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過去の日記一覧


この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
■ 食・飲カテゴリー

カテゴリ「食・飲」に投稿されたすべてのエントリのアーカイブのページが、新しい順番に並んでいます。
一つ前のカテゴリーは、「風俗・文化」です。

1995年11月25日

 フランスで食ったトマトがやたらなつかしい。熟れ具合とかではなく、そもそも「養分が違うぞ」って感じ。きょうもスーパーでトマト眺めてきたけど、なんか違う物体のように感じてしまった。プチトマトはうまそうだったが。
 茄子の場合、ゴマ油で揚げて鰹節まぶして食うという方法に限ってのみ、日本のほうがええ。フランスの茄子のほうがお味はおおむねいいのだけど、揚げたときにべちょっとなる。さっぱり茄子揚げだけはニッポン製を取りたい。
 やっぱり日本は土がヘタってきたんじゃないかなあ。うまい野菜はやっぱりうまいみたいだから。


1995年07月18日

 レアとかミディアムは、もっとも通じない英語の代表でもある。まあ、フランスのほうが料理は本場なのだから、当然といえば当然かもしれんけど。ぼくは saignant 派なんだけど、このことばを知らなかったときは、presque cru といってごまかしました。
 意表をつかれたのは、steak hache です。さすがにハンバーグにまで聞かれるとはおもわなんだ。もちろん bien cuit にしたのだけど、けっこう saignant ってひともいるみたいです。たしかにタルタル・ステーキはあるけれど。
 魚でも saumon はかならず聞かれますね。日本人ならたいてい bien cuit だろうけれど。でも塩味さっぱりだし醤油もないんで、あまりこういうのは注文してもしゃあないかも。日本の大衆食堂で塩ジャケ定食を食ったほうがいい。


1995年05月09日

 フランスには bistro Romain っていうチェーン・レストランがある。日本でいえばデニーズみたいなもんかもしれん。ただ、ここが一見するとそれなりにしゃれてみえる。ろまんちっくな雰囲気の店もある。だから日本から遊びにきたひとの接待で手を抜こうと思うと、たいていここを利用したりするわけで(笑)。


1995年04月14日

 中華街のスーパーでは Chou chinois を売っています。Place d'Italie から徒歩数分にある陳氏大市場(Tang Frere)は、フランス人にもわりと人気があります。 白菜は日本よりも安いんじゃないかな。最近買ってないんで忘れたけど。味は日本のものよりも甘味がやや強めですね。
 鍋物に使える野菜なら、スーパーでポトフー・セットを買うのがいちばん経済的です。タマネギ、ニンジン、カブ、ジャガイモ、そしてタイムが二人分パックになっています。
 うちでは日本から土鍋を持参して、巴里で一卓の電気コンロを鍋物ように使っています。カセット・コンロは数年前に輸入禁止になったそうで、いまでは売っていません。ガスはまだ売っているのだけど。不思議なことに、韓国製は輸入が許可されているらしく、韓国食品店で買えるという話しあり。
 材料は野菜、魚、肉、いずれも豊富なので、わりといろいろな鍋ができるんですよ。うちでも冬はよくやります。


1995年03月29日

 乾燥したフランスパンの使い道は、こりゃもうヌカどこです(笑)。棒のようになったパンを粉々にくだき、それをビールでひたひたにする。ペットボトルのフタをちょいと加工して、このにわかヌカどこをいれる。で、ニンジンやらキュウリをいれて、ヌカミソ漬けのできあがり。これぞ在仏日本人の生活の知恵。
 固くなったパンの正統な利用方法は、オニオングラタン・スープでしょう。もちろん、こまかくしてクルトンにするもよし。


1995年02月26日

 東京の cafe っていうか喫茶店だと、渋谷公園通りの City Roadが好きでした。あと、カフェバーのはしりのひとつ、原宿の Henry Africa とかね。いずれもわが70年代最後のメモリアルって感じです。当時はまだNHK駐車場にジャリがまかれておらず、フラットなアスファルトでローラースケートができた。で、スケートをはいたまま公園通りに出て、City Road で時間つぶすってパターンがおおかった。
 横浜なら「大学院」。横浜公園(スタジアム)のすぐ横で、YMCAの隣りにあります。ここは7の日はセブンスターがただでもらえたり、12日はカフェ・ロワイヤルが特別料金になったり、雨の日には別のサービスがあったり、という店でした。ここで cafe au lait をたのんだとき、chantilly のみのカップを持ってきて、あとからコーヒーとミルクを頭上高々とかかげた容器から混ぜてくれる、という芸当を見せてくれました。「『パリのアメリカ人』とおなじだ」と感動したものです。
 かつて元町にあったクレープ屋のブールミッシュも気にいってたんだけど、いつの間にかなくなってしまった。渋谷のブールミッシュはただのケーキ屋だけど、横浜元町のはガレットもある本格的なクレープ屋でした。
 巴里市内で比較的よくいくのは、地元 Brasserie de Port Royal、交差点の向こう側にある Cafe Canon des Gobelins、メトロ Pyramid駅の近くのカフェ、それと Odeonの Cafe Dantonです。有名どころは高いからほとんど行かない(笑)。


1995年02月20日

 ムフタール通りにはギリ飯屋がおおく、どの店も値段、メニュー、味はおなじぐらいのレベルです。違いは騒音だけでしょう。
 常設市場からコントレスカルプ広場までの間に、五軒ほどあります。その下から二軒目の「La Crete」がおきまりコースです。会社の知り合いとかも案内しているので、月に一回は行っているかも。二ヶ月間があくと、「随分久しぶりだね」と店の連中に言われるし。
 いつも選ぶメニューは、アントレが Pikilia、これはデギュスタシオンです。もしも単品で頼むなら、イカのマリネー(Calamer)がおすすめ。Platは串焼き(Brochette)ですが、いつも店の特性串焼きを頼んでます。骨付きの羊肉、骨付き豚肉、あとは通常の豚肉、羊肉に、あいだをピーマン、タマネギではさんだ構成ですね。ボリュームはトンカツ二枚分はあります。でも、Pikilia をゆっくりと味わうと、案外と食えてしまう。
 さて、ギリ飯屋といえば、皿投げ! 今回は奥のほう、演奏席近くに陣取りました。で、そろそろ踊り、というころになると、厨房のほうから投げるためのぼろい皿を数枚よこしてきました。こういうの、六本木の「ダブル・アックス」でもやってましたね。いまでも続いているのだろうか?
 踊り子さんの足下に皿を投げるのは、どういう習慣からはじまったんでしょうねえ。まさかおひねりのかわりってわけじゃないでしょうけど。


