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過去の日記一覧


この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
■ 身辺雑記カテゴリー

カテゴリ「身辺雑記」に投稿されたすべてのエントリのアーカイブのページが、新しい順番に並んでいます。
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1999年09月16日

 オーストリアに移住した先輩が一時帰国しているので、その歓迎を兼ねた呑み会が20日あるとの連絡が入った。久々に懐かしい面々と会えるかもしれない。


1999年09月04日

 某作家さんより中華メシに誘われる。場所は六本木の東京飯店。新橋のホテルのロビーで待ち合わせをしたところ、遠くからいきなり「Monsieur Eshita !」と呼ばれ、脊髄反射的に「Oui ?」と応じたところ、待ち合わせの相手本人であった。くそ、意表を突かれた。


1997年10月24日

 ガロアとアーベルとの研究はじつはかなり違うんです。アーベルが証明したのは「五次方程式が代数的には解けない」ことであり、ガロアの研究は代数方程式が代数的に解ける一般的な条件でした(今日のいわゆるガロア理論)。実際に代数学におけるアーベルの業績はこれだけで、彼はむしろ楕円関数論で有名ですね。
 アーベルの天才はノルウェーでも認められていたのですが、当時のノルウェーはえらく貧しく、アーベルをドイツやフランスに留学させられるだけの資金がありませんでした。で、せめてもということで旅費だけは支給します。これでアーベルは当時のフランスの看板数学者コーシーとルジャンドルのもとを訪れます(コーシーは Ecole Polytechnique の初代数学教授)。ドイツに行かなかったのは、アーベルが送った五次方程式論の論文をガウスが一顧だにせずに捨ててしまったのに腹を立てたから、という話があります。もっとも、後にガウスはアーベルの業績を知り、邪見に扱ったことをえらく後悔したそうです。
 ところが二人の数学者はエスプリたっぷりの会話でアーベルに接し、数学の話題はおくびにも出さず、アーベルをすっかり失望させてしまったそうです。このころコーシーはガロアの論文を紛失してしまってます(これがガロアの挫折につながる)。実にコーシーは二人の天才の挫折に関与したわけです。
 もう一人ルジャンドルは楕円積分の研究に没頭していたのですが、じつはこの分野を飛躍的に発展させたのがアーベルでした。まあ、ルジャンドルは後にアーベルの業績を知って、えらく悔やんだそうです。
 失意のどん底にあえいだアーベルでしたが、それでも地道に活動を続け、フランスで誕生した世界初の数学論文誌クレーレの創始者に見出されたりもします。で、いよいよベルリン大学教授の職に就ける、というときに、長年の無理がたたって夭逝してしまいました。
 ガロアの方はというと、その挫折を悔やんだ Louis Le Grand の恩師リシャールは、数年後にもう一人の天才少年を見出します。そして彼は少年をなんとしても Ecolo Polytechniqueに入学させるべく、一年間、受験勉強に専念させます。で、無事に入学を果たして数学者としての才能を開花させたのがエルミートという人で、彼が残した業績は「エルミートのおかげで後世の数学者は50年は多忙でいられる」といわれたくらいですね。
 そのエルミートがある時「五次方程式の解法について」という論文を発表しました。そのなかで彼は一般五次方程式が楕円関数によって解けることを示します。アーベルの研究がこれで一応閉じた形になったわけですね。
 エルミート以降にはポアンカレが登場してくるのですが、ガロア前後の時代がフランスの数学史ではいちばんトキメク時期であります。


1997年09月23日

 秋の始まりの日曜日の巴里の公園で、pispisとせがむムスメを茂みに連れていって「しーしー」させていたのはワタシです。
 栗はイガイガごと落ちまくりますよ。Arago通りがいま真っ盛りです。公園なんかでは子どもが箱いっぱいに栗を拾っておりますね。
 このところの黄昏どきは空が澄んでいるせいもあって、なかなか綺麗っすね。うちの前からだとモンパルナス“遠くから見ても風情がない”タワーのシルエットがけっこう印象的でっせ。95年10月の帰国のとき、ひょっとしたらその光景を二度と見られなくなると思ったら、たまらなく悲しくなってしまったものです。


1997年09月21日

 Pont des Arts のあの形は「京都の旧三条大橋」ってところでしょう。広重の浮世絵に登場する三条大橋は、百歩ぐらい譲れば Pont des Arts に似てないこともないから、そのミニチュアを京都にこさえても、場所によってはけっこう風情が出るかも。
 しかしまあ、キンキラのアレクサンドル三世橋、片側だけ改装のすんだ新橋、三条大橋もどきといい、個性的な橋が多いっすよねえ。17〜19日は突然蒸し暑くなったけど、今日あたりからまた先週とおなじ秋の気候に戻りましたから、セーヌ河沿いの小径を橋から橋へと散策する人の数も、さすがに激減するでしょう。いよいよ本格的に秋ってわけで。


1997年09月16日

 6月末のときは、イギリスの出国管理はなんもありませんでしたよ。Waterloo駅の改札をすませ、車内に乗り……それで終わりです。フランスの入国審査もなかったから、イギリスの場合は「入国にはうるさいけど、出ていくやつにはなんもいわない」ってな方針なんですかね。まあ、スイスも似たようなもんだと思うけど。
 ベルギーからフランスに戻るとき、高速の検問所でパスポート提示を求められてちょっとびっくり。たまには仕事をしているってポーズを示すため、ですかねえ。


