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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1994年07月15日

 反射率の高いガラスの照り返しが厳しかった。
 夏至からまだ一週間しかたっていない太陽は、午後の三時近くになっても全然落ちる気配がなかった。気流がメキシコ湾流の湿気を運んできたのだろう。パリにしては蒸し暑い日が続く。
 イタリー広場の大きなロータリーを半周する。ちょうど周回を始めるあたりに、まるで青山の草月会館を思わせるような建物があった。天気がいい日にその反射率の高いガラスを見ると、まるで鏡を貼っているようにも見える。屋上部分には、何か変わったオブジェがあるようだ。
 正面を眺めてみる。
「パリで一番大きなスクリーン」
 ここには大きな映画館がいくつか入っている。そして、後からわかったことだが、建物は丹下健三の設計なのだそうだ。
 もちろん、このときはそんなことはつゆも知らず、石畳の巨大なロータリーを、汗をかきかき歩いただけだった。
 この日、部屋を見せてもらい約束のはしごをした。
 場所が Tolbiac と Gobelins——メトロの同じ線で、しかも二駅しか違わない。さすがに五日もあれこれ歩き回っていると、ただでさえ仕事の疲れが残っている体調にこたえる。まだ観光なら楽しむゆとりもあるのだろうが……。
 イタリー広場から Gobelins 通りはゆるい下り坂になっていた。ずっと先の方には、とんがったドームの建物が見える。多分、パンテオンだろう。
 広場から Gobelins まではメトロひと駅分あるのだが、街の雰囲気を知りたかったので、歩いてみることにした。
 ここのアパルトマンはどうせ九月からでないと入れないので、ほとんど参考程度に見るつもりだった。だから、街の雰囲気の良し悪しは特に問題ではないのだけど。それに、場所が13区だということなら、それほど大きな期待はなかった。
 変形五差路へ斜めにささる通りが、目指すポール・ロワイヤル通りだった。建物の番地表示を見ながら、待ち合わせの場所に向かった。三時にアパルトマンの前。
 一番地のところには、レストラン兼用のカフェがあった。
 その雰囲気は、シャンゼリゼやサン・ジェルマンのカフェと、何ら変わりがなかった。変な言い方だが、印象にあるパリのカフェそのものだった。
 テラスの白いテーブル、きゃしゃな椅子、黒いユニフォームのギャルソン——雰囲気のいいカフェのある街は、それだけでしゃれた感じがするものだ。大通りの街路樹もまぶしかった。
 あまり期待がなかっただけに、街の雰囲気がいっそう心地よく感じた。それを差し引いても、こんなところに住めればいいな、と思った。
(つづく)


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