とりあえず、こんなヤツである
40歳を過ぎてなおロン毛である。この絵は漫画家の水樹和佳子さんに描いてもらったもの。
もともとはオフロードを走るのが好きだったのだが、20世紀最後の年にホンダBeatを買って以来、多少、嗜好がかわった。いまでも林道を走るのは好きだが、オープンエアで夜の首都高を走るのもイイものだと思っている。
根っからの出不精で、外で運動することなんぞは嫌いなのだが、なぜか小学生のころからローラースケートだけは好きである。パリ在住中(1992〜1999年)はpari-rollerに参加し、数千人(いまでは二万人以上)のスケーター集団の一員として金曜夜中のパリを滑走していた。
  • 92年6月末日、会社を休職してフランスに渡る。知り合い皆無のなか、住み処を探すのは何とも心細い作業だった。なにしろ二ヶ月で10キロ体重が落ちた。日に日にお腹のまわりが緩くなっていくのがわかったものである。
  • 92年7月、パリからF1フランスGPの速報を NIFTY-ServeのFMOTOR4に掲載したことがきっかけで、すがやみつるさんと知り合う。その一週間後、イギリスに行く途中パリに立ち寄ったすがやさんとパリのホテルで会う。
  • 92年8月、Ecole Superieure des Sciences Economiques et Commerciales(ESSEC)の専門職大学院にて情報マネージメント課程を選択。サマースクールでは、研究科長の指示により会計学と民法を選択させられる。このとき知り合ったモロッコ人の友人とはいまでも親しくしている。
  • 92年11月、外国語フォーラムのスタッフになる。
  • 93年2月、日本に一時帰国。友人・丸楠恭一氏に出版社をいくつか紹介してもらう。このころから、退職後の暮らし方を模索し始めた。
  • 93年3月、月刊誌『国会月報』(新日本法規出版)で連載を始める。雑誌に連載ページを持つのはこれが初めてである。
  • 93年5月、本と雑誌フォーラム(FBOOK)に常駐するようになる。
  • 93年10月、日本に一時帰国。当時、FBOOKで小説工房を主宰していた水城雄さんのところに取材で訪れる。
  • 93年10月、ESSECに提出する論文はとりあえず日本からファックスで送り、暫定版のまま口頭試問を受ける。日本帰国中にフランス語力はボロボロになっていたが、寛大な研究科長のおかげでなんとか通過する。ちなみにプレゼンではPowerPointの使用が推奨されていたが、Mac野郎の意地があったので、Aldus Persuasionを使った。

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主著
2007年『リンク格差社会』
2007年『ビンテージMacintosh』
2006年『マンガ古雑誌マニア』
2005年『メディアの近代史』(共訳)
2004年『監視カメラ社会』
2003年『レポートの作り方』
2002年『マンガ古書マニア』
2000年『ネットワーク社会の深層構造』
1998年『マンガ古本雑学ノート』
1997年『間違いだらけのパソコンソフト選び Mac編』
1996年『デジタル・カメラお気楽活用ガイド』
1995年『緊急指令!電子メールを活用せよ』
1994年『ネットワーク社会』
略 歴
1959.10横浜生まれ
1972.4私立聖光学院中学校入学
1979.4東京大学教養学部理1入学
1983.3東京大学理学部数学科卒業
1983.4三菱総合研究所入社
1992.6同社を休職し渡仏
1992.8ESSEC MS-MSID課程登録
1993.9同課程修了
1993.10Pantheon-Sorbonne DEA登録
1993.9同課程中退
1994.10Sorbonne Nouvelle DEA登録
1993.7同課程中退
1999.7日本に帰国
2001.3第16回テレコム社会科学賞受賞
2001.4目白大学人文学部助教授
2007.4目白大学社会学部教授
2008.4明治大学情コミ学部准教授
2011.4明治大学情コミ学部教授