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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1994年11月21日

 テニスの試合のなかでは、マッケンロー対ボルグが一番鮮烈なイメージが残っています。これこそ超対照的という感じがしました。ウィンブルドンの死闘は大学の学生会館で放送を見てました。
 当時のプロ・スポーツには、スウェーデン人の「帝王」が二人いました。テニスのボルグ、そしてスキーのステンマルクです。20代のひとだと、ステンマルクはほとんどご存じないかもしれない。アルベールビル五輪のスラロームで、二本目のラップタイムを取った老雄ぐらいの記憶かも。
 彼は 78〜79 年ワールド・カップで、大回転十五連勝というとんでもない記録を作っています。百分の一秒を競うスキーレースで、二位との差が一秒開くこともあったり、尻餅をつきながら優勝しちゃったりとかで、その速さは群を抜いていました。「ステンマルクの出るレースで、二位は優勝と同じ」とまでいわれたものです。
 彼は回転・大回転のスペシャリストで、滑降には出場しませんでした。でも、この二競技で勝ちまくっていたので、楽々総合優勝できたのですね。当時アルペン界のコミッションを支配していたフランスやイタリアは、これがえらく不満だったらしい。結局、強引にルールを変更し、滑降に出場しなければ極端に不利となるよう、ポイントの計算方式を変えてしまった。で、その翌シーズンはわずか一勝しかしなかったアンドレア・ウェンツェルンが総合優勝しました。
 誰かがダントツになるとルールを変えて優勝できなくさせる——これはF1にも見られた現象で、極めてヨーロッパ的なのかもしれません。で、ステンマルクも80年シーズンには、総合優勝を奪還するため、たった一レースだけ滑降に出場します。ところが、このシーズンではアメリカ人のフィル・メイヤーが強かった。彼が三部門でコンスタントに勝利を重ね、ステンマルクを破ったのですね。
 この年、テニスのウィンブルドンではボルグがマッケンローに破れた。「スウェーデンの英雄ふたりが、アメリカ人に引導を渡された」などと、ちょっと話題になったものであります。


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