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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

2006年02月17日

 1993年10月は、夫婦そろって日本に帰省した。大韓航空の1年オープン・チケットの期限がそろそろ切れる時期だったのだ。CDG空港でチェックインをしたとき、座席指定のシステムがえらく混雑していたようで、端末を操作していた職員が「面倒だからビジネス・クラスにしちゃったわ」と笑いながらbording passを渡してくれた。面倒でビジネス・クラスになった我らにとっては大ラッキーである。
 日本での滞在は大忙しである。滞在期間は一ヶ月近くあったのだが、その間にまず、ESSECに提出するmemoireを仕上げ、口頭試問用の発表資料を作らなければいけない。memoireの提出期限は日本滞在中に来てしまうので、こちらで出力して郵送しなければならないのだ。さらに、10月から通う予定だったパリ第1大学のオリエンテーションも滞在期間中に開かれるので、指導教官に連絡をしておかなければならない。学校関係のもろもろの作業の他に、初めての単行本を書く上での取材をこなす必要があった。一件が東京、一件が京都、そして一件が福井県の勝山である。その大移動の合間にはオフが三つ。移動はすべて車でおこなったが、たぶん、1,000キロ以上は走ったはずである。
 あわただしい滞在からパリに戻ると、すぐにESSECの口頭試問、そしてPantheon-Sorbonneの授業開始と、パリでのあたらしい生活パターンが始まる。しかし、一年間の慣れに加え、ESSECに比べればはるかにゆるい時間拘束、そしてなにより通学先が自宅から徒歩圏内にあったことなどから、生活にはゆとりが出てきた。


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