この月のエントリー
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

過去の日記一覧

月別アーカイブス



この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1994年12月08日

 男色といえば陰間ですな。いまでこそホモはアメリカとかイギリスが有名だけど、日本は風俗史をながめる限り、古代ギリシャ・ローマなみの男色文化の国でしたね。戦国時代の御稚児さんは典型ですが、江戸時代になると「陰間茶屋」といふ男色専門のナニがござって、これは実に世界の風俗の最先端であったようです。オカマの語源は「カーマ」(愛欲)で、これは坊さんたちの隠語だったそうです。
 この点、ヨーロッパ社会は近代まで相当保守的だったはずで、日本は明治時代に先端の文明といいながら、風俗面ではこの保守的な風潮を受け入れた、といえるのかもしれまへん。まあ、風俗に関しては、なにがいいという価値評価は無意味ですが、元来ニッポン人はこの方面でえらくおおらかだった、という説はかなり有力だそうです。
 ここまではオトコの悲しきさがですが、オンナ方面ですと、江戸大奥がらみの川柳でいろいろな俗説・珍説が飛び交っていますね。もっとも、いちばんトラッドなのは嵯峨天皇と道鏡でしょうが。
 大奥関連では、角先生が大活躍あそばされますです。


Copyright (C) Masayuki ESHITA
サイト内検索

カテゴリー(archives)

最近のエントリー(RSS)