1997年09月15日

 ロンパリの時差といえば、2ヶ月前に遊路★で往復したとき、行きは2時間なのになんで帰りは4時間もかかるんだろう、イギリスって、よっぽど出国管理が厳しいのかいな、なんて思ってしまいました。
 携帯電話といえば、うちの SFRはベルギーとの国境を越えたとき、液晶に「BEL 10」なんて表示が出ましたね。どこに国にいるのかがその都度出るってことなのかな。契約オプションで trans europe にはしてないので表示されるだけですが。


1997年09月14日

 ええっと、Pont Neuf だったかどうかは忘れたけど、ラッピングされた橋はありますね。たしかポンピドーにそのときの写真が展示してあったと思う。このラッピング好きのおっさんの名前、なんだったかな。どうもすぐに忘れてしまう。ポンピドーの常設展示場に、たしかラッピングしたピアノが展示してあったと思います。
 あと、たしかどこかの崖に巨大なスクリーンを張る計画もしてたような。そのときの計画図がどこかで展示されていたと思うのだけど、それもポンピドーか、NYのメトロポリタンのどちらかだったと思う。
 パリは昨日から急に寒くなりましたよ。最低気温が10度を切りました。うちの近くは栗がころころおっこってます。


1997年03月06日

 最近はテレビ番組でもときどきカラオケセットを景品にしてますね。ありゃフランス人よりもイタリア人の方がハマるんじゃないだろうか。
 このところ不景気な Brasserie Port Royal はぜんぜん Karaoke Soiree をやらなくなりました。fete de la musique まではおあずけかな。


1996年11月06日

 秋の巴里の天気は、要するに「雪の降らない日本海側」である。  ひたすら曇る。さっさと雨が降ってくれたほうが、よほどすっきりする。一気に降って、それから晴れてくれ。さけびたくなるぞ。
 ところが、降りそうでぜんぜん降らない。ようやっと降るときも、ちょっとしつこめの霧雨程度なので、傘が必要かどうか、微妙なところだ。たいていなしですませてしまうんだが、長時間歩いていると、けっこうぐっしょりと濡れてしまう。
 11月6日はどえらくいい天気だった。空の感じは6月のようだった。天気がいい日はモンマルトル……というのがお約束事である。完全に観光化されたところであるが、それでも絵になるとは思う。サクレクール寺院の前庭には、一部で「鳥オジさん」と呼ばれる名物おやじもいる。あわよくばその写真が撮れれば、と思った。
 前庭のいちばん下には、まだメリーゴーランドが稼働していた。子どもを二人連れた家族が乗っていただけ。ベンチにはサンドウィッチを食っていたアベックが、むらがってくる鳩をうるさそうに追い払っていた。
 この日、鳥オジさんはいなかった。いつもなら階段をほとんどのぼりきったあたりで、浮動の姿勢で手のひらにパンくずを乗せている。それに雀が群がっているのだが、オジさんは若いころ、パレロワイヤル広場で彫像のパフォーマンスでもやってたんだろうか。
 サクレクール寺院(写真左)から先は、いつものおきまりコースを歩いた。テルトル広場からキャバレー・ラパンアジル(写真中央)に向かう。途中の葡萄畑はすでに収穫されたあと。角のところでは、日本人の撮影グループがモデルを立たせて写真を撮っていた。
 葡萄畑のすぐ上の通りが、モンマルトルの丘でもいちばんノスタルジックな雰囲気がある。豪奢な民家が二軒ならび、そのとなりがモンマルトル美術館(写真右)である。オフだからは、ほとんど人はいなかった。

1996年11月05日

 11月に入ってから、街路樹の葉っぱがいっきに落っこちた。栗はまだしぶとくぶらさがっておる。歩道のうえは落ち葉の絨毯状態になった。
 アパートからながめているぶんにはキレイでいいのだが、雨上がりはやっかいである。濡れた葉っぱはすべる。しかも踏まれていくうちにヘドロ化してしまう。夏の残雪とおなじで、こういうのは当事者になったらあかん。
 翌日、清掃局の人間がスコップを持ち出して葉っぱを必死に処理していた。

1996年10月14日

 impots sur la revenue の「督促」は、税務署によっては滞在身分に関係なく無差別に送ってきます。たいていは「学生です」といえば事足りるけど、それでも繰り返し「督促」がくるから油断がならんのです。万が一もめても、税務署に行って滞在許可証を見せれば問題はありません。そこに労働をしたらダメと明示されているし、論理的にはそれがゆえに adresse fiscale を申告できないってことになるからね。


1996年06月13日

 VISAはもうとっくにおりていて、すでにパスポートを渡していて、あとは取りに行くだけの状態……になって二週間経過。自由業恒例の修羅場のまっただなかで、外出先は最寄りのコンビニだけという日々です。あ〜あ。でも出発まであと一ヶ月っきゃないんで、仕事を片づけないといけない。
 正直なところ、VISAが予想外に簡単におりてしまったんで、なんだか巴里に戻るのが妙に面倒くさくなってしまった時期もある。だけど梅雨入りして、蚊がぼちぼちうっとーしくなると、やっぱり夏のヨーロッパが恋しくなってしまう。
 夜なべ仕事やっていると冷えたソフトドリンクが必需品なんですが、巴里に帰れば Liptonic と Perrier をじゃんじゃん飲めるのがうれしい。むかしはガス入りの水なんて大嫌いだったんだけど、馴れると病みつきになるんですよね。Odeon の Danton でペリエをちびちびやりながら仕事を……なーんてことがまたできると思うと、やっぱ嬉しくなってしまう(笑)。
 Brasserie Port Royal の指定席は、もちろんそばにコンセントがある席(笑)。あー、その前に PowerBook のアップグレードをすませておきたい。



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