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過去の日記一覧


この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
■ 雑感カテゴリー

カテゴリ「雑感」に投稿されたすべてのエントリのアーカイブのページが、新しい順番に並んでいます。
一つ前のカテゴリーは、「身辺雑記」です。 次のカテゴリーは、「音楽」です。

1999年03月29日

 フランスから出ている数学書の代表は、おそらくブルバキの『原論』でしょう。これはもう、少なくとも日本で数学を志す者なら、岩波講座基礎数学と並んで持っていなければいけないシリーズです。元祖タレント数学者の森毅もブルバキ日本語版の翻訳委員だったのでは。
 面白いなと思ったのは不等号の表記。日本では中学・高校で教える不等号は、「<」や「>」に「=」を組み合わせたやつです。「=」は「>」などの真下に置くわけですが。
 ところがフランスのリセなどでは、ブルバキの順序記号を最初から使わせているらしい。つまり、「<」などの下の部分を二重線にするやつです。日本でも大学ではそれを使うことが一般的みたいだけど、リセからとなると、さすがブルバキの地元、なんて思ってしまった(笑)。
 話は飛ぶけれども、日産のリストラに乗り込むルノーのゴーン副社長、この人もポリテク出身だそうです。Mineも出ているっていうことだから、トップ6の double diplomeってことか。


1999年03月23日

 ガロアがいた時代の数学の重点領域は、方程式論と楕円関数論、それと非ユークリッド幾何学でしょう。方程式論では、18世紀中にガウスが複素数は代数的に閉じているという定理を学位論文で証明しました。これ、「代数学の基本定理」とか「ガウスの定理」と呼ばれていたのだけど、フランスの数学会から「ダランベールがガウス以前に証明していた」というクレームが付いたらしく、最近は「ガウス=ダランベールの定理」と呼ぶようです。
 その後は一般五次方程式の解法に関心が向かい、ご存じの通り、ノルウェーの若き天才数学者アーベルが証明するも、ガウスには論文を見てもらえないわ、審査を依頼したフランスのコーシーに論文を紛失されるわで、結局この業績が陽を見たのは、かなり後になってからのことです。アーベルは後日フランスに旅行した折、コーシーやルジャンドルなどと面談するのだけど、慇懃無礼な対応をされ、以来、フランスへの心証をえらく悪化させたそうです。
 アーベルといえば五次方程式が代数的に不可解であることの証明があまりに有名だけど、数学上の実績としては、楕円関数論の方が知られています。とくにフランスのルジャンドルが頓挫していた研究領域をブレークさせたのがアーベルで、この二人の関係、サリエリとモーツァルトに似ているかも。
 エルミートの業績は「青銅よりも不朽」とか「後世の数学者は50年は多忙でいられる」とまで称賛されたのですが、その多くは楕円関数論だったと思う。その意味では、ガロアよりもアーベルの仕事に近かったのですね。
 で、ある日エルミートは、「一般五次方程式の解法について」という論文を発表しました。その内容は、楕円モジュラー関数によって一般五次方程式が解けるというもので、見方によっては、アーベル、ガロアの業績がここで一つの到達点を見た、という感じです。
 ちなみにコーシーといえば、アーベルのみならずガロアの論文まで紛失するという“汚点”があるんだけど、この人、当時はポリテクの主任数学教授で、数学史上でも「最も多産な数学者」として知られています。ただ、フェルマーの定理を二度にわたって証明したと勘違いするなど、チョンボの方が有名なんですよね。熱心なカトリック信者で、数学の議論よりも布教に励んでいたという話もある。エルミートもコーシーの熱烈な勧めによって、カトリック信者になったそうな。
 ガロア理論が再発見されたのは、没後30年も経てからで、クロネッカーによるものです。そのあたりの状況を、かの高木貞治は、時代を超越するにも程がある、“ゲッチンゲンの爺さん”は、同時代人には到底理解できそうにないものは、賢明にも公表しなかった、と評したものです。統計で有名なポアソンなど、ガロアの論文をまったく理解できず、「字が汚くて読めない」という理由で却下したくらいですからね。


