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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1992年08月21日

 決闘で殺されたのはエヴァリスト・ガロアという19世紀フランスの天才数学者です。彼の伝記には「天才と狂気」というサブタイトルが賦されています。彼の打ち立てた方程式論(通常「ガロア理論」という)は数学の中でも珠玉の理論と言われるほど美しく、多くの数学科生はガロア理論に感激して数学を志したものです(あたしもそのクチね)。
 フリードリッヒ・カール・ガウス(1777-1855)は所謂3大数学者の一人で、現代数学は全てガウスが基礎を築いたと言ってよいでしょう。ただ、ガウスは一種の数学ヲタクで、自分の発見を積極的に発表しませんでした。「ガウスが自分の発見を全て発表していたら、数学は現在よりも50年は先に進んでいただろう」なんてぼやきが後世の数学者から出ています。なお、ガウスの名文句として「数学は科学の女王であり、整数論は数学の女王である。この女王は時に物理学や天文学の教えを乞うが、玉座は常に数学のものである」というのがあります(だから数学や整数論は何の役にも立たない、と皮肉ったのは森毅かな?)。


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