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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1996年07月23日

 到着から8日間経過、ようやっと時差ボケが抜けたので、滞在許可申請の手続きを始める。これまでさんざん etudiant や visiteur familialの手続きはやったが、今回はどういう身分になるのかすらわからん。領事館には journaliste independantでビザを申請したのだが、先方からは chercheur independantということで許可が降り(てしまっ)た。でもこれは領事館が思いついた statut なので、categorie は visiteurである。滞在許可でどう扱われるかは出たとこ勝負になる。
 涼しいうちに家を出る。まだ9時には目が醒めてしまうのだから、時差ボケがほんとは少し残っていたのかもしれない。目的地は11区の警察署。13区の外国人はここで受付手続きをし、指定された日にシテ島で本手続きを行う——多分これは変化ないと思ったので、決め打ちでここに赴いた。パスポート以外は不要なはずだが、tout est possible な国にいるので、一応、必要そうな書類を一通り用意する。
 窓口はタッチ・アンド・ゴー状態で、待つ間もなく呼び出しがかかる。担当官にビザを見せ、ついでに古い滞在許可証を提示する。「学生なの?」「いや、ビザを変更しました」
 学生の所轄はユネスコの隣りにある Centre d'etudiants である。出版活動でメシを食っていることを告げると、担当官応えて曰く、「ならば profession liberaleですね」だと。
 実のところ、profession liberale になればラッキーだなあ、と思っていたので、まさか向こうからそう言われるとは思ってもおらんかった。P.L.とは文字どおり自由業としての滞在身分で、salaire を伴う就労活動はできないが、honoraire を稼ぐのは自由というもの。フランスで長期滞在できるかどうかの鍵は、etudiantから P.Lに切り替えられるかどうかにかかっている、といわれている(らしい)。
 担当官が convocationの必要書類欄にマークを入れる。シテ島へのアポは約二週間後、8月5日となった。書類が揃うかどうか、微妙なタイミングである。
 最寄り駅がメトロ1番 Ruilly-Diderot なので、ついでに日本人会まで行くことにする。相変わらず1番線は暑っくるしい。George Vに着くまでに汗が吹き出る。でも地上に出ればけっこう涼しい。ついつい凱旋門を眺める。9ヶ月ぶりである。振り返れば風月堂。このあたりはまったく変化なしだが、シャンゼリゼの歩道だけは改修工事が終わり、やたら綺麗になっていた。
 風月堂の隣のアパートの5Fが在仏日本人会である。狭いエレベータは電気が切れていた。事務所内はバカンス期間中というか、まだ留学生ラッシュ前なので、いたって静かだった。受付で会費を払い込む。ついでに「滞在研究 自由職業者」というパンフレットを購入する。さらについでにアノンスをいくつか眺める。思えば4年前のいまごろ、いまのヤサはここで見つけたのだなあ、と遠い目をしながら思い返すのであった。(以下次号)


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