1998年12月27日

 ここ2〜3年ほどで、フランスの支社や駐在員事務所のかなりが「整理」されるんじゃないか、という気がしております。だからこのところやたら国際引越業者の元気がええわ。一部のジャンルを除けば、どう考えても英独ベネルクスの方がメリットありますもん(笑)。住むのだったらフランスがいいと思うんですけどねえ。


1998年11月15日

 まったくもって、日本にファミリー向けモーテル・チェーンがないのは不思議でたまらない。インター近辺のラブ・ホテルを改造すればいいだけだと思うんですけどねえ。


1998年11月07日

 来年帰国しようと決めつつも、旅行のたびに決意がグラついてしまってます(笑)。
 日本でも宿泊料を安くする方法はいろいろとあるのだけど、あまり一般的じゃないんですよねえ。とくに家族連れだとカネがかかるのは仕方ないし(;_;)。そのあたりを改善すれば、内需なんていくらでも拡大すると思うのだけど。


1998年10月26日

 フランス国内でも、パリとパリ以外の都市とではぜんぜん違います。地方は本当にのんびりとしていい。どんな運転をしても(といっても、程度の問題はありますが)許されてしまうという気がしてしまいますね。まあ、それはドイツの方が徹底している感じですが。


1998年10月24日

 パリの運転感覚は大阪とおなじとわかってからは、パリ市内もまったく苦にならなくなった(笑)。要するに、「鈍臭き者よ去れ」の世界なんすね、パリは。
 先日も旅行から帰って Porte d'Italie から市内に入るとき、左折しなきゃいけない交差点の手前で、うっかりといちばん右側に流されてしまった。こういうとき、真っ先にダッシュできれば一気に左まで進路変更できる。出遅れたら目一杯右端に寄って交差点の先で止まり、信号がかわってから転換すればいい(日本の原付方式)。
 で、たまたまダッシュができたので、5車線分を理不尽に突っ切れました。ダッシュがよければクラクションもまったく鳴らされないっすね。要は「おれはこうしたいんだぁ!」という意志表示が大事なんでしょう。
 渋滞中の Peri に合流するときだって、ありゃ夜の新御堂筋に割り込むのとおなじ感覚だと思うぞ(笑)。


1998年08月06日

 「一つのヨーロッパ」のなかで、あのスイスが臍のように孤立する構図というのが、いかにもスイスらしいって感じがいたしますねえ(笑)。
 ヨーロッパ統合なんて、外敵(日本とアメリカ)に備えるために、内堀(既存の国境)に加えて外堀(EU)もこさえたろうってなもんでしょう。
 しかし先日、ルクセンブルクに行ったのだけど、ベルギーやフランスとの国境に人もいなければ高速の徐行速度も70キロ、国民が話すのはフランス語、ATM から出てくる現金はベルギーフランってな状況を見て、もはやルクセンブルクという国は消滅したと実感しましたぜ(笑)。


1998年06月21日

 個人的には、W杯終了後にトゥルーズやナントの人たちが、日本や日本人に対してどういうイメージの「転換」があったか、なんてことに興味がありますね。ひそかに『ワールド杯で日本がフランスに残したもの』なんて出版企画を考えております(笑)。
 今日は久々にシャンゼリゼに行ったのだけど、いやもう暑かった。ボルドーは37度まで上がったらしいですが。


1998年06月17日

 うちの両親もずっと客商売をしてたんですが、一見の客でも印象に残る人は何年経っても忘れないようです。ただ、この印象というのがかなり偶発的なもののようで、べつに目立つ人だから印象に残るってわけでもないみたいですね。
 かつてまだ AOMの日本便が存在していたころ(笑)、一往復だけ利用したことがあります。で、パリ・東京と東京・パリとで偶然おなじクルーが一人いたのだけど、彼がぼくのことをたまたま覚えていてくれました。そのときもやっぱ "Mais je vous ai vu !" というセリフが出てきましたね(笑)。
 このときのパリ→東京のフライトでは、当時フランスF3レースに参戦していた酒井選手が隣の席にいて、いろいろと話し込んだり、住所を教えあったりしました。その4年後、すがやみつるさんが取材でイギリスに行ったとき、片山右京から酒井選手を紹介されたそうです。で、すがやさんには酒井選手に会ったことがあるって話を以前したので、すがやさんがその話を持ち出したら、そのときの酒井選手はぼくのことはまったく覚えていなかったそうです(笑)。
 まあ、男たるもの、機内であった若い女以外は覚えちゃいないでしょうね(笑)。


