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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1993年04月10日

 レンヌには8時過ぎに到着した。途中でレンヌ大学の学生寮に住むサレと別れた。学生寮とは言っても高島平の団地のような大規模な建物群である。パトリシアも学生時代はそこで過ごしたそうだ。
 レンヌに着いてから、どこで食事をするかであちこちをフラつくことになった。こういう時は観光客の方がスパっと決めてしまうのだろう。なまじ地元の人間だと、かえって持ち駒が多いだけにあそこがいいここがいいと迷う羽目になる。結局、アブデルが一度だけ入ったことのある「馴染みの(このあたりのレトリックは彼もアラブ人である側面をよく示している)」ドイツ料理屋に入ることとなった。
 パリにしても地方にしても、大衆的なレストランは本当にサービスが気持ちよい。フランスにハイテクとサービスは存在しないとは、口の悪い日本人の口癖であるが、レストランのサービスは文句なくフランスの方が良いように思われる。特に大衆的な所の親しみやすさは格別だ。打算的な意味ではなく、やはりチップが収入源であることの影響だろうか。少なくとも、職業意識に大きな違いを持たせるように思われる。日本のタクシーのサービスが悪くなったのは、チップの習慣を廃したためだというタクシー運転手のコメントを思いだした。
 カミさんは念願かなってシュークリュートを食した。これにはジュネーブで苦い思い出があったので、私は肉の煮込みを頼んだ。向かに座ったロランスも同様であった。他の面面も皆シュークリュートであった。
 2時間ほどを食事に費やした後、レンヌに住むサイッド、ロランスを別れることとなった。道のド真ん中で別れの儀式である。ちゅっちゅっ。アブデルとサイッドも男同士のアンブラセである。


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