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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1993年06月10日

 来週一杯で授業が終わる。その後は3ヶ月のStage があるのみである。
 昨日は、1年間のプログラムの打ち上げが行われた。クラスの全員、教授、それに何人かは彼女や奥さんずれで現われ、総勢20人で河原のMechouiとなった。場所は学校のあるCergy Prefectureから車で20分ほど。三日月湖のほとりにある屋外バーベキュー場である。セルジーといえばパリから電車で僅か30分のところであるから、東京に対する横浜くらいの距離である。にもかかわらず、施設のあるあたりは完全にカントリー風。パリから一歩離れると途端に田舎と化す事実を痛感させられる。
 この打ち上げは7時頃から始まった。そして日が暮れてすっかり真っ暗になるまで続いた。何しろこの時期は日没が遅い。真っ暗になるまで....と言えば、ほぼ夜中まで続いたということである。当然終電には間に合わなかった。
  帰りは車で来た人に便乗である。ところが、この施設は10時に一度閉門し、12時に再び開門となる。我々は11時40分ころ帰ろうとしたのだが、門がしっかりと施錠されていた。ここで誰も騒ぐところなく、ラジオの音を高めてのんびりと係員が来るのを待つ辺り、のんびりとした国民性を感じてしまう。係員は11時50分ころ到着した。
 パリに帰ったのは結局1時近かった。


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