 いくらでも買う日本人があれだけいるって状況をさんざん報道されてしまったから、いまどき「100フラン以下なら」はもうダメでしょうねえ。やっぱ狙い目はクロアチア対ジャマイカ戦みたいなカードじゃないのかな。足下を見られないようにするためには、日本人全員が「関西化」せにゃあかんのとちゃうか。
 長野五輪ではアイスホッケーの決勝チケットに10万の値が付いたそうだけど、ビッグ・イベントの人気カードだと「10万円以上」がもうあたりまえなのね。


 2000 Frs を高いと感じるかどうかは、思い入れ次第でしょう。だってこの額、パリ市内の★★★レストランでコース・メニューと高いワインを注文すれば行っちゃうでしょ?
 それでも満足して美食に励む人がいるように、2000 Frs 以上出してもサッカーを見たい人がいたって不思議はない。おれだって 2000 Frs 払えばモナコGPのミラボー・コーナーが見える席に招待してもらえるって言われれば、そのくらいは喜んで出しちゃいます。マンガ古本の世界など、虫コミックスの『魔法使いサリー』が6万円で売れちゃう状態だぞ(笑)。
 なんでもあのトゥルーズに日本人が1.8万人行ったんでしょ?
 これはちょっと感動的でしたねえ。パリ以外の街にこれだけの東洋人がまとめて集まるなんてことは、もしかしたら二度とないかもしれない。Francophile の一人としては、動機がなんであれ、多くの同朋がパリ以外のフランスを垣間みる機会を持つことは無条件で歓迎したいっすね。
 2月に白馬にいたときには、長野のあんなド田舎の普通の飯屋にノルウェー人やオーストリア人たちがごく普通に出入りする光景を目にした。オリンピックでもなければ、白馬に外国の人が来ることなんてないんだよね。W杯や冬期五輪の素晴らしいところは、首都以外の地方に大量の外国人がやってくることだと思うんだが、カモにされているのを承知でフランスの地方都市を巡回するサポーターに、おれはやっぱエールを送りたいっすね。2000〜3000 Frs しようが、満足代だと思える範囲ならいいんじゃないのかな。そのかわり、グッチやエルメスは困るだろうけど(笑)。
 そういや昨日の TF1 のニュースで、円安のためにフランスの高級ブランドの売上が軒並み落ちているって報道がありましたね。これって円安以上にW杯の影響が強いんじゃないのかね。まあ、ダフ屋がどれだけ荒稼ぎしようと、フランスに落ちるカネの額は一定ってことなんでしょう。


 昭和40年代末のオイルショック不況の光景をくっきり覚えているけど(トイレットペーパー・パニックとかね)、いまの日本は不況なんかじゃないと断言できますぜ。不況感すよ、不況感。これはもう、完全な「自虐不況」ね。80年代以降、経済なんて消費者マインドでいくらでも上下するんだから、不況感が蔓延すれば不況っぽくなっちゃう。日本の裏返しがアメリカ。あっちは「幻想好況」ってやつだよな。


1998年06月16日

 前半が終わったあとのダフ屋レートが 2000 Frs だったそうです。完全にカモにされてますね>日本人サポーター。
 高いチケットを買ってまで観たいと思うかどうかは趣味の問題だが、日本は本当に不況なんだろうかと思ってしまうぞ。


