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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1992年07月21日

 今日は滞在許可申請の2度目の挑戦を行ってきました。感想を一言で言うと、「地獄の地階、天国の1階、ああ運命の螺旋階段...」ということになりましょうか。
 学生の滞在許可証申請先は、前回お伝えしたように15区のCentre d'Etudiantsです。地階で申請書類のチェックや問い合わせを行い、ここを通過すると、1階で最終的な申請手続きをするという手順になっています。前回私は地階で門残払いを食ったわけです。
 さて、今日は授業が終わってから直行したので、窓口に到着したのは1時半でした。チケットを取ると10人待ちです。窓口は2人の担当者がいました。そして、4人に30分ほどかかると、前回私を玉砕に陥れたおばちゃん、もといマダムが現われました。ところが、昼休み明けで気分がいいせいか、驚くほどテキパキと処理し、あっという間に私の順番がやってきました。しかも、皆順調にパスして行きます。
 番号を呼ばれ、私は戦戦兢兢と書類を渡しました。彼女は依然上機嫌らしく、「Hum, Hum」とか呟きながら、あっという間にO.Kのサインをくれたのです。私は胃のつかえがすーっととれるのを感じながら、書類審査(?)にパスしたものだけに許される1階に向かう螺旋階段を昇ったのでした。
 一人一人の処理に時間がかかるため、1階でもたっぷりと待つことになります。待ち時間の間に、地階で渡された必要書類に申請内容を記入しなければなりません。記入が終わると、後はまたひたすら待つだけです。この間がまた緊張するんだわ。
 ところが、暫くすると、雰囲気がだいぶ地階と違うことに気づきました。担当者が申請者に笑いかける声が聞こえてくるのです。それも嘲笑ではなく、極めて親しみのこもった笑い声なのです。しかも、申請者を「Monsieur」とか「Mademoiselle」とか呼びかけてくれるのです。地階のおばちゃん、もとい、マダムは「Bon jour」と言っても無視するし、話す言葉は「Passeport! Domicile! Scolarite! Ressource! C'est pas bon!!」だけ(?)です。全てが違う...
 1時間ほどで私の順番がやってきました。
 窓口の担当者は若い女性です。「Bon jour」というとちゃんと答えてくれました。そして、クリップできれいに整理しておいた書類を渡すと、彼女は「Tres bien!」を連発しながらテキパキと処理を進めてくれました。途中、いくつかの項目について質問があり、特に私の父親の名前と母親の旧姓が同じになっている理由を尋ねられました(私の父親は婿養子なもので)。「結婚した時おやじの方が名字を変えたんや(んな関西便で言うわけないわな)」と説明したら、彼女は笑ながら了解してくれました。うう、本当に本当に全てが違う。
 手続きはほんの10分ほどで終わり、帰るときにちゃんと「Au revoir!」とまで言ってくれたのです。こんなことで感激する自分がいじましい(?)。もしかすると、地階でフランスに悪意を抱く申請者は、1階で再び軌道修正をするのかな、と思いながら、私は天国のようだった1階を後にしたのでした。あとは7月15日以降にくるだけだ...。


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