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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1993年08月20日

 パリを離れたフランスの景色は、例によって「富良野・美瑛」であった。スイス国内に入ってからが、遠くに多少険しい山並みが見えたものの、それほど大きな感動はなかった。
 ベルン滞在2日目にピラタスに行った。ベルンから電車を乗り継ぎ、麓から最大傾斜角48%という急峻な勾配を登山電車で登った。この日は好天に恵まれたものの、山頂付近はガスに覆われていたため、生憎とパノラマ風景を眺めることは叶わなかった。それでも、造山現象の過程で垂直に走る地層、岩の間に咲き誇る高山植物、標高2000mという高所ですっかり餌づけされたかのような烏に似た鳥どもなど、結構見るべきものは多かった。特に高山植物の種類が豊富なことは、お花畑で有名な八方尾根以上であったと思う。
 姉夫婦と愚妻はスイスが初めてだったので、どこにいってもアルプス風景が広がっていると思っていたらしい。ベルン近辺ともなると、どうしても日本のありふれた高原に似た景色が広がっている。それも軽井沢や八ヶ岳のような、なだらかで森の多い雰囲気である。そんなわけで、ちょっとアテのあずれた感じがあったようだ。
 往きのTGVはローザンヌ経由であったが、帰りのルートはFrasne乗り換えであった。スイス国内の通過ルートが往きと異なった。ぼんやり外を眺めていたら、崖の上にいくつも城跡が見えた。まるでドイツのライン下りを思わせる。
 フランス国内に入ると、またしても「富良野・美瑛」である。寝ようと思ったが、人の往来が激しくて落ち着けたものではなかった。場所がビュッフェの隣というのが敗因であった。
 パリまであと30分というところで、ビュッフェに水を買いに行った。売り場を一人できりもりしていた女の子がズバ抜けて可愛かった。こんなことなら、ボケーっと景色なんぞ眺めていずに、ビュッフェに入り浸っておくのだと深く後悔した。


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