1998年06月15日

雑感脱帽

 ル・マンに出場した選手たちが「フツーの日本人」ならまだしも、あれはいまや車のオリンピックのようなイベントであり、出場選手・チームは国の代表というような意味あいもありますから、誰かが事前にでも教えてしかるべき問題でしょう。日本のチームはすでに優勝経験だってあるのですから。
 フランスの学校で教えているか否かの事情は生憎と知りませんが、ヨーロッパみたいになにかと外国との交流がある地域では、どこかでかならず教育されるものなんじゃないでしょうかね。その意味でいえば、日本は日常的に外国を意識する必要がほとんどないからこそ、国旗・国歌に関して無邪気な議論をのんびりとしていられるのでしょう。
 そうそう、前発言で訂正。あわてて脱帽したのは鈴木亜久里選手のようです。で、脱帽しかけたけどやめたのが影山、最後までそぶりも見せなかったのが星野、ということらしい。星野だって20年前にはF1にも出たんですけどねえ。


1998年06月13日

 いまのビッグ・イベントはテレビの放映権が収益源になってますので、チケットなんかも広告代理店やスポンサー、メディア関係のルートに大量に流れてしまいます。だから旅行代理ルートだとなかなか手に入らないのも当然だと思う。いくらチケット不足とはいっても、あるところにはあり余っているはずですぜ。
 W杯決勝前後はフランスを脱出してイギリスにF1を観に行く予定であります(笑)。そういや来週はフランスGPか。開催場所がポール・リカールに戻れば行きたいとも思うんですけどねえ。
 先週は恒例のル・マンが開催され、日本人ドライバーの日産チームが総合3位に入る健闘を見せたけど、表彰式では案の定というか、国旗掲揚・優勝チーム国歌演奏の際に選手は脱帽せんかった。大ベテランの星野だけが途中で気づいたようだけど、鈴木・影山の二人はかぶったまま。鈴木なんてF1で表彰台経験があるはずなのにね。
 一般庶民がブティックでブランド品を買いあさる光景などなんとも思わないけど、国際的なイベントに参加する者が国際儀礼を知らないというのは、いかにもみっともないと思いますね。しかも長野五輪の里谷多英でひとしきり話題になったばかりなのにね。
 優勝チームにいたフランス人選手は、ドイツ国歌が演奏されるや、インタビュー途中なのにあわてて脱帽してました。彼だけでなく、1・2位チームの選手全員は言うまでもなし。モータースポーツ選手は、表彰台に立つときはタイヤメーカーのカスケットをかぶる契約になっているはずだが、それでも国旗・国歌に対しては敬意を表して脱帽するのが当然の慣習ですね。


1997年12月09日

 たしかに姿勢の悪い旅行者が多いって印象はあります。フランスに着いた時点ですでに疲れちゃったんじゃないですか。ぼくもサラリーマン時代は、どこに着いてもホテルでぐーすか寝てばっかいたような気がする。
 中年夫婦はほんとにつまらなさそうな雰囲気な人たちが多いですね。なんなんだろう。旅行に来てもみやげのことが心配なんでしょうかね。まあ、周囲を見ても、とりあえずみやげを買うとノルマを果たしてほっとした、なんて人が多いけど。
 ぼくは明日日本に出発するけど、みやげは Champion で買ったセール品のアンチョビの缶詰であります。あとはまあ、長野オリンピック開催期間中に泊めてもらう友人への「宿代」としてシャンパンとワインを少々。みやげのシガラミを断つために、まずは自分から「みやげは買わない」の励行を心がけております。


1997年12月02日

 いまや韓国&中国人パワーがすごいっす。2、3年前までは服装がまだなんとなく70年代風だったので日本人とは比較的簡単に区別できましたが、いまではほとんど見分けがつきません。女子大生ぐらいだと化粧の濃さである程度は識別できますが。
 ただ、韓国の不況は日本よりも深刻ですからねえ。多少は頭打ちになるかもしれない。でもフランスを訪れる日本人旅行者はリピーターが多いので、最近はプロバンス方面に散る傾向が強まっているようです。


1997年09月17日

 Pont des Arts は名前がいいので許します。
 でもあれも妙ちきりんな橋っすよね。ポンピドーもそうだけど、「年中、建設中」って感じっすね。パチンコ屋みたいに花輪でもかざっときゃいいのに(^_^;;)。
 しかし、由緒ある都市にはかならず中心に川があるけど、東京は隅田川が文化の中心からそれて以来、この原則からはずれてしまいましたわな。まあNYも中心じゃなくて両側ではあるけど。真ん中に川があるというのは、それはそれで情緒があっていいと思うんですけどねえ。


1997年09月12日

 大学のセンセーなんかもすごくよく働いてますよね。いつだったか、アポを取ろうと思ったら、「金曜の夜8時過ぎか、土曜の朝7時ごろなら空いている」と言われて、のけぞってしまったことがあります。さすがに日曜はみんな休んでるけどね。


1997年09月10日

 わしも実感としては、スイスの中立というのは、みんなからのけ者にされること、だと思います。ニッポンもスイスへの道を歩んでいるのか?


