開設:2025/12/30
最新更新日:2026/1/9

これまでに収集したフランスの女性誌(主としてファッション誌)に関するコンテンツを徐々に増やしていきます。
【更新情報】
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(2026/1/8)サイトの枠組みを設定しました。
フランス誌1:主なデータ収録の対象
実用商業誌
Petit Echo de la Mode
Femme d'Aujourd'hui
Modes et Travaux
Mode de Paris
Femme de France
第二次大戦前の婦人誌
現代的な家庭誌
ティーン誌
20 ans|15 ans|Muteen
Jeune et Jolie
Mlle Age Tendre
実話系雑誌Confidences|Nous Deux
eve|Notre Coeur

Le Petit Echo de la Mode / echo de la mode

主婦向けの週刊誌 "Le Petit Echo de la Mode"(名称は創刊当時のもの)は次の2点でおおいに注目できる雑誌です。

1)雑誌という媒体の形態変化、とくに新聞との差違化
2)他誌に吸収されたときの形態

定期刊行物が登場してからしばらくのあいだ、新聞(journal, gazette)と雑誌(magazine, revue)との形のうえでの違いはほとんどありませんでした。どちらも大きな紙を四折り・八折りにしたものであり、今日我々がイメージする冊子としての雑誌の体裁が定着するのは20世紀に入ってからです。100年以上にわたる長い歴史を持つ Le Petit Echo de la Mode を見ると、雑誌の形態変化がじつによくわかります。
最盛期には100万部以上も発行された petit echo ですが、1968年のいわゆる五月革命のころから保守的な女性誌の低迷が顕著になってきました。petit echo も売れ行き不振に陥り、1977年には競合誌の "Femme d'Aujourd'hui" に買収されてしまいました。日本であれば版元変更という形になるのが一般的ですが、フランスの女性誌ではかなり異なる結果となりました。買収後、"echo de la mode" という雑誌自体は存続しますが、タイトルには "Femme d'Aujourd'hui" が併記されます。事の詳細は「五月革命後からFemmedoに吸収されるまで:1970〜1977」の欄で確認してください。


【参考資料】
江下雅之「第三共和政以降を中心とするフランスの女性誌出版状況」『情報コミュニケーション研究』(2022)
井岡瑞日「フランス第三共和政期前半における女子中等教育と「家庭教育」:週刊誌『ル・プチ・エコー・ド・ラ・モード』の分析を中心に」京都大学学術情報リポジトリ

19世紀から第一次世界大戦参戦前

この雑誌は1878年に "Le Petit Journal de la Mode" という名称で創刊され、ブルターニュ地方で5,000部ほど販売されましたが、赤字続きでした。1879年に地元代議士Charles Huon de Penansterの一族が買収に乗り出し、1880年に "Le Petit Echo de la Mode" と改称して再出発を図っています。19世紀当時は有閑階級婦人をターゲットにした女性誌が多かったのですが、Penansterは一般の家庭にも雑誌の需要があると考え、裕福な家庭の主婦をターゲットに、服飾や手芸などの実用的な情報や連載小説を掲載しました。この戦略は的中し、購読者数はすぐさま10万を超え、1893年には無料の型紙を付録に付けたことでいっそう人気が高まっています。1930年には100万部を突破しました。
雑誌の形態をみると、判型はB4判ほどと大きく、綴じられてもいなかったため、新聞とかわりがありませんでした。表紙も特別な紙を使っていたわけではありません。新聞との違いといえば、表紙の相当するページに大きな図版が入れられていた点ぐらいです。1890年代半ばには表紙ページが図版と誌名だけで埋まり、雑誌の表紙らしくなっています。
なお、BnF Gallicaで公開されているアーカイブは1888年以降ですので(2026年1月9日確認)、1880年発行の号の書影はけっこう貴重かもしれません。

1880年 1888年 1889年 1890年 1891年 1894年 1895年 1896年
1897年 1901年 1903年 1903年 1908年 1909年 1914年
第一次世界大戦の期間:1914〜1918

1914〜1914年に発行された "Le Petit Echo de la Mode" の表紙がを見ると、第一次世界大戦当時、フランスの家庭でどのように受けとめられていたのかが伺えます。フランスの参戦は1914年8月3日ですが、同年8月30日号の表紙には "A toutes les Femmes de France"(すべてのフランスの女性へ)と題した檄文が掲載されています。その後の1914〜1915年発行分の表紙には、夫を送り出す家族、戦場からの手紙を受け取る妻と母、喪服姿、赤十字の腕章を付けて手芸に励む女性たち、そして傷病軍人を世話する女性や子どもたちの姿が描かれています。一方、1917〜1918年の号は2部しか入手できませんでしたが、戦争の雰囲気は薄れています。
なお、19世紀に描かれていた図版はかなり精緻に描き込まれていいましたが、1910年代にはわりとシンプルな絵柄に変わっています。

1914年 1915年
1915年 1917年 1918年
狂乱の時代 Les Années Folles とシャネル革命、第二次世界大戦直後まで:1919〜1939