1994年12月08日

 最近、日本からお客さんがみえるときは、たいていムフタールのギリシャ料理店に案内します。フランス料理は値段さえ覚悟すれば日本でもそこそこ味わえるけど、種類が豊富でコストパフォーマンスが高いという面で、「パリにきたらぜひギリシャ料理、ベトナム料理、アラブ料理を!」とすすめています。
 ムフタール通りは坂の上に向かって右側になぜか集中しています。コントレスカルプ広場をほぼ中心に、ぜんぶで20軒くらいあるんじゃないかな。ぼくがいつも行くのは、坂の下から二軒目、「LA CRETE」という店です。ここの常連となるまでは、ほかにも五軒ほど行きました。どこもほぼ同じ値段で味よしサービスもええってなぐあいで、ここを選んだのは限りなく気まぐれです。坂を上るのが面倒というのもありますが。
 ただ、この店は比較的静かなので、話しをするには手頃です。坂の上の方にはもっと賑やかなところがあり、そこでは怒鳴らないと話しができません。踊りのすきなひとは、そっちの店の方がいいでしょう。どの店にもたいてい生バンドがはいっています。
 注文はほぼワンパターンで、アントレは「Pikilia.」、メインは肉の串焼き(Brochette.)であります。これにアペリティフ、デザート、コーヒー、4人でワイン一本頼んで、だいたいひとり200フランです。フランス料理より割高ですが、串焼きはどこも90フランぐらいします。そのかわり、量はなかなかでっせ。アントレは絶対に二人で一品にしておかないと、メインまで届きまへん。昼の時間帯なら、50フランぐらいで小串焼きの menu があります。
 なお、Pikilia はアントレの degustationで、単品で頼むならイカのマリネー(Calamar.)がおすすめです。
 六本木あたりのギリシャ料理店に行った方はご存じだと思うけど、店員が踊っているとき、足下に皿を投げるんですね。この La Crete って店ですと、一番奥が演奏席になっていて、その前で店員が踊っています。と、奥の厨房から皿がじゃんすか飛んできます。
 ただし、お客さんは決して食べ終わったあとの皿は投げないこと。たまにやっちゃうひともいますが。自分で投げたいときは、店員に頼むとそれ用の皿を持ってきてくれます。


1994年12月02日

 なんかしらんけど、三日前から突然冷え込んできた。先日電話があったS田さんには「いやー、今年は暖かいっすよ」と伝えてしまった。大嘘になってしまった。でも、だまそうと思ったのではないのだ。
 ……という話しとは全然関係なく、木曜は隔週でゼミがある。研究室がなまじ家の近く、それもいきつけのスーパーから徒歩二分半てとこにあるせいで、かならず重いものの買い物を頼まれる。きょうも牛乳二リットルと、大量のヨーグルトを仰せつかった。
 ゼミは七時まで、スーパーは七時半まで。まあ楽勝なのだが、きょうはなぜかハイな学生一人と講師とツーショット・ゼミが続いたため、終わったのは七時二十分ころ。教室からダッシュである。こういうときは、歩道の犬のう○こも気にしてはいられないのだ。
 ちょうどコーラの SOLDEをやっていた。一ダース、たったの16フランである。それもブランドものたる CocaCola が、である。ひと缶24円でっせ。こりゃ買うしかありまへんがな。
 ……と、コーラとはまったく無関係に、おまわりさんが二人、ワインを物色していた。警官とてひとの子、べつにワインを飲んだって不思議はないが、制服のまま買い物かごもってスーパーでワインを物色している姿は、なんというか、ほほえますくなっちゃうのだ。
 スパゲティを取ろうと身をかがめたワタシの目の前二十センチのところに、拳銃がぶらさがっていた。あらぬ衝動がわきあがるまえに、スパゲティをカゴにいれた。おととい、滞在許可を延長したばっかなのだ。レジに並ぶ。外からさらに警官が三人やってきた。隣のレジに並んだ件の警官二人は、レーンのうえに食い物・飲み物を広げていた。どうやら夜食の買い出しをしていたらしい。
 ……ってことは、勤務時間中にスーパーに寄ったんかいなー、などと思ってしまった。まあ、それは別に不思議はなくて、うちの隣のパン屋の前にもよくパトカーを停め、サンドウィッチを買っていたりする。日本のお巡りさんはたいてい手弁当か店屋物じゃなかったかなー、と思い出した。
 でも、コーラ1ダースと牛乳二リットルは重かった。


1994年11月21日

 きのうは我が家でも、O合さんご夫妻を招いて Beaujolais Nouveau をあけました。水曜のニュースFMでも「ニッポンの成田には何万本が輸出され……」などと報道され、ブームが去ってもまだ入荷されているとわかり、ほっとした気分になったりして。
 うちの近辺ですと、渋目のワイン・カーブでは扱っておりません。こういうワインは、スーパーみたいなところで買うものなのかもしれませんね。ぼくは金曜の授業の帰りに、いつのスーパーで買ってきました。値段の方はピンキリありますが、スーパーで売っているのは 10Frs前後です。一番数を置いてあったものは、12.5Frs でした。どの銘柄がいいのかなんてわからない。それで、ラベルのいちばん綺麗なのを選びました。結果的にいちばん高いのだったようです。それでも 18.5Frsですが。
 ワインときたらチーズってんで、きのうは夕方にムフタールのクリーム屋さんで Brie と Poivre をひとかけらずつ調達しました。この時期になると、チーズもそろそろしょっぱさが抜けて、口あたりがよくなります。B.N みたいな若いワインのつまみにはちょうど手頃です。
 寒くなると、ムフタール市場の肉屋がなかなか壮観です。きのうも各肉屋の軒には、絞めたばかりの七面鳥やらうさぎを吊るしていました。一軒、猪の毛皮半身を出していたところもあったな。


1994年10月23日

 パリのタイユバン・ワインカーブは、フランスの日本大使館からメトロ1番 George V にショートカットする途中にあるんですね。3度ほど横を通ったことがあるんだけど、風格があって、一生おれには関係ないな〜と感じさせてくれました。


1994年08月25日

 下戸の江下がぶったまげたワイン、それは Quincy であった。白なんですが、あたしゃ、こんなに喉や胃に優しいワインを飲んだことがなかった。もともと、小杉のおいちゃんと我が家の近くのレストランに入ったとき、店のマダムが勧めてくれたんですね。さいしょ、なにかほかの白を頼もうとしたら、「きょうは飛びきりいいのが入ったから、それにしなさい」
 と、教育的指導をされたのでした。レストランで価格は70フランであった。
 その後、うちからムフタールに向かうパスカル通りのカーブで、偶然、同じ銘柄をみかけたんですね。もう、躊躇なく買いましたぜ。50フランくらいでした。さらに二週間後、ふたたび買いにいったのだけど、すでに完売。店のおじちゃんは、当分入荷されないと言っていた……。(;_;)


1994年02月19日

 Rue de Pascal 沿いにおたっきーなカーブがあることを発見してしまった。非常にカーブらしい店で、愛想のないショーウィンドウ、店内はボトルでびっしり、それもちゃんと光の当たらないような構造で、外界とのインタフェースはわずかに入り口だけという造りです。
 たまたま以前レストランで飲んでめちゃうまだった白ワインを発見し、さっそく買ってきました。特売のチラシがあったので、一部をご紹介。全部20年ものです。

