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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1992年08月27日

 18世紀くらいまでの数学者はたいてい物理学者や天文学者も兼用しており、ガウスは大数学者であることは勿論のこと、マックスウェル以前の最も偉大な電磁気学者と言われています。んなわけで、磁束密度の単位を「ガウス」としたわけですね。ガウスの法則なんて、昔の物理IIに出てきましたが、今はどうなのでせうか。
 1から100までを瞬時に積算したというのはガウスの有名な逸話ですが、ガロアにも多くの逸話が残っています。まあ、一番有名なのは女の取り合いで決闘に敗れて死んでしまったことですが、本職である数学がらみでもいくつかあります。
 まず、ポリテクニック受験の口頭試問で対数とは何かを問われた際、模範回答とは異なるエレガントなアプローチをしました。すると、試験官が細かいことまで突っ込み、ガロアは当たり前の事をあまりにくどくど聞かれるので、最後は黒板拭きを投げ付けて「これが僕の答えだ!」と叫んで帰ってしまったというのです。
 もう一つ有名な例は、方程式論をまとめて学会に論文を投稿したとき、審査官のポアソン(統計で有名な人)が全く理解できず、しまいには字が読みにくいなどといちゃもんをつけて送り返してしまったことでしょうか。後日、再び論文を書き直して今度はコーシーに送ったのですが、この時はコーシーが論文を紛失するというチョンボを犯し、とうとうガロアはぐれてしまったそうです。
 ガロアの死を最も惜しんだのは母校ルイルグランの教師でした。十数年後、ルイルグランにエルミートという数学の天才が現われたとき、その教師はガロアの例が忘れられなかったため、一時期受験勉強に専念させ、無事ポリテクニックに送り込みました。ガロアは5次以上の代数方程式が一般的には代数的に解けないことを証明しましたが、エルミートは後日5次方程式を一般的に解くアプローチを発見したのです。


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