第一次世界大戦が終わり、やがて1920年代に入ると、表紙の図版で描かれている女性の装いにシャネル革命の影響があらわれてきます。1925年以降、女性のスカートが膝丈となり、膝から下が露出するようになります。雑誌本体にも変化が出てきます。紙質はあいかわらず新聞とおなじですが、サイズが小さくなり、ページ数も増えて中綴じとなっていきます。また、1936年の号が未入手のため開始年の特定はできませんが(興味のある人はBnF Gallicaで確かめてみてください)、表紙の図版にカラー写真が使われるようになりました。

1919年 1921年 1922年 1923年 1924年 1925年
1926年 1928年 1931年 1932年 1933年 1934年 1935年 1937年 1938年
1938年 1939年
ヴィシー政権 Régime de Vichy 時代と戦後混乱期:1940〜1949

第二次世界大戦の序盤ともいえる1940年にフランスはドイツに降伏し、パリを含む北部はドイツ軍の占領下に置かれ、南部は親ナチのヴィシー政権が統治することになりました。こうした状況は出版活動を徐々に圧迫していきます。1940年・1941年こそ極端な変化はみられませんが、1943年には物資窮乏の状況が雑誌づくりにあらわれます。4号分を合併し、しかもページ数は極端に減らされました。パリ解放後の1945〜1946年も同様で、合併号が続きました。元の状態に戻るのは1950年前後になってからです。

1940年 1941年 1943年 1945年 1946年 1947年 1948年 1949年
戦後復興から五月革命まで:1950〜1969

Le Petit Echo de la Mode は1950年代・60年代に大きく変化します。まず、誌名のロゴが1954年より "Le Petit ECHO de la MODE" となりました。ECHOとMODEを大文字で強調した形です。1955年10月2日号からは誌名からPetitがなくなって "L'ECHO de la MODE" となります。そして1963年10月20日号では定冠詞 Le がなくなって "ECHO de laMODE" となり、1966年の途中からはすべて小文字で "écho de la mode" となりました。
表紙の図版にも変化が見られます。1950年代前半はイラストの号もありましたが、50年代後半には写真だけになります。また、1950年代は母と子どもをあらわすことがたびたびありましたが、1963年からはドレスアップした女性単独の姿となりました。このあたりは「母」よりも「大人の女性」を意識したのかもしれません。

1950年 1951年 1952年 1953年 1954年
1954年
1954年 1955年 1956年 1957年 1958年 1959年
1960年 1961年 1962年 1963年 1964年
1964年 1965年 1966年 1967年 1968年 1969年
五月革命後からFemmedoに吸収されるまで:1970〜1977

1970年代は週刊誌 "echo de la mode" の「吸収」に至る期間です。歴史ある保守的な実用家庭誌は1960年代後半から70年代前半にかけて発行部数の大幅な低下に見舞われます。その要因の一つが社会変化です。女性の職場進出が進むと同時に離婚率が上昇し、家庭環境は不安定になりました。戦後生まれの世代が成人年齢に達し、上の世代との価値観の相違が浮き彫りとなっていきます。それを象徴する出来事の一つが「五月革命 Mai 1968」とも称される1968年の大学紛争であり、人工妊娠中絶を条件付きで合法化した1975年のヴェイユ法(Loi du 17 janvier 1975 relative à l'interruption volontaire de grossesse)の成立です。また、テレビ放送の普及も雑誌の低迷の一因となりました。
厳しい市場環境のなかで、"écho de la mode" は1976年には競合誌 "femme d'aujourd'hui" に「統合」されました。「統合」といっても実際には "femme d'aujourd'hui" を "echo de la mode" として発行を続けたのです。結果的に、カバーデザインも内容もおなじ雑誌に、"femme d'aujourd'hui" の大きなロゴの下に "echo de la mode" の小さなロゴを入れた冊子と、逆に"echo de la mode" の大きなロゴと "femme d'aujourd'hui" の小さなロゴを組み合わせた冊子が平行して発行されるようになったのです。本サイトでは1977年6月7日号と同年6月21日号の両バージョンを公開してますので、ぜひ比較してみてください。
休刊や廃刊ではなく統合となった理由は、あくまでも推測ですが、定期購読者を引き継ぐためだったのではないでしょうか。このころのフランスの家庭誌は定期購読者の比率が高かったので、市場環境が厳しいなかでは統合の合理性があります。ただし、1+1が2になることはなく、統合後の発行部数は統合前の両者の合計よりも減少したようです。
なお、"femme d'aujourd'hui" は1984年に "Modes de Paris" 誌を統合します。その結果、"echo de la mode" に変わって "Modes de Paris" とのダブルロゴが発行されるようになりました。"Le Petit Echo de la Mode" は創刊から106年後、名実ともに姿を消すことになったのです。

1970年 1971年 1972年 1973年 1974年 1975年
1976年 1977年
おなじ版元が発行した別の雑誌:Mon Ouvrage

1927年に "Le Petit Echo de la Mode" の発行元から "Mon Ouvrage" が創刊されました。手芸をおもに取り扱った雑誌で、1930年には発行部数が45万部にまで達しています。第二次大戦後の発行も確認できますが、いつまで続いたのかはまだ調べられていません。関連情報はきわめて少なく、BnF Gallicaにも登録されていないようです。

1932年 1936年 1953年 1954年

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