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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1993年11月09日

 コダクローム25で大失敗したことがある。以来、ASA(今はISOか)25は絶対に使うまい、もとい、オレの実力では使いきれない、って思いました。考えてみれば無謀な話しで、低感度のフィルムを露出計なし、自分のカンだけで使ったのですから。36枚撮って多少許せる程度が2枚、あとはことごとくすっとんでました(;_;)。それ以来、リバーサルはF2でフィルムはコダクローム64、Fはモノクロ専用にしました。分相応?
 ニコンFで使うモノクロもトライXばっかだった。昔は安いトライXを買うために、わざわざヨドバシ・カメラまで手巻き?フィルムを買いに行った。ローダーやマガジンを買う金がなかったし。ローダーを買った頃にはモノクロをあまり撮らなくなって、結局 100フィートのトライXは半分ほど残ってしまった。
 プリントは高校の写真部の暗室を使わせて貰いました。二十年前に白鳥座の新星が発見された時は、夜撮った写真をすぐ家で増感現像し(天体写真だとパンドールで4〜8倍増感が普通)、翌朝、学校でプリントしたのです。ぼくがプリントを自分でやるようになってからは、5号印画紙が製造中止になってしまった。まあ、普通は使われなかったから仕方なかったのですが。


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