 サラリーマン時代は、有休20日、有休とは別枠の制度で連続休暇 2週間、これまた有休とは別枠に夏休み 3日分と年末年始休暇が 5日分ありました。計算したら高校生よりも休みは多かった(ただし土曜は登校日として計算)。
 さすがにこれを完全消化する人はマレでしたが、ワタシはそのマレなうちの一人でしたので、年に最低三回は 2週間休暇を取っていました。だからフランス人の平均バカンス取得日数を聞いたとき、「案外とみんな休んでいないものね」と思いましたね。
 でもこっちは平日は12〜15時間労働があたりまえだったので、年間の総労働時間はフランス人平均よりも5割多かったけど。


1996年07月05日

 巴里と横浜はけっこう似ている点が多いことに気づいた。この場合の横浜って、根岸線の横浜から磯子までだけど。
 街娼が多い、怪しげなジャズ・クラブが多い、外国人が多い、御廚さとみのマンガが似合う(巴里が『裂けた旅券』なら、横浜は『ケンタウロスの伝説』)、街の伝説があちこちにありそう等々。でも最近はヨコハマもすっかり健全な住宅地が増えたので、ちょっと軌道修正が必要かも。
 どこかうさん臭い街は、やっぱり魅力があるもんです。巴里近郊でもエブリーとかセルジーは整然とした区画の街なんだけど、ぜんぜん匂いも香りもなくておもしろくない。近郊ならサンジェルマン・アンレーなんかはすごくいいですけどね。


1996年05月04日

 街路樹であればchemin よりも avenue と呼んだほうが気分が出ます。
 ぼくは勝手に巴里の Champs-Elysees、紐育の 5th Avenue、東京の銀座通りを「世界三大 avenue」と呼んでいます。もうちっと広ければ銀座通りが最高だと思うんですけどね。わずか4車線というのが残念。こじんまりとした雰囲気という点では、コリドー街のほうがいいかもしれない。
 しゃれた街にはしゃれた通りとしゃれたカフェは必須アイテムだと思います。ヨコハマだと山下公園通りがいい。とくに銀杏の落ち葉がじゅうたんのようになる12月上旬ね。夏のしんしんとした雰囲気もいいですが。唯一残念なのが、Hotel New Grand がむやみにでかくなったこと。むかしのようにこじんまりとしていたときのほうがよかったのに。
 巴里のほうでは、アパート前の Boulevard de Port Royal もいいんだけど、その一本裏の Avenue d'Arago のほうが街路樹はきれいです。4〜6月はときおりキツネの嫁入りがあるんですが、そんなときは、水滴をたたえた街路樹が本当にきらきら光る感じがして。だから巴里からは足抜けできません。


1996年02月13日

 フランスの企業会計は ESSEC で習ったのだけど、講師はアーサー・アンダーセンの公認会計士で、授業はとにかく実習ばっか。請求書とか納品書のサンプルのコピーをでんとわたされ、ひたすら貸借表や財務表を作る日々でした。
 ニッポンとのいちばんの違いは、減価償却 amortissement の方法でしょう。ニッポンだと資産額の一割を残存簿価として残し、残り9割を定額または低率で償却する。で、低率償却をするときの償却率は、1 - 0.1^(1/n) です。6年償却の場合で 0.319 だっけかな。
 ところがフランスだと残存簿価を残さない。ぜんぶ償却しきっちゃうのが原則なんですよね。償却率も 0.2 とかキリのいい数字を、資産額にどんどん掛けていっちゃう。で、定額償却とした場合の償却額を下回ってしまう年度以降は、均等に配分してしまいます。



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