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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1996年11月06日

 秋の巴里の天気は、要するに「雪の降らない日本海側」である。  ひたすら曇る。さっさと雨が降ってくれたほうが、よほどすっきりする。一気に降って、それから晴れてくれ。さけびたくなるぞ。
 ところが、降りそうでぜんぜん降らない。ようやっと降るときも、ちょっとしつこめの霧雨程度なので、傘が必要かどうか、微妙なところだ。たいていなしですませてしまうんだが、長時間歩いていると、けっこうぐっしょりと濡れてしまう。
 11月6日はどえらくいい天気だった。空の感じは6月のようだった。天気がいい日はモンマルトル……というのがお約束事である。完全に観光化されたところであるが、それでも絵になるとは思う。サクレクール寺院の前庭には、一部で「鳥オジさん」と呼ばれる名物おやじもいる。あわよくばその写真が撮れれば、と思った。
 前庭のいちばん下には、まだメリーゴーランドが稼働していた。子どもを二人連れた家族が乗っていただけ。ベンチにはサンドウィッチを食っていたアベックが、むらがってくる鳩をうるさそうに追い払っていた。
 この日、鳥オジさんはいなかった。いつもなら階段をほとんどのぼりきったあたりで、浮動の姿勢で手のひらにパンくずを乗せている。それに雀が群がっているのだが、オジさんは若いころ、パレロワイヤル広場で彫像のパフォーマンスでもやってたんだろうか。
 サクレクール寺院(写真左)から先は、いつものおきまりコースを歩いた。テルトル広場からキャバレー・ラパンアジル(写真中央)に向かう。途中の葡萄畑はすでに収穫されたあと。角のところでは、日本人の撮影グループがモデルを立たせて写真を撮っていた。
 葡萄畑のすぐ上の通りが、モンマルトルの丘でもいちばんノスタルジックな雰囲気がある。豪奢な民家が二軒ならび、そのとなりがモンマルトル美術館(写真右)である。オフだからは、ほとんど人はいなかった。

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