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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1992年10月16日

 確かに恋愛と文学(そして映画もかな?)はある年代に達しないと分からないこともあれば、逆に若いときでないと分からないものがあるような気がしますね。無論、その人の経験の蓄積によるのでしょうが。
 私にとって、30過ぎで面白さが多少なりとも分かるようになったのは「源氏物語」でした。10代、20代と全く無味乾燥とした世界でしかなかったものが、なぜか一昨年読んでみたら微妙な人間模様が実に鮮やかに描かれていることを発見し、正直言って愕然としました。紫の上を失った時の光源氏の悲しみは、恐らく20代の頃では理解できなかったと思うのです。
 反対に、20代にあれほど読み漁ったヘッセが今は全く読めません。もともと私は1冊を何回も繰り返し読むほうなのですが、ヘッセについてはある時期からピタリと手が向かなくなってしまいました。私にとってヘッセは20代の感性でなければ味わえなかったのかも知れません。
 今はカミュの乾燥した世界と三島由紀夫の人工美という、どちらかというと無機質の世界に凝っております。映画ではトリュフォの倦怠感に惹かれております。果たして人生にくたびれ果てた年代に達し、これらの中に何を発見するのか何となく楽しみです。


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