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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1995年11月05日

 バラデュールは「伯爵」というあだ名があったくらいで、とてもゆったりしたテンポ、抑揚はどちらかというと大波、よくいえば気品があっておおらか、悪くいえばボケたしゃべり方をするのが特徴なんです。だから物まね番組ではいつも引き合いに出されていました。
 大統領選挙前は、よくミッテラン、バラデュール、ロカールの物まね討論がいろいろな番組でされてました。「ミッテラン」が風格あるしゃべり方でしょーもない話題を出し、それに「ロカール」がせっかちでせわしない仕草で突っ込み、「バラデュール」が場違いな発言をしてボケるというパターンですね、だいたい。
 バラデュール内閣が支持率を上げたのは、ウルグアイ・ラウンドのときでした。あのときフランス政府代表となったバラデュールは、最後まで妥協しなかった。ハタから見ればエゴ向きだしだけど、フランス国民にしてみれば、自分たちの利益を守ってくれた首相、というわけですね。


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