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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1993年10月07日

 昨夜、ちょっと用があって学長に電話した。フランス語を喋るのはほぼ20日ぶりだった。一応話すことのシミュレーションはしておいたのだが、いざ本番となるとボロの出っぱなしだった。学長からは2度「Massa, Je ne comprend pas votre question. 」と言われてしまった。
 これはまずい。19日にはmemoire のsoutenanceがある。30分の発表と45分の質疑応答をこなせるかどうかが心配になった。尤も、肝心のmemoire がまだできていない。
 しかしうれしい知らせもあった。パリの留守宅に滞在中のJ君に送って貰った forme de memoire によると、頁数指定がなくなっていた。昨年度版には70頁ダブルスペースとあって、これがプレッシャーになっていた。いくら速筆と言っても丸4日はかかる。指定がなくなればこちらのものだ。50頁を目標にしよう。しかし、プリンタをどうしよう。京都のM田さんの所まで行くしかないだろうか。
 日本滞在もあと10日となった。フランスに帰りたくなった、と言えばいかにも気障なセリフに聞こえるだろう。しかし、これは単に自分の生活臭のある所に戻りたいという、素朴な欲求なのだ。横浜の実家には自分の部屋がない。一人で住むようになってから、親たちが家を越してしまった。そのせいだけでもないのだろうが、日本に帰ると懐かしさよりも所在なげな気分に陥ることが多い。
 山荘オフの後は移動の連続だった。日曜は渋滞を避けるため、夜遅く横浜に戻った。不景気なので人手がまばらだと思ったのに、中央道は混雑していたようだ。混むわけないよ、と言って見送ったK下くん達には悪いことをしたと反省した。夜、Pさんから電話が入った。雨からは逃げられなかったそうだ。T辺は間違いなく濡れナベになったのだろう。
 月曜は夕方再び原村へと戻った。翌火曜は、朝早く諏訪インターを目指した。家とは反対方向である。松本インターからR158に出て安房峠に向かった。上高地の入り口釜トンネルから峠への急坂の途中、紅葉の始まったV字谷が美しかった。山並の間には前穂高の急峻な峰も窺えた。
 安房峠には正午半頃に到着した。さらに高山を目指す。高山から荘川村、白鳥町と国道を辿る予定だったのが、途中で間違えて白川町に行ってしまった。「鳥」が「川」にバケてしまった。しかし、そこには合掌部落という保存地区がある。9月にS田さんと供にパリにいらしたKさんが喜びそうな一角であった。時間がなかったので、ほとんど素通りした。
 最終目的地の勝山に着いたのは4時半だった。取材を申し込んでいた人に、町中の適当な場所から電話した。偶然のことながら、電話をかけた場所はその方のお宅からわずか50m のところだった。食事を御馳走になってから、予約をしてもらったホテルに戻った。広くて奇麗な設備に驚くほど安い宿泊料。オフシーズンとあって、貸し切り状態だった。大浴場にのんびりとつかることが出来た。風呂から出た後は memoireを2頁書いた。APを調べ忘れたので、ニフティにはアクセスしなかった。
 翌朝、近くの史跡を案内してもらった。昼、蕎麦屋で福井式の蕎麦を御馳走になった。やや太めの手打ち麺が小さめの器に入ってきた。中にはやや粗目のきざみネギだけである。それとは別につゆの入ったどんぶりが出てきた。つゆには大根おろしが混ざっており、これをおたまで器にぶっかけて食う。面白い食べ方だったが旨かった。20代前半であったら、8皿は食えただろう。また食ってみたい。
 1時頃福井北インターから北陸自動車道に乗った。途中、上下線でねずみ捕りをやっていた。燃費運転に徹していたので、何なくクリアした。暫くパッシングライトを出しまくった。擦れ違いざまのトラック何台かが手を上げて応えた。いいことをしたという充実感にしばし浸った。
 夕方、カミさんの実家に着いた。夜になって何度目かのアクセスをした。突然sendでメッセージが来た。UST2でIDを調べたら、Mちゃんだった。2度ほど短いメッセージの応酬後、長いメッセージを送ろうとしたら、するりと逃げられてしまった。
 そして今日になった。memoire は今日が勝負である。ああ眠い。


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