開設:2025/12/30
最新更新日:2026/1/12

これまでに収集したフランスの女性誌(主としてファッション誌)に関するコンテンツを徐々に増やしていきます。
【更新情報】
(2026/1/12)データの一部を公開しました。
(2026/1/8)サイトの枠組みを設定しました。
フランス誌2:主なデータ収録の対象
モード誌
Mode Illustrée
Jardin des Modes
Marie*Claire (-1944)
ファッション誌
ELLE
Marie*Claire (1954-)
Madame Figaro
BIBA|prima|Jacinte
Dêpeche Mode
その他の収録対象
1940年代の女性誌
19世紀の婦人誌

Le Jardin des Modes / L'Illustration des Modes

1920〜30年代には主婦向けの実用的な雑誌が成長しましたが、生活にゆとりのある女性が高級モードの消費者となったことで、モード誌も発展します。大きなきっかけとなったのが米国誌『VOGUE』のフランス進出です。1892年に創刊された『VOGUE』は1909年にCondé Nastが事業を継承してから高級モード誌としての地位を高めます。そして1920年に『VOGUE Paris』が創刊されました。これに深く関わったのがフランスのモード・ジャーナリストであり有力モード誌"Gazette du Bon Ton"を創刊したLucien Vogelです。
Condé Nastはフランス進出にあたりVogelに協力を求め、彼の妻Cosette Vogel(Yvonne Cosette de Brunhoff)が『VOGUE Paris』の初代編集責任者となりました。そしてVogel自身は1920年秋にモード誌"L'Illustration des Modes"を創刊します。この雑誌が1922年に誌名を"Le Jardin des Modes"に変更し、1923年にはVogelが編集責任者のままCondé Nastの傘下に入っています。"Le Jardin des Modes"自体は"VOGUE"と提携関係にあったわけではありませんが、マーケティング戦略上、読者層なり内容なりで、なんらかの棲み分けがあったと考えるのが自然でしょう。
なお、jardinは「庭」、modeは「装い」という意味です。日本の先駆的な服飾誌『装苑』という名称は、"Le Jardin des Modes"に影響されたようです。


【参考資料】
江下雅之「第三共和政以降を中心とするフランスの女性誌出版状況」『情報コミュニケーション研究』(2022)
古賀令子「ファッション誌の変遷:黎明期から現在まで」『文化女子大学図書館所蔵服飾関連雑誌解題・目録』(2005-09, pp.14-24.)
柳沼恭子「Le jardin des modes (ル・ジャルダン・デ・モード) Paris : [s.n.], 1920-1996」『文化女子大学図書館所蔵服飾関連雑誌解題・目録』(2005-09, pp.183-184.)

創刊から第二次世界対戦開始前まで:1920〜1939

"Le Jardin des Modes"の事実上の創刊号"L'Illustration des Modes"1920年10月21日号と第2号(11月4日号)を運良く入手できました。価格は2.5フラン、月2回の発行となっています。誌名が"Le Jardin des Modes"に変更されてからの表紙の雰囲気はおなじですが、1924年時点で月刊となっています。表紙の雰囲気は1933年から大きく変わります。誌名のフォントは1931年途中からサンセリフとなり、1933年から表紙の図版はイラストからモデルの写真に変わりました。
参考までに、"VOGUE"フランス版の1935年11月号と1939年2月号を紹介しておきます。古い"VOGUE"は流通量が少なく、しかもネットオークションでの人気も高いため、入手はなかなか困難です。

1920年 1921年 1924年 1925年 1926年 1928年 1931年 1932年
1933年 1934年 1935年 1936年 1937年 1938年 1939年 Vogue Paris
第二次大戦後から中断まで:1947〜1971

外国書籍の流通に時間がかかった時代にあっても、"Le Jardin des Modes"の洗練された写真と記事はフランス国外にも多くのファンがいました。中原淳一をはじめ多くの日本人デザイナーも目を通していたようです。1962年8月号は表紙・内容から日本で大規模なロケが実施されたことがわかります。2年後の東京オリンピックを控え、日本への関心が高まっていたのでしょう。
誌名は1953年の途中から定冠詞が取れて"Jardin des Modes"となりました。また、誌名のフォントは1947年時点でセリフに戻っています。
高級モード誌としての地位を確立していた"Jardin des Modes"ですが、1960年代後半ごろには行き詰まってきたようです。この時期すでにファッション市場が大衆化し、"ELLE"や"Marie*Claire"などが流行を牽引していました。"Jardin des Modes"は1971年で休止となります。

1947年 1948年 1949年 1950年 1951年
1952年 1953年 1954年 1955年 1956年 1957年 1959年
1961年 1962年 1963年 1964年 1965年 1966年 1967年
1968年 1969年 1970年 1971年
再開と大判化そして休止へ:1979〜1994

"Jardin des Modes"は8年の休止を経て1979年に復活します。誌名のフォントも変わりましたが、最大の変化は雑誌サイズで、ほぼA3判という巨大な雑誌となりました。1954年に復活した"Marie*Claire"も巨大でしたが、それよりも大きなサイズです。そもそも変A4判相当の"ELLE"でさえ日本的な感覚では大判でしたが、その倍の大きさです。もはや持ち歩く前提ではないでしょう。そして復活した"Jardin des Modes"も1996年にはふたたび休止し、その後の復活はありません。明確なアナウンスはありませんが、休刊となったのでしょう。

1979年 1980年 1981年 1982年 1983年 1984年 1985年 1988年 1991年
1991年 1992年 1993年 1994年
1994年

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