 Chateau Leoville Poyferre 1974 160.00Frs
 Chateau Leoville Las.Cases 1974 190.00Frs
 Chateau Palmer 1974 270.00Frs
 Chateau Cheval Blanc 1974 450.00Frs
 Chateau Mouton Rothschild 1974 450.00Frs
 Chateau Giscours Jerosoam (3L) 1974 900.00Frs


1994年01月09日

 取りあえず、当日のワインリストなど。

 (1) Chablis Beauroy Premier Cru, Jean-Baptiste Bejot 1992
 (2) Bordeau Cru Bourgeois Chateau les Hauts de Pez Saint-Estephe 1990
 (3) Brut Imperial Moet & Chandon Champagne
 (4) Collection privee D.Cordier Sauternes 1986
 (5) Domaine Daniel Defaix Chablis Premier Cru "Les LYS" 1988

 実際に開けたのは、(1)(3)の2本であった。残りは次回まで持ち越し。牡蛎ということで、やはりシャブリが集まったのであった。Moetの脅威的な口当たりの良さは、江下には真に恐怖であった。今晩はわずかばかしの残りを使って、キール・ロワイヤルでものまうかと思うのである。


1994年01月08日

 Saint-Emilion の方は、とにかくカミさんがぐびぐび飲んでいたので、かなり旨かったのではないかと推測しております。下戸の江下はひたすらトホホでありました。
 白ワインの方は、ちょっと渋みを感じたのですが、これは以前飲んだ白ワインのせいかもしれません。

 Quincy Domaine des Bruniers, JEROME de LA CHAISE

 これは向かいのレストランで飲みました。アルザスの白を頼もうとしたら、マダムに半ば命令されるように、「白ならこれにしなさい。やっと今日はいったから」と指定?されたのがこいつ。レストラン価格で 90Frsだから、むしろ安ワインのクチでしょう。ところがところが、これはがとんでもなく旨かった。口当たりが極上で、これほど抵抗なく飲めたワインはかつてなかった。マダムに頼んで、ワインのラベルを貰って帰ったくらいなのでした。


1994年01月05日

 ほぼ二ヶ月ぶりの「今週のワイン」です。「Coca de la semaine」ならいつでも書けるのですが。
 Une invitee charmante 歓迎パーティーで、ミッシェルがかなり上等のワインを二本持ってきてくれました。

 Saint-Emilion Chateau Le Conte Marquey 1986
 Bordeaux Chateau Moulin Neuf Premiere cotes de Blaye 1990
(Concours general agricole, Paris 1992, medaille de Bronze)

 味は知らん(笑)。なにしろわしはこのとき、水とレモン果汁ばかり飲んでいたのだ。でも、みんな旨いと言っていた。男一人、女二人でまたたくまに二ボトル空いたのだから、かなり口当たりもよかったのでしょう。カミさんが随分とくいくい飲んでいた。経験からすると、二本とも100Frs近いのではなかろうか。
 大晦日には、牡蛎鍋を喰らうというので、近くのカーブから白ワインを一本買ってきました。

 MUSCADET de Sevre et Maine 1992, 58Frs

 店の人はとても軽くて生牡蛎にピッタリだ、と言っていたけど、わりと腰のある、どっしりとした飲みごたえがありました。コクが強く、牡蛎鍋にはちょっとあわなかったような気もする。


1993年12月18日

 一番オーソドックスなのは、jambon + fromage + oeuf でございましょう。いわゆる galette completってやつです。卵は半熟のサニーサイド・アップで、チーズはとろけるようなやつ、ハムは細かく切らないこと。
 カミさんのレシピだと、次のようになっています。
 材料:薄力粉 150g、卵2個、牛乳 250cc、ビール 30cc、バター 40g、塩少々

これで直径20cm程度のクレープが10枚程度。薄力粉の代わりにそば粉を使えばガレットになるのかな?
  1. ボウルの中に粉を山形に入れ、中央を窪ませて泉の形を作り、卵二個を入れる。泡立て器で卵をくずし、軽くかき混ぜる。
  2. 牛乳を少しずつ注ぐ。強くこねず、撹拌して混ぜる。
  3. ビールを加える。気泡が大切なので、直前に栓を抜くこと。
  4. 塩を少々加える(1/2 ティースプーン)。パラパラと全体にふりかける。
  5. バターを小鍋に入れ、熱湯を張ったボウルに浸して溶かす。
  6. クレープ種を40分ほど寝かせてから焼く。

具:ほうれん草クリーム煮、トリのトマトソース、たらこ、いくら、キャビア、牡蛎、タマネギ、マッシュルーム、ソーセージ、……
 Andouille なんかも売っているといいですけどね。
 お菓子のクレープでぼくが割と気に入っているのは、洋梨にチョコレート・ソースをたらしたやつです。バニラ・アイスが入ってもうまい。これは昔、横浜元町のブール・ミッシュでもよく食ったな。

1993年12月10日

 味はともかくとして、充実しとる。

(1)前菜:ティーソーサくらいの皿に、サラダや魚、テリーヌなどから選択
(2)本菜:パスタかポテトに肉(鳥が多い)が乗ってる。
(3)チーズ:カマンベール一切れか、ヨーグルトを選択
(4)デザート:果物、スナック、ケーキなどから選択

 あと、バゲットの切れっぱしは食い放題。だから、パリで食費を浮かそうと思ったら、なんとかチケットの回数券を買って RESTO-Uで食うこと。場所によっては夕食もやっている。
 わしの現役時代は安田講堂地下で定食 210円、コープ 270円、ランチ 350円だった。第二食堂の素ラーメンは 100円だったな。でも、どの食堂も理学部5号館からは遠かったから、昼はあまり食わなかった(そもそも学校にあまり行かなかった)。京都に遊びに行った時は、たいてい京大の学食で食ったな。腹が減ったときは西部食堂でジャンボハンバーグを 400円で食った記憶がある。
 会社に入ってからは、もっぱら日経新聞の社員食堂にもぐっていたから、昼はだいたい 400円以内だった。あそこ、学食より安いかもしれない。役所に用があるときは農水省。ここが一番人気あった。
 学食の安っぽい具だくさん味噌汁は結構好きだったなぁ。


1993年11月22日

 ウチの近くのスーパーでは、一番安い銘柄でだいたい8フラン、高級銘柄で20〜30フランです。だから、150円から550円ですね(全て3/4L)。
 日本に輸出されるのは高級銘柄でしょうから、航空機などによる輸送コストを考えると、1500円ていうのはいい線じゃないかなあ。


