この月のエントリー
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

過去の日記一覧

月別アーカイブス



この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1992年11月04日

 これは「袖の下」、つまり賄賂のことです。
 日本では例の「佐川事件」が依然騒がしいようですね。日本人会でまとめ読みする新聞でも一番スペースを割いているのがこれですから、いくら「浦島」でもある程度の推移は把握させてもらっています。
 私がこの事件でおやと思ったのは、海外の在留邦人の投書の中で「周囲に説明できない」とか「日本人として恥しい」などのコメントを見つけたことです。これはたまたま私の周囲だけの特徴なのかもしれませんが、こと日本に関して「政治」が話題に昇ったり興味の対象となることは、悲しいことに極めて稀です。日本の経済や文化に対する感心はあっても、政治には注意を払われない。だから周囲に説明を求められたこともない。
 ごく一般的な評価を下すなら、日本の政治は所詮ローカルな活動でしかなく、世界に影響を及ぼすものはないということになります。ただ、これも当たり前のことで、欧米諸国は数百年にも渡って「世界」なるものを「支配」あるいは「引率」しているのであり、しかもフランス語圏とかスペイン語圏など植民地支配の遺産を未だ引きずっているのですから。
 まあ、それはさておき、私が以前聞いた話しでは、フランスとアングロサクソン国家とでは「賄賂」に対する反応が異なり、英米は「賄賂」=悪として非難の対象となるのに対し、フランスでは「賄賂」も一つの利得行為であって、非難するとしたらそれは不利益を被った者が行うべきものだ、というパターンが多いそうです。少なくとも「賄賂」の横行を政治の近代化欠如に結び付けることはないし、どこか「権力者なんて目を離せばそんなものだ」みたいなところがあるように感じられます。
 私個人の意見としては、「賄賂」も日本の政治システムの一つだと思っているし、それが「遅れた」ものだという意識もない(洗練されていないのは事実でしょうが)ので、「日本人として恥しい」とか「肩身が狭い」といった意識は全く感じたことがない。事の善悪は無論全く別の問題ですが、仮に誰かからこの問題について議論をふきかけられたとしても、何となく説明できるような気もします。現に世界には「賄賂」が不可欠な政治システムだって存在するのです。この点、アメリカ人よりもフランス人の方が、遥に良く現実を見ているような気がします。
 どうも「...説明できない」なるコメントの本質は、単に説明する能力なり知識がないだけなのに、それを事件のせいにしてしまっていることのような気がします。日本を非難しがちな在留邦人の多くは、実は日本についてあまり考えたことがない、日本史なども学校で習った程度しか知らないのではないかとかんぐってしまいます。もとより私は日本について多くの見識を持つわけではありませんが、それでも自分が歴史ヲタクでよかったと思うことがしばしばあります。
 今後留学される方や海外駐在される方は、是非とも日本史や日本文化に対するネタを十分に仕入れていかれることをお勧めします。異国の地において、我々は一個のビジネスマン、一個の学生であると共に、やはり「日本」を引きずった存在でもあるのです。彼らと「現代日本」を議論するとき、絶対に必要な「武器」が歴史的、文化的知識ではないかと私は思います。それらの背景がないと、結局は「そうなんだよ、だから日本は遅れてどうしようもない国なんだよ」という阿諛追従で終わってしまうのだと思います。そりゃ確かに日本もトンチンカンな国だと思いますが、フランスだってそれに劣らずトンチンカンな国だと思うのです。ただ、相手の何がトンチンカンで何が尊敬に値することなのかは、やはり自国のどこがそうなのかが分からないと見いだすことができないのではないでしょうか。少なくとも我々が最も良く知る国は「日本」である事実は動かすことができないのです。


Copyright (C) Masayuki ESHITA
サイト内検索

カテゴリー(archives)

最近のエントリー(RSS)