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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

2014年02月21日

ここ10年ほどのフィギュアスケートは、男女ともタレントがそろった本当に奇跡的な時代であったと思う。わしら50年代後半生まれ世代にとっては、おそらく札幌のジャネット・リンの転倒スマイルでフィギュアスケートを知り、その数年後に頬紅たっぷりな佐野稔が世界選手権3位に入って日本と世界の微妙な距離感にときめき、同時期にやはり世界選手権の表彰台に上がった渡部絵美を見て、「日本女子選手はケツがでかくて太股ふとく規定が苦手」という刷り込みがなされ、80年代に入って伊藤みどりという突然変異の天才の登場により「やはりゴム鞠体型の選手が跳び跳ねないと世界と戦えない」と確信したものだろう。その直後に佐藤有香が美しい滑りで世界選手権を制しても、伊藤みどり的突然変異でないと世界とは戦えないと思った。
そんな常識を破ったのは村主章枝だろう。2003/2004シーズンにGPFを征し、ついに芸術性で世界に対抗できるスレンダーな女子がいることがわかった。さらに同世代に荒川静香がいて、すぐ下に太田由希奈、安藤美姫というジュニア王者がいて、その安藤美姫が、すぐに追い抜かれるから早くメダル取って引退したいとまで恐れた浅田真央がいることを知ったわけである。しかもみんな体型が渡部絵美的でないところが、時代は完全に変わったのだと思わせたよな。女子は2003年から3年連続でJr.世界選手権を征したし、2002年も2位と3位を取っていた。男子も2002年に高橋大輔、05年に殿、06年に小塚と、ジュニア世代が一気に開花したんだよね。
女子では太田が怪我に泣き、安藤が理不尽なバッシングで一時期伸び悩むなか、浅田真央は体型変化も克服し、シニア転向後からトップ選手であり続けてくれたわけだよな。まあ、ジュニア選手権は2010年の羽生、村上の優勝を最後に表彰台は田中刑事のみ、女子に至っては2011年以降、表彰台の延べ9人中7人がロシア人という状態なので、少なくとも日本女子の時代は浅田真央とともにオワタとなることは残念ながら間違いなさそう。同時代にキムヨナという浅田とはタイプの違う天才もいて、2005-2014は本当に奇跡的な10年だったし、長年愛着をもってみていると、こういう幸運にも恵まれることがあるのだな、と思ったものである。


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