1993年11月14日

 久々の「今週のワイン」になってしまった。なにせ江下は筋金入りの弥生人であるゆえ。
 ただいまパリに遊びに来ているオフクロや叔母達に、近くのカーヴからみやげワインを買って参りました。滞在中、なんも構ってあげられなかったので、罪ほろぼし懺悔ワインとなってしまった。

(1) Chateau Haut-Piquat Lussac St.Emilion 1987, 70Frs
(2) No.2 du Chateau Lafon-Rochet St.Estephe 1989, 50Frs
(3) Chateau Landat Cru Bourgeois Heau-Medoc 1985, 65Frs
(4) Chateau Cheve de Gombeau Canon-Fransac Alain Roux 1989, 60Frs

 予算だけ言って(一本 60Frs程度)、あとは各タイプ混在ということでお任せにしました。店の主人が選んでくれたワインがこの4本です。(1)は鳥料理、(2)はチーズ、(3)(4)は赤肉に合うと言っておりました。


1993年11月05日

 週末のブランチなんかだと、食卓の上にバゲットを無造作にボテっと置いて、クロワッサンを篭に山積みして、適当に切ったり取ったりして食べる。これはありえますね(レンヌでの体験より)。カフェオレは好きなカフェオレ・ボールに入れて、バゲットをおもむろにぴちゃぴちゃつけて食うわけです。
 普段の朝はどうだろう? 朝食の事は去年の Communication Oraleの授業でマリー・ピエールが喋っていた。それによると、結構朝はパスって人が多い。ただ、それでもみんな学校や職場で10時くらいにつまみぐいするから、要するに家では食べないという意味ですね。そういう所で食う場合は無論バゲットではなくて、クロワッサンかパンショコラです。


1993年10月24日

 今週は赤ワイン1本、白ワイン1本でした。

 MEDOC, Selectionne par les CAVES de la HUCHETTE
 QUINCY, Domaine des Bruniers, JEROME de la CHAISE

 1本目はおなじみボルドー産赤ワイン。M出師匠がパリにいらした日、近くのスーパーChampions で買ったものである。28Frs也。下戸の江下はツーフィンガーほど飲んだだけであった。残りは師匠とカミさんに任せた。口当たりはやや渋目で、香は強くなかった。
 2本目は近くのレストランIntermede にて70Frs。K杉さんが出張でパリにいらした。昨日一緒に夕食を取った際、頼んだ白ワインである。このワイン、店のマダムに「白ワインがほしい」といった瞬間、「じゃ、これにしなさい」と半ば強制的に?勧められたものである。
 これは絶品。今までこれほど旨い白ワインは飲んだことがなかった。軽妙な香り、淡麗な舌ざわりと咽ごし、ほどよい甘味、江下のような下戸には最も危険なワインであった。ダムに「こりゃ旨いわ!」と言ったところ、「そりゃそうよ。ウチだってやっと今日仕入れたんだから。白じゃこれが最高ね」とのこと。どうりで有無も言わせずに選んでくれたわけだ。
 帰り、ワインのラベルを貰っておいた。「なかなか買えないワインだから、ウチの店の名前を出して注文するといいわ。」とのことであった。


1993年09月18日

 これがパリ出発前のラストメッセージになりますので、折角ですから先ほど買ってきたワインの報告を。
 先日行ったカーブでみやげ用にと4本買ってきました。エルミタージュをもう一度飲んでみたいと思い、それをまた一本、別の銘柄を3本買いました。

 DeLas Crozes-Hermitage 1988, 49 Frs
 Medoc Chateau Patache d'Aux 1989 Cru Bourgeois, 65 Frs
 Cotes-du-Rhone Gigondas 1990, 95 Frs

 この店はCote-du-Rhoneが好きみたいです。最後の一本はここのマダム推奨。
 さてさて、そろそろ出発の支度をせねば。飛行機の中でやらなければいけない仕事が多すぎて、今から気が思い。(日本時間18日夜に成田到着予定)


1993年09月16日

 近くのスーパーでワインフェアーが始まります。参考までに、チラシに載っていた銘柄の一部をご紹介致します。日仏価格差調査の参考にして下さい。ロワールやアルザスの白は省略しました。
 リストは左から銘柄、年、価格、飲み頃です。
1. Bordeaux
1-1. Saint Emilion
 Chateau la Cateau 199216.50Frsmaintenant
 Chateau la Tour Figeac 198984.50Frs4 ans
 Chateau du Cauze 199139.95Frs4 ans
 Chateau Tour Cazelon 198923.95Frsmaintenant
 Chateau Marsauda 199027.95Frsmaintenant
1-2. Graves
 Chateau Maure Bellevue 199117.95Frsmaintenant
 Chateau la Mission Haut Brion 1987145.00Frsmaintenant
 Saint Estephe Chateau Aillan 198929.95Frs2/5ans
 Chateau Bahans Haut Brion 199089.95Frsmaintenant
 Saint Estephe Chateau Calon Segur 198699.95Frs2/4 ans
1-3.Haut Medoc
 Chateau Lanessan 198729.95Frsmaintenant
 Chateau Camensac 198956.50Frs2/4 ans
 Chateau Lamothe Bergeron 1989 Cru Bourgeois35.95Frs2/4 ans
 Chateau la Lagune 199079.95Frs4 ans
 Chateau Haut Myles 199214.50Frs2/4 ans
 Chateau Sigognac Cru Bourgeois 198928.95Frs2/4 ans
2. Cotes du Rhone
 Villages Cairanne les Grands Cailloux 199016.50Frsmaintenant
 Gigondas Chateau Saint Andre 199025.95Frsmaintenant
 Chateauneuf du Pape Domaine du Grand Coulet 199144.70Frs4 ans
 Chateau Goudray 199015.95Frs4 ans
3. Beaujolais
 Villages Domaine de Gentilly 199216.50Frsmaintenant
 Domaine Grange Menard 199211.95Frsmaintenant
 Julienas Domaine des Quatre Chemins 199219.95Frsmaintenant
4. Bourgogne
 Passetoutgrain Laboure Roi 199116.50Frsmaintenant
 Chassagne Montrachet Laboure Roi199039.95Frsmainenant
 Hautes Cotes de Beaune Rouge Laboure Roi 199022.50Frs2 ans
 Mercurey Laboure Roi 199027.95Frs5 ans

1993年09月14日

 同席していたワイン好きの者が「これは旨い!」と叫んでおりましたゆえ、たまたま当たり年だったのかもしれませんね。手帳のVins de Franceを覗いて見たら、1988のRhoneはBonne anneeでした。あんまり関係ないか。同時に飲んだボルドーの安ワインが、舌にからみつくような重さに感じました。それとの比較でクセを余り感じなかったのかもしれない。
 実はアルマニャック以外に、みやげ代わりにワインも何本か買っていこうかと考えています。今は価格差がそれほど大きくないと思うので、なるべくフランスでないと中々買えないようなワインを選びたいと思うのです。500Frs/6本を上限として、何かオススメはありませんか?比較的軽目、アペリティフにちょうどなのがいいかな、などと思っています。


