments (0) | trackback (0)

2006年02月02日

movie]日に日に募る不満

 今日、またまたエピ3をDVDで観てしまった。さすがに最初から最後まで通してみるようなことはしなくなったが、とりあえずこれで15回ぐらい観たことになるのかな。仕事の合間に、ついついね(笑)。で、やっぱりというか当然というか、ダース・ベイダーがルークごときにあっさりと倒される展開が納得できなくなるわけですよ。

 最初のうちはあまり気にしなかったのだけど、エピ3ラストのオビ=ワン vs アナキンの対決を繰り返し観ているうちに、やっぱねー、それほど修行を積んだわけでもないルークに百戦錬磨のベイダーを倒せるわけがない、と思わないではいられんのです。だって、あのヨーダが倒せなかったパルパティーンをして、「Darth Vader will be more powerful than either of us.」とまで言わしめたわけなんですからね。アナキンの戦闘能力は群を抜いていたわけですよ。
 素質という点でも、ミディ=クロリアンの化身とまでいわれるアナキンと、パドメという人間の血が混ざったルークとでは、濃さが違う。ベイダーの戦闘能力低下要因といえば、せいぜい四肢がサイボーグ状態になったことぐらいだけど、ルークの右手の動きを見れば、あの世界のバイオニクスは生身の身体と大差ないレベルだってわかる。
 んじゃ、ルークはいつどれだけ修行したんかいな? エピ4ではファルコン号の中でちょこっと手ほどきを受けただけ。エピ4・エピ5の間は不明だが、氷の惑星フォスでの体たらくからすれば、たぶん霊体オビ=ワンにちょこっとアドバイスを受けながら自習しただけだろう。結局、本格的な修行はエピ5でヨーダの弟子となったときにやっただけだが、これとて中断している。エピ5・エピ6間は何年も経過しているわけじゃない。これでベイダーに勝つってんだから、ヨーダは「短期集中Jedi養成講座」を実施したってことかいな(笑)。
 んー、やっぱエピ4〜6はリメイクしてほしい。クワイ=ガンやウィンドゥ、キ=アディ=ムンディなどのジェダイ・マスターの霊体を総動員してルークをしごけ(笑)。

posted by masayuki eshita at 11:09| | comments (0) | trackback (0)