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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1993年01月01日

 京子食品で買った年越しそばを食してから、Marie-Pierre宅にて新年を迎えることとなった。
 年が変わると同時にシャンペンを明け、まず乾杯である。「Bonne annee 」とか「Meilleurs voeux pour la nouvelle annee」等と月並みの音頭に混じって、「新年おめでたう」とか「新年好」も唱和。外ではクラクションを鳴らしまくる車、クラッカーを鳴らす通行者、そしてベランダから「Bonne annee!」と絶叫するおっさん達など様々であった。
 年末年始にかけて、TF1で「クレイジーホース」の生中継があった。M-P.らと共にしばしTVでライブショーの観賞である。クレイジーホースのライブと言へば、当然スッポンポン。あそこの毛までTVに映してしまうおおらかさにしばし感動してしまった。
 で、新年早々宿題を一つやって参りました。
(1)..., qui se voit par la fenetre.
(2)..., qui se voit de la fenetre.
(3)..., qu'on voit par la fenetre.
 まず、3つの表現ともに全くおかしくはなく、ごく普通の表現として使えるのではないかとのことです。ただ、「par la fenetre」というとかなり積極的な行動を想起してしまう由で、「voir」程度であれば、むしろ「de la fenetre 」の方がより自然であろう、窓から身を乗り出して見るのなら兎も角、開いている窓から眺める程度なら、といふわけです。
 また、再帰代名詞で表現するか、人を主語に立てるかは、前後の文章での文体に依存するとのことで、どちらも抵抗はない。ただし、一般に会話で使うなら、「on voit 」の方がより自然であろうとのことです。
 総合的に判断すると、一般会話で一番自然と思われる表現は、
 ..., qu'on voit de la fenetre.
 といふことでありました。再帰代名詞下での「par la fenetre」については、「se voir」=「etre vu」と自動的に解されるので、特におかしいといふ感覚はないさうです。すなわち、「qui se voit 」と表現される場合、「qui 」は感覚的に能動態の目的語として解されるらしいので、そのため視線移動の違和感がないのださうです。
 以上、一フランス人の意見です。念のため。


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