1993年09月13日

 昨日、アブデル宅で恒例?のクスクス・パーティがありました。いつもいつも手ブラでは申し訳ないと思い、昨日はワインを買っていくことにしたのです。時間は既に8時近く、土曜なのでスーパーはもう閉店。しかし、ウチからイタリー広場へ向かう途中に、土曜も営業しているカーヴが一軒あるのです。ここ、前からチェックをしておりまして、「地球の歩き方」にも紹介されているそうです。
 さてさて、いざ買おうにもワインの知識はゼロ。ここは店の人に任せることにしました。「今日、これからクスクスを食べるのだけれど、それに合う赤ワインを1本ほしい」。予算を伝えて選んでもらったワインが、

 DeLas CROZES-HERMITAGE 1988 価格:49Frs

 でございました。このワイン、下戸の私がグラス1杯半も飲んでしまった旨さです。軽やかな風味、咽越しの爽やかさはクスクスにぴったり。アブデル他、みなこのワインを称賛しておりました。


1993年09月11日

 考えてみたら、来週の今頃は、もう帰国に向けて空港に出発しているところであります。日本ですませる用事の準備が全然できていない。
 アポを取った人への手土産として、アルマニャックを注文しました。前にも書いたかも知れませんが、私の同級生の一人に、実家でアルマニャックを醸造しているという者がおりました。トゥール・ダルジャン御用達というナカナカのブランドだそうです。ウチに遊びに来た酒好きは、うまいうまいと言って、一晩でボトル半分を空けてしまいました。
 シャトーに直接注文したので、値段はバカ安でした。価格の方は、ちょっとワケありなので内緒ですが、まあ驚くべき値段です。ちゃんと免税書類まで作ってくれました。
 ここのシャトーはボルドーの近くにあります。希望者の見学や試飲も歓迎するそうです。訪れたい人は醸造元に紹介いたしますので、是非御一報下さい。


1993年09月06日

 前にフランスの新聞にも、年間消費料が減ったなんて記事があったような気がします。何でも、ビールやウィイスキーなど他のアルコールにシフトしたとか、飲み過ぎに注意するようになったとか、尤もらしいことが書いてあったような気がします。この辺り、ちょっとあやふやモード。確か大人の年間平均消費量が、3桁リットルだったと思いますよう。こりゃやっぱ飲み過ぎだと思うわな。
 そういへば、もうすぐボージョレ・ヌーボでしたよね。ということは、フランスで一番安いワインが登場する季節も近い。一番安いワイン、それは売れ残り3ヶ月以上経ったのボージョレ・ヌーボ、2.50Frs/75CLであります。


1993年09月05日

 ブルターニュを旅行したとき、ティエリーの家で宴の後に「デザート用のウィスキー」なるものが出てきました。アブデルが食後酒にはこれが最高と言っていたものです。色はちょっと茶色かかった白で、確かにウィスキーの風味はあるけれど、とろとろクリーミーな風味。液体というより流体で、本当に「デザート用」という感じでした。あれわ私にも食せてしまうので、危険このうえなかった。


1993年08月29日

 牡蛎鍋の材料は割と簡単に揃います。ムフタールや中華街の市場に行けば、野菜から魚介まで材料は全て揃います。値段も日本より安いくらいですが、牡蛎の殻を自分で開けなければなりませんからね。レストランのテイクアウトで買えば剥いてくれますが、その分値段は高くなります。
 むしろ問題は資材でしょうか。日本ならば土鍋にカセットコンロですが、この2つが結構揃えずらい。カセットコンロは韓国人の店で手に入るそうですが、店の数が少ない。私は結局電気コンロの小さい奴を買いました。電圧が高いので火力は十分あります。
 土鍋は大丸や京子食品で売っていますが、民芸調の高級品なので高い。かと言って普通の金物の鍋では興ざめ。帰国売りでも滅多に見かけたことがなかったので、2月の一時帰国の折に、思い切って日本から持ってきました。中華街で売っているという説もあるのですが。


1993年08月27日

「Gyros」を「ギュロス」と発音することを知った。いつも「ジロ」と言っていたけど、今度ぎゅろすと言ってみやふ。
 以前も話題になりましたが、パリではサン・ミッシェル、それもジベールの裏にこの店が集中しております。皿で頼むとサラダとフリットが付いて30Frs。バゲットは食い放題ゆえ、22Frsのサンドウィッチよりお得。腹の減った午後などは、これを一皿頼んでロハの水をガブ飲みし、バゲットに肉をちびちびはさみながら大量にかっくらう。その後は一日何も食わずに済ませることができるので、実に経済的かつ満足度抜群。
 夕方になって痩せ細ったギュロスは翌日シシカバブに化けたりして。


1993年08月26日

 ニョクナムの香は強烈といふほどではないでせふ。パリにいるとニョクナムは至極簡単に買えますから、ウチでもよく使っています。カミさんがアリアンスでタイ人やカンボジア人の友人をつくったものですから、コリヤンダーとかナムプラーも常に在庫があります。
 パリに来て以来、カミさんが「チーズをたく」と化しつつあります。私はといふと、まあ嫌いではないのですが、料理に膨大な量が使われたりすると、つい二の足を踏んでしまふ。特に山羊のチーズはコーヒーを飲みながらパンにつけて食する分にはよくても、タルトに入ったりすると....。


 昨日のクレープがまだ胃にもたれている....。
 モツのガレットは胃の調子が良くないと厳しいかもしれないね。
 モツはかなり相性があるでしょうから、食べられない人も出てくるでせう。味自体は魚肉のハムに似ており、舌触りをもう少しこってりとさせた感じがしました。旨いとは思ったけど、ガレット一枚全てを食い尽くす自信は、私メにもございません。


1993年08月24日

 クサヤに限らず、臭いの強烈な食べ物というのは、一度やみつきになるとハマってしまうようですね。私メも初めてクサヤの臭いをかいだ時は、一瞬こえだめに顔を突っ込んだ古の体験を思いだしてしまいました。
 フランス国内だとたいていのスーパーにはかなり大きなフロマージュの売り場が置かれています。この存在だけは、遥か遠くからでも臭いでわかってします。なれないと一瞬立ち眩みを起こしそうです。
 会社のオフィスが3年ほど晴海にありました。裏が鰹ぶし問屋でございまして、風向きによってはその香が漂ってまいりました。なぜか時折クサヤの臭いも含まれておりました。まあ、仕事中に鰹とクサヤのデュエットが芳しくも漂うオフィスなんて、いかにも晴海ならでわという感じでした。


