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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1993年10月23日

 日曜に帰国というのは時差ボケ解消には良くない。別段会社に行くわけではないが、やはり週末を自堕落に過ごしたほうが、結果的に復帰は早いように思われる。実を言うと、まだ朝の変な時間に目が覚めたり、夜中むやみに腹が減る。瞬時に順応できた20代がなつかしい。
 パリに戻った翌日は、教授のところに登録用紙と時間割りを貰いに行った。朝の10時から10時半の間に来るよう言われたので、10時ちょうどに赴いた。教授のコレット・ローラン女史が現われたのは、ジャスト10時半であった。
 家に戻ってから次の日の口頭試問の用意を始めた。最近はOHP を作らなくても、プレゼン・ソフトが利用できるので助かる。フランスの大学でも、最近はパソコンを使った発表が増えている。
 ある程度目処が立った頃、M出さんから電話があった。リヨン駅に到着した由。資料作成の山が過ぎたところで良かった。でないと、徹夜に付き合わせてしまったかもしれなかった。師匠とは山荘オフから僅か2週間後の再会である。夕食をウチで取ったが、スーパーへの買い物を付き合わせてしまった。耳掻きが売っていなかったことは、既に報告した通りである。夕食の間、M出さんから文字通り世界各地の話を聞いた。人の行っていない国にばかり訪れているのだから凄い。北朝鮮やモンゴルに行ったことはあっても、フランスは初めてなのだそうだ。
 口頭試問の当日、当然のような時差ボケで6時半には完全に目が醒めてしまった。尤も、試問は午後だったので、十分資料を読み返す時間が取れた。しかし、結果は惨憺たるもの。とにかく口が動かない、舌が回らない、咽が震えないの三重苦であった。4ヶ月のブランクは大きい。
 水曜からは、早速授業が始まった。この日は前半がパンテオンの校舎、後半がソルボンヌの校舎である。どちらもウチから近い。何しろバスで3停留所目である。教室まで正味15分ほど。これほど短い通学時間は、小学生の時でさえ経験したことがない。
 バス停から校舎までの間、有名な高等師範学校の前を通った。パリ第1大学のパンテオン校舎は、パンテオンを正面にして左手前にある。向かいには数学者ガロアやエルミートで有名なリセ、ルイ・ル・グランがある。入り口も博物館を思わせる荘重さであったが、教室は案外とボロかった。それよりもフロア一杯に充満した煙草の煙がたまらない。
 パンテオンでの授業はパリ第9大学(DAUPHINE)との共同である。そんなわけで、授業を受けに来た生徒の数は30人以上であった。この時は師匠であるローラン女史の授業であったが、実は彼女はESSEC の非常勤も努めており、この日の内容は既に今年の2月聴講したものと同じであった。
 ソルボンヌの教室はパンテオン校舎から3分ほど。机は奇麗だったものの、椅子が格子状だったので尻が痛くなった。2時間授業で助かった。講師はブルターニュ系のような名前。中々愛嬌のある女性であるが、常時せわしなく歩き回る癖があるようだ。立ち止ると声が出てこなくなるのだろうか。
 級友とはこの日が初対面である。顔合わせの会合は日本滞在中に行われてしまった。真っ先に親しげな視線を投じて来たのは、例によってスペイン系の学生であった(江下の顔だちはスペイン系、アラブ系に近いらしく、どこでも最初に親しくなるのはスペイン、アラブ系の学生である)。彼はルイスと言って、2ヶ月前にベネズエラから着いたばかりだそうだ。
 木曜の授業はソルボンヌ校舎。それも午後1時半から僅か2時間。大学の授業は本当に楽だ。ESSEC の3分の1しか拘束されない。この日の講師はフランソワーズという、フランス人らしい顔だちの女性であった。ひょっとすると、このDEA コースはオトコの講師がいないのだろうか? 非常に心地良いテンポで話してくれるので、至極聞き取り易い。ただ、OHP を使うのが嫌いだそうで、速写砲のように書く黒板の文字を解読しなければならない。
 金曜は授業なし。本当に気楽なものだ。昨年の今頃は、一番忙しい日だと朝9時から夜8時まで授業という日もあった。それは極端にしても、一日ほぼ3〜7時間は拘束されていた。尤も、Grande Ecoleの中でもESSEC は特に授業時間が長いと言われているから、大学がとりたてて暇というのでもないだろう。
 今晩はイギリスから出張でやって来るK杉さんと食事。T岡ちゃんも誘おうと思い会社に電話したが、彼はミュンヘン出張。残念。


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