1993年08月23日

 フランスでも「マクド」ですね。たまにふざけて「ドスド」と言うやつもおりますす。
 マクドナルドで思い出すのがエディー・マーフィの映画Coming to America。この中で McDonald にあやかってMcDowel という店を出しておりましたね。文字だけ見るとおかしくないけど、アメリカ人はDoの部分にアクセントを置いて発音し、dやlの音が殆ど消えておりますから、この二つの名前が殆ど同じに聞こえてしまう。
 会社にいた帰国子女の話では「マクドナルド」では全然通じないとか。かえって「マ・ダーナル」に近いとのことでした。


 どこの店がよいのだろうか?特定の店といふと特定の知識なし。
 ただ、寒くなればたいていのレストランは Fruits de Mer を並べますゆえ、メニューの中のデギュスタシオンを見て、値段の手頃なところに入れば良いのではないだらふか?たぶん、200Frs前後でせう。
 また聞きですが、メトロ4番 Vavin、モンパルナス通りとラスパイユ通り交差点にある Ronde が結構 Fruit de Merで有名だそうです。ここは結構高いので、私メはいつも素通りですが。 Gare de Lyonの前に「一年中Fruits de Mer」といふ気合い)の入った店もあります。
 フランスだと生ガキが中心では?
 前に家で牡蛎鍋をふるまったら、これが不思議がっておりましたがうまいと絶賛....。


1993年08月20日

 つい一昨日フォンデュ料理屋にてエスカルゴを食べてきました。義兄がどうしてもフォンデュを食いたいと言っていたのですが、ベルンでは季節外れに地域外れ、その夢をパリに持ち越して一昨日果したのです。そのときのアントレに彼はエスカルゴを注文し、我々もちょいとつまんだわけです。
 エスカルゴと言っても、ガーリックバターで強烈な味をつけますから、蝸牛自体の風味はさっぱりわかりません。確か三重で食用蝸牛を不法養殖していた人がいたのでは?JUNKUで立ち読みしたFLASHにそんな記事があったやうな気がする。エスカルゴ用の蝸牛肉(?)は、東京だと明治屋や紀伊国屋で売っていたような。
 フォンデュ屋では蛸焼き器のようなうつわに入ってきました。初めて食べた時はカラに入ってきました。


1993年08月01日

 私、料理好きですねぇ。食べる方だけでなくって、作るほうも。実家が定食屋でありましたゆえ、営業をやっていた頃に調理師の免許を取らなかったことが悔やまれます(メシ屋の倅は簡単に取れるのですね。見習期間をしごく自然にデッチ上げられますから)。
 料理を好きになったのは、白馬のペンションでバイトしていた頃です。当時のチーフが酒好きで、「おつまみヲタク」だったものですから、いろいろ変わった技を教えて貰いましたし、見ようみまねで結構楽しめました。


1993年07月27日

 Galetteのことですね。
 クレープはブルターニュ/ノルマンディ地方の名産ですから、いろいろな種類がございます。具というかトッピングの種類の豊富なことは、以前のブルターニュ旅行記に書いた通りです。
 クレープとガレットの違いの一つはトッピングです。クレープは砂糖やショコラ、マロンクリームなど、いかにも菓子というものなのに対し、ガレットは目玉焼きとかベーコン、果てはモツなどもあります。もう一つの違いが小麦粉で、ガレットに用いている粉は日本で言うところの蕎麦粉に近いそうです。
 以上はパトリシアからの受け売りです。


1993年07月19日

 マリーピエールを招いてお好み焼きをごちそうしたときは、最初 Crepe で、次第に galette となりました。まあ、具の内容からすると galette かな、何て思いました。
 お好み焼きも地域によっていろいろ流儀?があって面白い。広島のお好み焼きと言えば、目玉焼きを敷いたやつですね。大阪だと店に必ずマヨネーズが置いてあったのと、箸でなくヘラで食うのが一般的であったと記憶している。
 マヨネーズもナカナカでありますが、チョップチーズやスライスチーズを入れたもんじゃやお好み焼きは絶品でございますね。和洋折衷、実に日本文化的な食い物だ、なんちゃって。


1993年07月13日

 道路をはさんでウチの向かいにあるレストランが、これまたガイドブックにでも出てきそうな感じの良いところなのですね。そもそもの入り初めは、私の両親とその友人達がパリに来たとき、ちゃんとした?レストランで食事したいというのがきっかけでした。何しろ敵は英語もフランス語もダメですから、注文から何からこっちがやらにゃならない。とてもぢゃないけど星付きレストランはおろか、遠いところもパスしたい。では手近なところでここなら値段も手頃、店の作りもパリらしいってんで入ったのでした。
 店内は50才くらいのオジさん、マダムがきびきびと切り盛りしておりまして、それはそれは愛想が良かったのでした。7人で入り、3人がアントレでテリーヌを頼んだのですが、愛想の良いオジさん、テリーヌは自家製で自慢の一品だから、皆さんで味わって下さいと言って、大きな容器ごとくれたのでした。これ、自慢するだけあって絶品。また、デザートでもチーズなどをオマケに付けてくれました。ウチの親達は、「フランス人ってぇのは、こんな感じがいいもんなのか?」と驚くやら喜ぶやら。
 その3週間後に再びアメリカから帰国のついでに立ち寄った後輩と行ったのですが、オジさんマダムともに顔を覚えていてくれたのでした。今度もテリーヌやらつまみやらをおまけに付けてくれたし、ワインを注文する時も「あまり詳しくないんだけど....」といふと、「ワタシがいいのを選んだげるから、任せなさいよ!」てな具合です。
 概してオペラ座やシャンゼリゼ界隈は「お高い」という評判で、カルチエラタンは感じの良い店が多いということですが、ある程度当たっている気がします。無論、いくらでも例外はあるでせうが。


1993年06月23日

 実は昨日、突然うなぎを食いたくなりまして、早速「やまに」に行ってきた次第です(一体どこに住んでいるのやら)。
 お好み焼きは家で作って良く食べますよ。何しろ小麦が安いですから。それに、ホットプレートも日本から送ってあるのです。ただ、もんじゃだと火力がいまいちなので、残念ながらペケ。 以前、マリー・ピエールにお好み焼きをご馳走したことがあります。うまいうまいと言いながら、あっと言う間に平らげておりました。作り方を教えて、と言っていた位ですから、本当に気に入ったのでしょうね。材料はトルビアックの中華街で殆ど手に入るし、いざとなれば京子食品で全て揃います。
 時折話しに出てくるアブデル夫妻に以前牡蛎鍋をふるまったことがあります。モロッコには「鍋を火にかけながら食事をするのはアホ」とかいう諺があるそうですが、牡蛎鍋のうまさにアブデルは完全に「この諺は間違いだ」とうなっておりました。彼らの日本食のイメージはテンプラ、刺身/寿司が中心ですから、郷土色豊かな料理は基本的に受けるようです。特に鍋もの。


1993年06月10日

 来週一杯で授業が終わる。その後は3ヶ月のStage があるのみである。
 昨日は、1年間のプログラムの打ち上げが行われた。クラスの全員、教授、それに何人かは彼女や奥さんずれで現われ、総勢20人で河原のMechouiとなった。場所は学校のあるCergy Prefectureから車で20分ほど。三日月湖のほとりにある屋外バーベキュー場である。セルジーといえばパリから電車で僅か30分のところであるから、東京に対する横浜くらいの距離である。にもかかわらず、施設のあるあたりは完全にカントリー風。パリから一歩離れると途端に田舎と化す事実を痛感させられる。
 この打ち上げは7時頃から始まった。そして日が暮れてすっかり真っ暗になるまで続いた。何しろこの時期は日没が遅い。真っ暗になるまで....と言えば、ほぼ夜中まで続いたということである。当然終電には間に合わなかった。
  帰りは車で来た人に便乗である。ところが、この施設は10時に一度閉門し、12時に再び開門となる。我々は11時40分ころ帰ろうとしたのだが、門がしっかりと施錠されていた。ここで誰も騒ぐところなく、ラジオの音を高めてのんびりと係員が来るのを待つ辺り、のんびりとした国民性を感じてしまう。係員は11時50分ころ到着した。
 パリに帰ったのは結局1時近かった。


1993年01月15日

 デギュスタシオンを食せるやうなレストランとは縁のない生活をしているものですから(専ら1食12Fの学食専門です)、正確な量は分かりませぬ。ただ、伝え聞いた話によれば、ズボンやスカートは若干弛めの方が好ましいとのことですよ。量に関してはイタリアの方が凄いようですね。友人が皆、スパゲティが前菜だというのが良く分かったと入っておりました。
 パリで中華料理ばかりといふのは案外正解だと思いますよ。特に13区中華街なら圧倒的なコストパフォーマンスですね。因みに適当な値段でしかもギャルソンが結構英語を話すレストランは、レ・アール/ポンピドー近辺に多数あります。
 パリのレストラン情報をついでに一つ。
 クレープのいい店はモンパルナス近辺に多数あります。メトロ4番Vavinからモンパルナス通りをタワー方面に100mほど下りまして、通りの左側に入ったブロックに店が集中しています。ブルターニュ出身の女性に連れてきてもらいました。「豚のモツのクレープ」なんてキワモノもございます。1皿20から35FFくらいです。


1993年01月14日

 レストランでデギュスタシオンと言えば、本来一皿単位で注文しなければならない単品料理(ア・ラ・カルト)を少しずつ、そして一通り全て味わうことのできるコース(のようなもの)です。有名なレストランでは大抵このデギュスタシオンが供されている由で、あれこれ迷うよりこれを頼むのが一番てっとり早くてしかも充実しているそうです(以上、「美味しんぼ」より )。完全に懐石料理感覚ですね。
 冬のパリのレストランといえば「Fruits de mer」でございますが、これにもデギュスタシオンがございます。何種類かの牡蛎だの海老だの蟹だのの盛りあわせで、通常のレストランで1人前150Fくらいでしょうか。たいていこれに応じたワインのリストがメニューの裏などに付いております。
「味見、賞味」という意味では、たまに市場のおじさんが「Degustation gratuite !」と叫んでいるのを見かけることがあります。「味見は只だよ!」ですね。ちなみに「いらっしゃい、いらっしゃい!」は
 Allons-y! Allons-y!
 Allez, allez!!(イントネーションは「あれあーれー!」)
ですから、感覚的には逆の感じですね。


1993年01月11日

 最近の中華街(13区トルビアック)は確かにベトナム系が激増しておりますね。純然たる中華料理店は確かに少なく、大抵は「Restaurant chinois」の後に「et Vietnamien」が続いています。
 ベトナム系の味付けだと、多分はっかくだの香のついたものを多用しているのではないかと思います。だから四川とも広東とも違った風味を感じるのではないかと思います。確かにギョーザではなく春巻の世界ですね。チャーシュはかなり甘口といふ感じがします。だから、広東飯も私にはいまいちピリっとした感じがなかった。


1993年01月10日

 昔一度だけミシュランの星の冠せられたレストランで夕食を取ったことがあります。たまたま接待を受けた時の事で、店の名前すら覚えていない。ただ、明確に記憶しているのは、とにかくしょっぱかったといふことです。
 うまい、というのを認めるに吝かでないのですが、とにかくしょっぱくって前菜ですら平らげることができなかった。ソースも妙にこってりとしていて、一口−登録完了−食べてはミネラルウォータを一飲みしてしまいました。そんな調子だったので、本菜が終わることには、私だけで水3瓶飲んでしまい、むしろそれで満腹してしまった感がある。
 デザートのチーズもかなり強烈なものに見舞われました。確かブルーチーズの類だったと思うのですが、なにしろこれも猛烈なしょっぱさ。最後まで塩味で辟易としたといったところです。
 同じフランス料理でもヌーベル・キュイジーヌは相当趣が違うと言いますが、そちらは全く経験なし。まあ、トラッドの世界で比較するならば、味のしつこさが日本のフランス料理と相当違うのではないでせうか?思うに、このレストランの味が典型的フランス料理のパターンであるなら、そのままでは絶対に平均的日本人の好みに合わないというような気がするのです。因みに私は干物と大根、キムチに米の飯があれば満足といふ味オンチであります。


 様々な国籍の学生が集まると、各国の料理でパーティが楽しめる。年末は中国人学生が広東料理を振る舞ってくれ、今日はモロッコ人学生主催のクスクス・パーティがあった。明日は拙主催のすしパーティである。
 このモロッコ人学生、料理が好きとあって今日のクスクスも絶品であった。大皿に盛って皆でつっつきあうといふアラブ風の趣で、一同しばし会話を途絶えさせてスプーンを黙々と運んだほどである。アルジェリア人学生にモロッコのクスクスとアルジェリアのクスクスの違いを尋ねたが、彼女曰く、「年配の人は全く別物だというが、あたしにゃわかんない」とのことであった。
 宴半ば、モロッコ人学生がトリュフォの映画の中で日本語のメッセージが出てくるので、その意味を教えてくれと尋ねてきた。早速ビデオを再生して見せてくれたのだが、そのメッセージがこともあろうに「勝手にしやがれ」であった。まあ、これ自体は「laissez faire」とか「Comme tu veux」といった意味だと伝えたが、ゴダールの映画のタイトルがこのやうに訳されていると付け足した。ただ、フランス語のタイトルをど忘れしてしまったため、いまいちウケがなかった。
「勝手にしやがれ」の原題は何でしたっけ?


 昨日のクスクスパーティでたまたまヌーベルキュイジーヌの話題が出てきました。アルジェリア人ズビダの経験です。
 ある日彼女がとあるレストランに夕食を招かれたところ、本菜で出てきたのは皿の真ん中に玉葱がポツン。その周囲に小さな肉片がいくつかあって、それらに3色のきれいな色のソースがかかっていたそうです。
 彼女、思わず「何これ?!」と尋ねてしまったとか。なにしろ彼女は常日頃多皿に山盛りの料理を皆でつっ突き合いながら食するという、アラブ風の食生活に慣れ親しんでいるのです。応えはむろん、「玉葱です」というのはご愛嬌。せっかくのディナーの後、彼女はサンドウィッチ屋に飛び込んだとか。
 それを聞いていた一同、「どうしてデギュスタシオンを注文せんかった?」。ズズ曰く、「メニューが少なかったから、デギュスタシオンに仕様がなかったのよ」。始めてのヌーベルキュイジーヌの感想は、「奇麗でおいしかったけど、私には哀しい料理だった」とのことでありました。


1992年12月06日

 リヨン駅の売店で売っていたのを見つけました。見出しによれば、販売価格20から150FまでのCRUを500銘柄特集したとのこと。
 毎年この特集は50millions de consommateursでも人気が高いようです。
 Hors de seriesは町田さんの情報によれば日本での入手が困難だとのことなので、購入をご希望される方はこちらから郵送しますので、読書会の本と同様住所とその旨をメールでお知らせ下さい。費用は恐らく郵送費込みで60FF程度、日本円で1400円程度になると思います。


1992年09月15日

 先ほど夕食を済ませたのですが、今日のメニューは大根汁です。まったくもって、中華街にある「陳氏大市場」のおかげで、日本風食生活の材料には全く事欠きません。大根も一本が100円程度です。こういう環境を喜ぶか嘆くかはヨーロッパ生活に対するノスタルジーの差でしょうが、私は素直に住みやすくなったのだと評価しています。まあ、元々私は味オンチなので、極端な話し何を喰っても生きて行けると思うのですが、やはり喰い慣れたものをごく日常的に口にできるというのは、何はともあれほっとします。
 あとはうまいキムチさえ見つけだせば、全ては揃うのだが。うまいキムチって、サンドウィッチにしてもうまいんですよ。この話しをすると、たいていオェーっという顔をされてしまうけど、本当にうまいキムチはパンにもマッチするんですよ!


1992年09月12日

 私は基本的に米党なのですが、朝は遅起きのためパン食でした。でもって、パンといえばトースト、それも小学校の給食時や、朝のけだるい気分の中で、半ば義務的に胃に突っ込むものでしかありませんでした。かような不埒なイメージを一新してくれたのが横浜元町のウチキパンであります。
 ウチキといえば横浜で一番古いパン屋、ということは、日本でも老舗の一つ。場所は外人墓地の下、元町公園に隣接したところです。もう何年も行ってないのでどういうシステムになっているか知りませんが、当時はとにかく焼いてから何時間かして売れ残ったパンは全て処分していました。私はほんの偶然から食パンを買ったのですが、それを食したとき、うまいパンにはバターもジャムも不要だということを思い知らされました。
 新年をウチキのパンで迎えないと気が済まない浜っ子が多いらしく、年末になると新年用のパンの予約を受けていたような気がします。味といいシステムといい、今は一体どうなっているのでしょう? 誰か最近のウチキパンについてご存じありませんか?
 でもやっぱり朝はできればあつあつごはんにキムチと納豆、それに豆腐とわかめの味噌汁がええなぁ。


1992年09月03日

 私も某日むしょうに辛口カレーが食いたくなり、後先考えずに京子食品でカレーのルーを買い、近くのスーパーで野菜と肉を調達したのでした。当然電気釜なんてありません。いざとなったら煮込めばええわいとたかをくくっていたのです。んで、いざ炊こうというとき、蓋のある片手鍋があることを思い出しました。そしてしっかり蓋をしめて、熱量を中くらいにしたら結構うまいこと炊けたので驚いてしまいました。まあ、鍋で御飯をたくときのコツは水を少々多めにすることでしょうか(笑)。
 ところで、米の銘柄ですが、私が近くのスーパーで買ってきたものはイタリア米でした。粒の感じは日本の米に結構似ていたと思います。味の方は学食や社員食堂の味といったところでしょうか。私の好みからすると、やはり日本の銘柄米が圧倒的に好きで、カリフォルニア米にしてもイタリア米にしてもどうしてもいまひとつの感をぬぐえません。まあ、あまり贅沢はいえませんが。


1992年08月03日

 実はパリではなくて、...、なんてことはなくって、今日もパリの暑さにふーふー言っております。ここ数日は結構湿気もあり、メトロの中は東京並みです。
 さて、クスクスオフですが、私もひょっとして参加できるかな、と淡い期待を抱いているところです。そこで申し分けないのですが、場所と時間を教えて頂けないでしょうか?現在の予定では8月7日5:30PM成田着で、少なくとも10日の夕方までは東京に滞在する予定です。その後カミさんの実家に向かいますが、13日には再び東京に戻ってきます。もし、東京滞在中にオフがあるのであれば、是非参加させて頂きたいと思うのですが。
 閑話休題
 一昨日の夕方、突然外付HDがクラッシュしてしまい、大パニックに陥りました。何しろ210MBの中にアプリケーションからデータまで入っていたので、もう顔面蒼白でした。生憎2台あるMacはそれぞれ40MBしかないので、バックアップも不完全です。あの手この手で何とかアクセス可能状態までこぎつけたのですが、今度は立ち上げる度に漢字Talkがクラッシュするという怪現象が生じ、挙げ句の果てにはPB本体のHDまでクラッシュする始末です。
 まあ、こんな状態で何とか全て回復したのは今日(月曜)の昼、学校が休みで助かりました。結局原因はシステムソフトの一つが漢字Talkと相性が悪かったらしく、それを殺したら何とか秩序が回復した次第です。それにしても、今まで何の異常なく使えたシステムがある日突然牙を剥く...つくづくMacはおかしな機械だと思いました。


1992年07月29日

 JR中野の丸井の少し先にある「カルタゴ」は私の家に近かったものですから、非常に親しみのある店です。クスクスはまあスタンダードな味かなぁ、という感想を抱きました。ここはトルコ、地中海料理等を幅広く扱っているので、料理のバラエティに富んでいます。店の雰囲気はなかなか良い。
「ローズ・ド・サハラ」はいつも満員の店ですが、味はそう悪くないと思いますよ。ただ、ここの名物(?)はクスクスよりもワニ料理。私は2度ほどくらいましたが、これは極めて美味でした。あとモロッコなんとかというカレー風味のスープも絶品でしたね。コースより単品で頼んだ方がコストパフォーマンスは圧倒的に良いと思います。ちなみにこの店はカミさんを始めてメシに誘ったところでもあります(関係ないか)。
 全然関係ない話しですが、今日はANTENNE2でオリンピックの男子バレーボール日本対フランスを中継していました。なかがいちのスパイクがたびたびきまるため、アナウンサーが「Bon attaque! Oh, Nakagaichi! Nakagaichi! Toujours Nakagaichi!」と叫んでいるのが妙に印象的でした(結局負けて残念)。



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